6月の終わりにシュ・シャオメイのゴルトベルクの新録音を買って聴いて、7月に入ってまもなくこのブログに感想を書いたばかりでしたが、それからわずか1週間後のこと、BSのプレミアムシアターでなんとシュ・シャオメイのドキュメントと演奏会の様子が続けて放送され、そのタイミングにぎょっとしてしまいました。
シャオメイは文革が終わったのち、1980年に渡米しさらにパリへ移住、いらい現在も同地で暮らしているとのこと。
そういえば、シャオメイの最初のゴルトベルクやパルティータなど手元にあるCDはフランスのMIRAREレーベルからリリースされているので、彼女のこんにちの名声はフランスによって発掘され育てられたものなのだと思われます。
その彼女が、周りの人々のすすめによって36年ぶりに中国に戻り、上海、北京はじめ幾つかの都市コンサートをする旅にカメラが同行したものでした。
上海生まれの彼女は、現在のこの街を見て「まったく別の場所、自分が生まれた家がどこかもわからない」といっていますが、たしかに現在の上海の恐ろしいような都市化ぶり(うわべの)を一度でも見た人なら、むべなるかなと思います。
中国では、実の姉妹、昔の恩師や友人などに出逢い、そのたびに互いに感激を噛みしめていましたが、長年中国に住み続けた人と、そうでない人の違いが如実に出たのが文革に関することで、シャオメイが「あの頃は…」とか「みんな死んでいなくなった」というような言葉を口にすると、相手は一様に苦笑いをするだけで、その問題には口をつぐみ何一つ言及しませんでした。
中国ではいまだに文革や天安門事件のような出来事はタブーだそうで、それに関する発言も書物も資料も厳しく制限されているらしいので、そのあたりの微妙な肌感覚は30年以上外国で生きてきたシャオメイにはうかがい知れない暗黙の空気感なのでしょう。
演奏の様子は、ドキュメントでも随所に織り込まれましたが、この帰国ツアーの最大の見せ場である北京でのコンサートの様子が、ドキュメント終了後に放送され、ゴルトベルク変奏曲全曲を視聴できました。
CDでは数知れず聴いているシャオメイのゴルトベルクですが、一発勝負のライブでは、CDとはかなりその様子は違ったものだったのはいささか落胆を覚えたのも事実でした。
むろんシャオメイらしい深い味わいや慈しみ、ジメジメしないセンス良い演奏表現など、彼女の美点にも多々触れることができましたが、コンサートでの演奏はやはりゴルトベルクがあまりに演奏至難かつ大曲であるためか、想像以上に乱れがあったことは事実であったし、正直言って全体のクオリティは満足の行くものではありませんでした。
CDに批判的な人に言わせれば「ほーら、だからCDはウソなんだ」ということだと思いますが、それでもマロニエ君はそんなふうには思いません。CDは問題箇所を録り直しなどをして、悪く云えばつぎはぎであるとも否定できませんが、それでもその人の最良の演奏を記録して編集したものであることから、繰り返し聞くにはやはり相応しい価値を有するものだと思います。
ただ、この人にあとひとつ欠けているものは残念なるかなテクニックだと思いました。
マロニエ君はいまさらいうまでもなく決してテクニック重視派ではありませんが、でも、安心して聴かせてもらえるだけのテクニックはないと、技術的問題で絶えずハラハラさせられたり不満を覚えてしまうようでは、プロの演奏に接する意味がないと思っています。
ドキュメントで驚いたのは、大バッハが眠るライプツィヒの聖トーマス教会でも、ピアノと聴衆とカメラを入れて、ゴルトベルクを弾いている様子が何度か出てきたことです。お見受けするところ、シャオメイ女史は非常に謙虚で誠実で音楽のしもべのようなお方のようですが、よりにもよってそんな大それたところで演奏するというのは、別に非難しているわけではないけれども、その度胸は並々ならぬものだと思いました。
シャオメイとは直接関係ないことですが、上海でも北京でも美しいホールが完備し、そこには新しめのスタインウェイDが当然のように備えられていて、北京のコンサートホールではステージに2台並べてピアノ選びのようなこともやっているほど、この面に関しても中国は急速に先進国の基準に達しているようでした。
達しているといえば、調律も以前とは違って非常に真っ当なもので、極上とまでは思わなかったけれども、聴いていてなんのストレスもない上質なものだったことは非常に印象的でした。
予定プログラムより、アンコールのほうが出来がいいというのはままあることですが、このときもやや苦しさを感じないわけにはいかなかったゴルトベルクよりは、拍手に応えて弾いたバッハ=ブゾーニの小品は、呼吸も整ってとても密度の高い、心打つ佳演でした。
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