相撲と野球

マロニエ君は基本的にスポーツに興味はありませんが、それでも相撲は少し見ますし、その他のものも話題の結果ぐらいには興味を持つことがあります。

今日は大相撲9月場所の千秋楽でしたが、なんと言っても白鵬の62連勝達成と魁皇の勝ち越しで幕を閉じたのは良かったと思いました。だいたいこういう結果というのは、まずほとんど自分が望むことの反対で終わることが多く、大半は落胆で幕を閉じるものですが、今日の上記二つはホッとしたというか嬉しいことでした。

魁皇は福岡の地元力士という枠を超えて、もはや全国区の人気力士で、引退を常に背負いながら出場記録を伸ばしているところが、とくに最近は見るたびにハラハラさせられます。聞けば現在、この魁皇が大関以上では唯一の日本人力士なんだそうですね。あともう少し頑張って欲しいものです。

それにしても白鵬の62連勝はすごいですね。
取り口を見ていても、基本は悠然たる横綱相撲で、常に受身の相撲をつらぬきながら、必要時には目にも止まらぬ俊敏と獰猛とさえいえるような突進力で相手をなぎ倒すところはまさに本物の横綱といえるでしょう。
その姿も美しく、長身で、色白で、風格に溢れるその偉容は、まさにこれこそ横綱という感じです。
横綱の資格はまずもってその実力と人並み外れた成績であることは言うまでもありませんが、心・技・体といわれるように、ただ強いだけではないすべてをひっくるめた、見る者を一瞬にして納得させるオーラが無くてはなりません。

やや下り坂気味だった千代の富士の53連勝の時とは違って、白鵬の相撲にはまだはち切れんばかりの力が漲っていて、これはどこまでいくかわかりませんね。はじめの頃は双葉山の69連勝なんてゼッタイムリと思っていましたが、どうやらそうではないような気がしはじめているのはマロニエ君だけではないでしょう。

千秋楽が終わってやれやれという感じでいたら、夜になって知ったことですが、なんとソフトバンク・ホークスも今夜リーグ優勝をきめたと知って、二重の驚きでした。
昔のダイエーがやはり優勝と、つづく日本シリーズで日本一になったとき、中州の橋の上に大騒ぎを見に行ったことを思い出しました。優勝に湧く群衆の中から、次々に川に飛び込む若者がいて、厳密なことを言ったら問題はあるのかもしれませんが、めったにないお祭り騒ぎの熱狂の中での出来事として楽しい思い出になっています。もしかしたら今ごろやっているのでしょうか。

ひとつだけ、野球の優勝で個人的にいただけないのは、あのビールかけです。
いくら嬉しいとはいっても、ホテルなどの屋内を飛び交うビールの放水で壁も天井もベトベトにしてしまうのは、ちょっと騒ぎ方としてはスマートさに欠ける気がしますが、今夜のビールかけは意外や野外のようでしたから、いくぶんホッとしました。
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バッハだけの世界

いまさら言うまでもないことですが、バッハの作品ほど楽器の特性を超越したところで作曲された音楽というのは類がないと痛感しました。

例えば、多くの鍵盤楽器の作品が、チェンバロから現代のモダンピアノまですべてを楽々と受け容れて演奏されるのは当然としても、ゴルトベルク変奏曲が弦楽合奏で演奏されても、何の違和感もなく音楽をして快適に聴き進むことができるのは多くの人が知るところでしょう。

未完の大作である「フーガの技法」もチェンバロ、オルガン、ピアノと楽器を選ばないところにこの孤高の作品は位置しているように思われます。
また昔はプレイバッハなるジャズバージョンも流行したことも忘れるわけにはいきません。

さて、最近珍しいCDを手に入れました。
ブランデンブルク協奏曲(全曲)をマックス・レーガーの編曲でピアノ連弾によって演奏しているものです。
ネットで見つけて、どんなものか面白そうなので買ったのですが、鳴らしてみると、面白いというよりはうんとまともというか、非常にすんなりと音楽が耳に入ってくるのに驚きました。

