信頼の崩壊

佐村河内氏の事件に何度も言及するつもりではないのですが、若い頃の彼を知る証言者の言葉の中には、マロニエ君の心にわだかまる、昔のある出来事を思い出させるものがありました。

20代の彼は、ロックにも挑戦したらしく、当時プロデュースの仕事をやっていた男性がインタビューに登場しましたが、佐村河内氏のルックスや名前、背景がおもしろいと感じ、一度は育ててみようかと思われたのだそうです。
ところが言動におかしなところがあれこれあり、これではとても信頼関係が築けないということで、結局その方は手を引かれ、佐氏の歌手デビューも沙汰止みになった由。

その話の中で、大いに頷けるものがありました。
このプロデューサーはむろん業界の人で、そこに連なるお知り合いなどが数多くおられるのでしょうが、佐氏はそういう人達へ、無断で直接連絡を取ったりするというような挙に及んで、大いに不興を買ったというのです。

実はマロニエ君にも以前、似たような覚えがあったのです。ある演奏者に対して、一時期身を入れて可能な限りの協力していたことがありました。
具体的なことは控えますが、それこそマロニエ君にできるあらゆる方面の協力をし、その人の音楽活動を多面的に支えるところまで発展しました。あれほど心血を注いで他人様をサポートしたのは後にも前にもこれだけで、この状態は数年間にも及びました。

その過程でマロニエ君の知り合いなどともお引き合わせすることもありましたが、その方は、順序も踏まずその人達にいきなり自分で連絡をとったりする人でした。当人からの報告もないまま、それを後になって思いがけないかたちで知ることになったりの繰り返しで、なんとも言いがたい嫌な気持ちになりました。

もちろん、自分の知り合いを紹介したわけですから、直接連絡をしてはいけないということではありません。むしろそれがお役に立つなら幸いです。しかし、そこには自ずと礼節やルールというものがあるのはいうまでもありません。

いきなり頭越しの連絡をして相手の仕事にも結びつけ、それが知らぬ間に常態化するというようなことが重なると、しだいに信頼は崩れ、善意の糸も切れてしまいます。
世の中は、それが情であれ利害であれ、要は人の繋がりで成り立っている部分は少なくありません。故にその部分でのふるまいや挙措には、その人の全人格が顕れるといっていいと思います。
芸能界などは、これがビジネスに直結しているぶん、厳しいルールや慣習が確立されているようで、そういう常識を欠いた行動は御法度として即刻糾弾の対象となるようです。

念のためにつけ加えておきますと、マロニエ君はこれっぽっちも損得絡みでやっていたことではなく、いわば趣味がエスカレートした結果の奮闘でした。

こういうことが重なり、その人とのお付き合いはピリオドを打つことにしましたが、これに懲りて、いわゆる「音楽する人」とのお付き合いが、以前のように無邪気にできなくなったのは事実です。
もちろん個人差はありますし、立派な方もいらっしゃいますが…。

要は甚だしい自己中ということです。
そもそも自己中か否かは、自分の言動を社会規範に照らして判断することなので、そもそも社会性が欠如していれば、認識さえもおぼつかない。つまり自覚もない、もしくは頗る甘いために判断も制御も効かないというわけです。
良く言えば「悪気はない」ということになるのかもしれませんが、いざそのときは、そんなことはなんの救いにもなりません。

貴重な社会勉強にはなったと思っています。