ブランデンブルク協奏曲は、すでに合奏協奏曲での演奏で耳にタコができるほど聞き込んでいる名曲中の名曲ですが、それが今はじめてピアノで鳴っているというのに、何の違和感もなく曲がすらすらと現れて流れるのには驚きました。
まるで、もともとピアノ曲であったかのように自然で、いつしかオリジナルが合奏協奏曲であったことをつい忘れさせるほどです。

こういうことは、しかしバッハだけのものであって、たとえばリストがソロピアノに編曲したベートーヴェンの交響曲(一時期カツァリスがよく取り上げていました)や、2台のピアノで演奏されるブラームスの交響曲などは、聴いていて意外性やそれなりのおもしろさは感じても、しだいに飽きてきて、最後にはどうしてもオーケストラの演奏を聴かずにはいられない欲求に駆られるものです。

ところがこのピアノ連弾によるブランデンブルク協奏曲はそういう不満感がまるで起きないのです。
演奏ももちろん見事で、ピアノも100年以上前のスタインウェイを使って演奏されていますが、そんなことよりもバッハの超越的な作品の凄さというものをひしひしと感じさせられるCDでした。
やはりバッハは時代や楽器を超えた、孤高の作曲家ですね。
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携帯パニック

どうしたものか、今年は次から次に電気製品が故障したり不具合が発生する年のようです。
マロニエ君は現在、ソフトバンクの携帯(iPhoneではない)を使っているのですが、現在の機種を使い始めて半年ちかく経ったころからバッテリーの消費が激しくなり、修理ということで代替機を使うことになりました。
10日ほどするとショップから連絡があり、引き取りに行ってみると、やはり機械的な問題があったらしく、問題の箇所は新品に交換した旨の報告を受けました。

それから数ヶ月経ったころ、やはりまたバッテリーの保ちが悪くなり、今度はそろそろバッテリーの寿命かと思い、貯まったポイントを利用をして新しいバッテリーを購入し交換しました。
ところが、それを使い始めて二ヶ月も使ったころから、またしてもバッテリーが保たなくなり、毎日充電してあまり使わなくてもすぐに電池レベル表示は不足の警告を出すようになりました。

今回はバッテリーは新しく、寿命ということは考えられないのでショップに出向いて事情を話したところ、とりあえず別のバッテリーの貸し出しを受けて様子を見ることになったのは、以前このブログにもちょっと書きました。

さて、そのショップが貸してくれた中古のずいぶん汚れたバッテリーを使ってみたところ、なんとこれが何の問題も無いことが判明。すなわち購入したバッテリーが不良品だったことがわかりました。

その旨、ショップに電話して不良品を交換してくれるように頼んだのですが、ここからが大変でした。
ショップはショップの関与したことにしか責任をとらず、ネットで注文購入したものについては独自にネット注文の部署に掛け合ってくれと言うのです。やむなく教えられた番号にかけると、ガイダンスにしたがって際限なく操作を繰り返し、やっと人間の声にたどり着いたと思ったら、今度はひと言なにか言う度に「少々お持ちください」を連発するばかり。

その挙げ句、不良品を交換するためにはバッテリーをいったんショップに持っていくように言われました。
しかし、そもそもショップはネットで買ったモノについては関与しないと言うのでかけた電話であるというと、またお待ちくださいの挙げ句、「折り返しお電話します」となります。これを実に3回繰り返したあげく、ついに「特例として」新しいバッテリーを送るということになりました。ここまでくるのにもうヘトヘトでした。

これで終わりかと思うと、今度は不良品を宅急便で送って欲しいので、住所のメモをお願いしますといわれました。
さすがにカチンときて、それは拒否し、ショップへ借りたバッテリーを返しに行くときに一緒に渡しておくので、あとはこれ以上客の手を煩わせることなく、社内で処理してくれというと、ようやくそのように収まりました。
電話に出る女性は言葉は丁寧なのですが、判断力が無く、応用が利かず、生きた処理ができません。
決められたシステムを守るためにはお客にどれだけ迷惑がかかっても、そこは問題ではないようです。

この一連の電話が済むだけでも、実に一時間半!!を要しました。
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気骨あるピアニスト

昨日、ブログに書いた「ピアノの本」ですが、処分する前にパラパラとめくってみると、ちょっとした文言が目にとまりました。

ピアニストの小川典子さんによる文章で、英国のマレー・マクラハランというピアニストを紹介しているものでしたが、注目すべきはマクラハランが恩師に言われたという言葉でした。
「気骨あるピアニストを目指すなら、コンクールには一切出場しないことだ。」
なるほど!と思いました。
彼はその教えを忠実に守り、地道な努力によって骨太なピアニストに成長したらしく、いまや世界で活躍しながら、地元の音楽学院の教授をつとめ、CDもすでに40タイトル以上に達しているようです。

現代ではピアニストを志すものがコンクールに出場するのはごく当たり前であって、それに値する実力がありながら、一切出場しない正道を進むのは、よほどの勇気と決断の要る事だろうと思います。
率直に言うなら、コンクールは一攫千金的な側面があって、世界の有名コンクールともなれば、優勝すれば一夜にして有名人になることができる上、ステージチャンスは舞い込み、経歴としても単純・明快・確実だから、コンサートピアニストを目指すほどの人は当然のように出場するのだと思います。

中にはコンクール中毒のような人までいて、世界各地のコンクールにとにかく出場することが生き甲斐みたいな人までいるのです。
どんなに指は達者でも、こういう人は決して本物のピアニストにはなれないでしょうね。

いっぽう、コンクール経験なしでピアニストを目指すのは生半可ことではありませんが、でもそれが可能なら、もちろんそのほうが演奏家として本物だとマロニエ君も理屈抜きに、直感的に思います。
コンクール歴がなければ、自分を飾る肩書きもなく、より純粋に優れた演奏だけが勝負であり、その蓄積によって遠い道のりを一歩一歩前進するしかありませんからね。ここが「気骨」だろうと思いますが。
真っ先に思い浮かぶのはエフゲーニ・キーシンで、彼はこれといったコンクール歴のないまま、現代最高のピアニストの一人に数えられるまでに上りつめた希有な一人でしょう。

コンクール歴のない人の演奏は、どこか昔の巨匠にも通じる、一種の人間くささ、誠実さ、魂の純潔、芸術家として必要なストイシズムをもっていて、そういうところからぎゅっと搾りとるように汲み出された音楽が、我々聴く者の心を打つのだろうと思います。
その点、コンクール出身者は、素晴らしい人もありますが、おおむね難しい受験に合格した勝利者という印象です。
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「ピアノの本」

ヤマハのレジの横に置いてある「ピアノの本」という、たいそう小さくて薄い、わずか40ページほどの冊子があるのをご存じですか?
いちおうは月刊誌らしいのですが、普通の雑誌の付録にもはるか劣る、とてもお金を出して買うようなものには見えないものです。
せいぜい航空会社の時刻表並みですが、紙質ははるかに劣りますし、カラーは表紙のみです。

それでなくても今時は、無数のたいそう立派なフリーぺーバーが世の中ひしめき合っている中、なんとこれが有料だというのですから開いた口がふさがりません。だれがあんなものをお金を出して買うんでしょう?

ところが、それが現実にレジ横で105円で売られていて、しかもピアノの先生の何とかいう会員とかであれば無料とのことなのが甚だ愉快ではありません。一般の客でもレジではちゃんとお金を出して定価で商品を買っているのに、これではまるで差別されているみたいで不愉快なので、マロニエ君はこれまでに一度たりとも買ったことはなく、したがって常々ほとんど読んだことはありません。

そういう一部優遇制度が撤廃されれば気まぐれで買うこともあるかもしれませんが。
逆にいうと、あれを敢えて105円出して買う人はまずいないと思うので、だったらどうして無料にしないのかと訝しく思うばかりです。
しかも、以前ヤマハの別店舗ではタダでもらったことがあるので内容を見てみると、ピアニストへのインタビューとか、先生の紹介、ヤマハのコンサートや公開講座/公開レッスンの案内、あとはヤマハのイベントやヤマハの新製品や新刊のニュースの羅列で、要するにヤマハに関する宣伝の類ばかりが書かれた冊子です。

これを一部の先生だの会員だのにはタダで渡し、お金を出して現実にモノを買っている一般のお客さんには105円也を請求するとはなんたることかと思いました。
別店舗では「どうぞお持ちください」と言われたこともありますが、天神では頑として売り物扱いですからいい度胸だと思いました。

タダでも読んでもらえるだけ幸せと思うべきところを、何を勘違いしているのでしょう。
これを無料にしたところで、みんなが一斉に持っていくようなものではぜんぜんありませんし、そもそも刊行された印刷物は少しでも多くの人に読まれてこそ意味があるというもの。

いかなる企業も顧客の確保とサービスの向上には、それこそ血の滲むような努力をしているというのに。
思うところをヤマハの担当者に電話して、鋭意検討の上、善処してくれるよう伝えました。
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バレンボイム

【いただいたコメント】
名前:福岡から タイトル: 今年聴いたショパン-No.19〜24

今年聴いたショパン-No.19〜24を拝読しました。読み応えのあるシリーズでした。最近は恵まれていて、あまり聞いたことがないピアニストも右クリックで動画検索に入り瞬時に数曲効けるという王侯貴族でも不可だったことがモバイル環境で可能ですね。

私の良く聞くピアニストについては賛同できる面が多々ありますが、やはりバレンボイムについては、彼しか引き受ける人間がいなかったのだと思います。彼は今の年齢66才でもベートーベンソナタ全曲ライブとか破天荒な試みを成功させておりますし、ショパンもかなり古くからレコードがあります。

彼のアコーギクなりルバートには鼻につく面がありますが、それなりに全曲大きな破綻なく収めるベテランが、若手のキーシンに対していなかった(引き受けてくれる人が)ということではないかと拝察します。

個人的には完成度はともかくバレンボイムのように何でも弾けるといいなあ、と思う毎日です。普通の人にとって人生はショパンにせよベートーベンにせよ全曲弾くにはあまり短すぎるものですから、その観点でバレンボイムを評価している一人としてペンをとりました。今後のエッセイも期待しています。

【マロニエ君より】
コメントをいただきありがとうございました。
最近のバレンボイムはせっかくの才能を乱費しているようで残念です。指揮をする量が増え、壮年期に入ったあたりから仕事の質が次第に落ちたと思います。子供の頃はモーツァルトの再来のように言われた神童だった聞きますが、歳をとり、世間の垢にまみれ、ついには大手スーパー並の演奏商売をはじめた観があります。

たしかに彼のように何でも弾けるのは羨ましいですが、アシュケナージもそうであったように、あまりにも無闇に広範なレパートリーを手中にしようとするピアニストは、どうしても仕事が粗く、音楽に霊感が無く、いつしか音楽の土台までがこわれていくような気がします。

おっしゃるようにピアノのレパートリーはあまりにも膨大で、人の一生では時間が足りないというのは同感です。
ところが、現代ではいつの間にかベートーヴェンを弾くなら全曲演奏は当たり前というような風潮で、誰もが音楽と言うより記録作りのたぐいにばかりに精力をさいて無意味な挑戦するのは危機感を覚えます。
いつもながらお粗末な文章をお読みいただき恐縮ですが、今後ともよろしくお願い致します。
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ベビーカー

成熟した社会では、弱者に対して思いやりの心と手厚く温かい対応が必要とされることはいうまでもないことですが、ときどきそういう高尚な理念とはかけ離れた光景を目にして、大いに疑問に思うこと、違和感を感じることがあるのは決してマロニエ君だけではないはずです。

過日もデパートに行って、満員で乗れない人も多く出るような状況のエレベーターに、何憚ることなくベビーカーを突っ込んでくる人がいるのは見ていてあまり気持のいいものではありませんでした。

それもお母さん一人という状況ならわかりますが、両親そろっているのなら、混み合う満員のエレベーターに乗るときぐらい、公衆道徳といえば言葉が硬いでしょうが、臨機応変に子供を抱いてベビーカーを畳むぐらいのことをしたらどうかと思います。ひどいのになると、夫が子供を抱き、妻が空のベビーカーを悠々と押して入り、ぐいぐいと奥に詰めて場所を空けろといわんばかりのパターンもあります。

また、知り合いと一緒に買い物らしく、二台同時に入ってくることがありますが、ベビーカーというのは意外にサイズもあり、それが二台ともなると、普通の人が乗る数は多いに制限を受けますが、ベビーカーというものがまるで社会特権でももっているかのようなどこか高慢な態度と表情が、迷惑をかけているまわりの人達の心証にとどめを刺すように思います。

もちろんベビーカーをエレベーターに乗せるのが悪いと言っているのではありません。しかし、わずかでもスペースを譲り合うべき状況で、他人にやむを得ぬ迷惑をかけることに、なんの躊躇も遠慮も感じていない様子を目撃するのは、決して珍しい光景ではありません。まるで子供を盾にして自分の露払いをしているような印象。

しかも、あまりにも他人への思いやりがないために、人の荷物を引っかけたり、あやうく老女がつまずきかけるのを目撃したこともありますが、だいたいこの手の親は、ちょっとしたお詫びのひと言もなく、赤ん坊という最大の弱者を連れていることで、どことなく「生類憐れみの令のお犬様」のような圧力を感じてしまいます。

一番驚いたのは、やはりエレベーターで、さんざん人をよけさせた挙げ句に入ってきたベビーカーでしたが、なんとそこに赤ちゃんの姿はなく、買い物の荷物ばかりが積み込まれていて、これにはエレベーター内の乗客は呆気にとられ、無言の視線をその女性に送っていましたが、その女性ときたら何の悪びれたところもなく、必要以上に堂々としていたのが印象的でした。
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かけた電話が…

ちょっとした要件があって友人の携帯へ電話したところ、むこうはちょうど知人の入院見舞いに行って、たったいま車に乗ったところとだったと告げました。
それはちょうどタイミングがよかったと思い、1〜2分ほど話をしていると、友人が突然アッと言ったかと思うといきなり電話を切ってしまいました。どうしたんだろう…と、すごく気にはなりましたが、そこは敢えてかけ直すことはしませんでした。
というか、なんだか嫌な予感がしたので、とりあえず何もしないほうがいいような気がしたのでした。

それからしばらくの間、マロニエ君も落ち着かないまま待っていると、10分ほどして向こうから電話がかかってきました。悪い予感は的中しており、運転中に携帯電話を使用したことでパトカーに捕まったらしいのです。
この通話がもともとマロニエ君がかけた電話であったことで、責任の一端がこちらにもあるようで、申し訳なさがつのります。
言い訳のようですが、マロニエ君は「たったいま車に乗ったところ」というのを、文字通りドアを開けてただ乗っただけで、車はまだ動いていないと思っていたのです。もし、運転中と知っていれば普段からさっさと切るようにしています。

今、後のパトカーの中で反則切符を作成中だそうで、なんともいやーな光景が目に浮かびました。

摘発の方法がまた驚きでした。
なんでも、パトカーから電波を使って携帯電話を使用中かどうかを測定するのだそうで、使用中ということがわかると、そのまま40m追尾することで、違反が成立したということになるそうです。
この方法は、以前も聞いたことがあるにはあったのですが、実はマロニエ君はあまり本気にしていませんでしたので、やはり今回このようなことになって、それが事実だということがよくわかりました。

だとすると、街頭などで警察官が、運転中に携帯で話している人を「見ただけ」では、証拠不十分で摘発できないのだろうかとも思います。
ただ携帯電話を片手に持って運転し、通話もなにもしないで話しているフリだけをしたとすると電波による確認ができないわけで、そういう場合はどうなるのだろうかと思ってしまいます。
まさか運転中は携帯に触っただけでも違反というわけではないと思いますが…。
とはいっても、シートベルト装着などは、見ただけで摘発されるわけですから、まあ余計なことはしないことですが。
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モンスターペアレント-2

昨日の続き。

ある学校では毎月一回クラスの席替えを行っていた。
方法は公平なくじ引きで、席番号を書いた紙をみんなでひくというもの。すると翌日学校に一人の親から担任に電話がある。今回の席替えで我が子の隣が望ましくない子になったので、もう一度席替えをしてしてくれと主張する。それはできないと断るが、受験も控えているが失敗してもいいのか?などと猛烈に食い下がる。
とうとう根負けした担任が同じ方法で再度席替えをおこなった。するとまたしても電話が。今度のとなりの子も望ましくない子で、やはり困るので、もう一度席替えをやって欲しいと吠えまくる。

一家で食事をしていると、息子のお箸の持ち方がおかしいことを父親が発見する。その持ち方はおかしい、それでは学校の給食時間に先生から怒られるはずだというが、息子はべつに怒られないと答える。この事実に両親とも怒りをあらわにする。
翌日、父親が担任に電話をし、うちの子がお箸の持ち方がおかしいのに、なぜきちんと学校は教えないのかと、まるで学校の怠慢のようにまくしたてる。驚いた担任が、お箸の持ち方の指導はご家庭でお願いしますというと、父親は完全にキレる。
義務教育なんだから学校がお箸の持ち方を指導するのも当然のはずだ、そもそもアナタ方の給料は我々の税金で払われているんだ、我々が毎日忙しく働いて納めた税金のお陰でアナタ方は生活できているんだと吠えまくる。そして最後に名言を残す。
「一体、そちらではどういう教育をしているんですか!!!」と。
これにはさすがにスタジオの一人が言った。
「あれはふつう先生が親にいうセリフでしょう」と。ごもっとも。

これら以外にもマロニエ君は似たような話を聞いたことがありました。
ある子供が問題を起こして、親が学校から呼び出される。
ところが母親は働いていて、その都合ばかりを優先させ、そもそも子供のしでかしたことで呼び出しをされているという状況認識ができていないらしく、先生が強く要求することでようやく来ることに。
母親と子供と先生で話し合いがもたれ、一段落付いたところで母親が切り出す。
今日は先生がどうしてもと言われるので無理して大事な仕事を休んでしまった。だから、その賃金の損失分は学校側が負担するべきではないか?と先生に詰め寄るというものでした。

専門家の話では、現在、全体の約一割程度この手の親がいるそうで、1990年代からこうした現象が生まれはじめたのだそうです。
いやはやとてもじゃないですが、完全に笑い話レベルですが、素直に笑えない不快感があります。
先生もストレスたまるでしょうね。
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モンスターペアレント-1

少し前に録画していたテレビ番組で、現在学校現場で大きな問題になっている、いわゆるモンスターペアレントの特集があったのをようやく見たのですが、その内容たるやすさまじいもので、実際の話なのですからただもう驚きました。
先生も昔とは違って大変過酷な仕事になってしまったようです。

内容は概ね以下のようなものでした。

体育の授業中、生徒が自分でサッカー場のポールに頭をぶつけてケガをしたので、先生が医務室ではなく、直ちに近くの病院へ連れて行ったところ大事には至らず、数回の通院で済むことになった。知らせを聞いて駆けつけた母親は一安心したのち、突如、先生に向かってなぜこの病院に連れてきたのか?と聞く。学校から一番近いからというと、母親は通院すると家からは遠いので、家の近くの病院がよかったのにという。
そして、ここに通院するのなら(先生の判断でこの病院になったわけだから)、それに要するタクシー代は学校から出るんでしょう?と詰め寄る。

学芸会でビデオを手にした親達が我も我もと揉み合うように我が子の撮影に興じる中、上手く撮れなかったことを妻子に責められた父親は、なんと学校の校長室に行って、もう一度学芸会をすることを要求。断られた父親は、それじゃあうちの子の思い出が撮れなくてもいいって言うんですか!と校長を相手にキレる。

似たようなもので、運動会のかけっこをビデオ撮影していると、先頭を走っていた我が子が運悪く転倒する。結果ビリになってしまったことにどうしても納得できず、学校側にもう一度やり直しを要求。転びさえしなければうちの子が一等だったのに、ビリになるのはおかしい、かわいそうだと父親がまくし立てる。

学芸会で白雪姫をすることになり、希望者によるくじで白雪姫役を決定した。ところが、翌日先生に電話が殺到。うちの子がなぜ白雪姫になれないのか、帰宅してから泣いていたと、などと責め立てられ続け、ついに白雪姫ばかりが舞台上にずらりと並んで登場し、その親たちだけが盛り上がって拍手を送った。
魔法使いも7人の小人もいない、原作を踏みにじる出来事として海外のメディアにも取り上げられた。

授業参観で親たちが教室の後に立ったまま、授業中にもかかわらず勝手なおしゃべりを続けて止める気配がない。先生は咳払いなどして注意を促すがまるで効き目なし。そのうちおしゃべりは生徒へも波及し授業にならない。ついに先生がおしゃべりをする生徒を注意し、その流れで親たちにも少し静かにするように言うと、一人の母親が逆ギレ。なんで私を見るのか!しゃべっていたのは私だけじゃない、だいたい授業があんまりつまらないからこういうことになる。もう少しマシな授業をしたらどうか?と逆襲する。

どうです?すごいでしょう。
つづく。
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草戦争-その後

朝夕はずいぶん涼しくなりましたね。
我が家の庭は例の化学兵器の投下により、今年の草はほぼ壊滅し、その点ではなんとも快い日々を送ることができました。
これなくしては草の伸びる猛烈な勢いを抑えることは到底できないし、ましてや今年のような猛暑日の連続とあっては、果たしてどんな恐ろしいことになっていたか、考えただけでもゾッとしました。
投下前の状況からしても、例年以上の規模と勢いがあったのは確実でしたし。

マロニエ君のような根性ナシでは、逆立ちしたって、とてもじゃないですがあの酷暑の中、草取りなんかできるわけがありませんし、草刈り機をかけたところで、すぐまたグングン伸びて、ものの一週間や十日で元に戻ります。
かくして庭は、ゲゲゲの遊び場状態となるのです。

草が枯れていることで思わぬ副産物がありました。
それは蚊が少ないということでした。
考えてみれば、こんなことは当たり前のことなのでしょうが、はやり直接それを経験してみるとしみじみ効果を感じるものです。
蚊の大半は、草木の中を根城しにているのでしょうし、以前よりも変なムシの類も格段に少なかったように感じます。
こんなことはあまり書きたくはないですが、夏になると年に1〜2度は蛇をさえ目撃することもありました。
それがガレージの中に混入してしまって、大騒ぎになり、ついには警察を呼んだこともありました。

除草剤はそういう一切からも我々を解放してくれたような気がしています。
そんな話をしていると、友人の一人が「あまりそんなことをしたら、土地が汚染されるんじゃない?」などと大げさな脅しをかけてくる輩もいますが、べつに家庭菜園をするわけでもなく、要はなにを優先するかの問題です。

ところが最近、効き目が消えてきたのか、草のなくなったはずの庭のあちこちに、またしても雑草の一種だけがにょきにょきと出てきました。
すでに20センチ前後にはなっていますが、生え方はまばらで、そのうちまた「投下」すれば済むと思うと、フンと余裕で見つめています。
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笑顔の記憶

お食事リンクにあるハシダ洋菓子店は、数ある洋菓子店の中でも、独特のお店だったと思います。
時代の波で、洋菓子店といっても次々に新しいものや変化が押し寄せてくる中で、ハシダ洋菓子店は小さいけれども決してスタイルを変えない店で、ここに行くとマロニエ君が子供だった頃そのままの、まさに昭和の時計が止まったまんまといった風情でした。

この店は老いたご夫婦でやっていて、作っているのは頑固一徹のような職人肌のご主人で、普段は店の奥で黙々と仕事をしていて、お客さんともまずほとんど口をききません。ごくまれに接触しても、その無愛想なことといったらありませんでした。

そんなご主人とは対照的に、小柄な奥さんはいつもエプロン姿で店頭に立ち、いついかなるときにも例外なくこぼれんばかりの笑顔で接客していましたから、この店のイメージはそのまま奥さんのイメージでもあり、とびきりの笑顔と丁寧な接客で成り立っているのは、この店を知る人ならみんな知っているはずです。
常連さんだけでなく、はじめてこの店を訪れた人でも、この奥さんの笑顔と接客姿勢は強く印象に残るものだったようです。

ケーキの種類なども決して豊富ではなく、中にはどう見ても時代遅れなものもありました。
それでもいくつか好きなものがあり、おまけに休みもなく、いつでも夜遅くまで確実に開いているので、考えてみるともうずいぶん長いこと、ふっと思い出しては買いに行っていました。
中でも、クリスマスなどのデコレーションケーキは、生クリームとスポンジという基本形なので、そこはご主人のベーシックな製法が功を奏して、とても美味しく、そのうえに安いので毎年注文するのが我が家の慣わしでした。

それが数日前に会った知人から、思いがけない話を聞かされ大変なショックを受けました。
店の看板ともいうべきあの奥さんがつい最近、病気で亡くなったとのこと。
それを追いかけるようにご主人も同じ病気になり、ついに店はシャッターを降ろしたという話でした。

マロニエ君の意識の中では、未来永劫あの店はあそこにあるものと思っていただけに本当に驚かされました。
昨日、気になって店の前を通ってみたら、なるほど昼間だというのにシャッターが降りていて、小さな張り紙がしてありました。
…長いこと、本当にお疲れ様でした。
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圧迫感と解放感

いまさら繰り返すまでもないほど何度も書いてきたことですが、マロニエ君はとにかく人前でピアノを弾くということが自分でもちょっと異常じゃないかと思うぐらい苦手です。

一昨日もある会場でサークルの定例会が行われましたが、そこは普段より比較的広い会場ではありましたが、それでもホールではないのでピアノと客席との距離がすごく近いわけで、これが心理的にもの凄い圧迫になるのです。
だいたいピアノサークルで利用する会場というのは狭いところが多く(もちろんホール借り切りというわけには行きませんから当たり前なのですが)、人の目と存在がめちゃめちゃ至近距離で、そんな中で弾かなくてはなりません。
ちょっとした自己紹介も嫌なマロニエ君にとっては、こんな見つめてくれと言わんばかりのシチュエーションで順番に歩み出てピアノを弾くというのは、まさに恐怖そのものなので(たぶん心臓にも悪いだろうし)、いつもそのたびに「これを最後に見学者になろう」と思うほどです。

ところが、そんなマロニエ君ですが、極限的に耐え難い状況と、そこまででもない状況があるということがわかりました。
それは機会があって、何度か本格的なホールのステージ(もちろん客席には数人の関係者以外はいません)で弾いてみると、これが思ったほどキンキンには緊張しないことがわかり、これは自分でも非常に驚いたことでした。

その理由は幾つかありますが、まずホールというのはとにかく圧倒的に広い空間であるために、開放的で息がつまるということがありません。ステージに置かれたコンサートグランドも、はるか小さな楽器に見えるほどです。
それに音がことごとく遠くへやわらかに飛び去って行くので、思わず心が澄みわたるような気分になるのです。
とりわけマロニエ君にとって一番の有難い点は、ピアノの近くに人がいないということ。

客席に少々人がいても、ステージとはかなり距離があり、床の高さも照明も厳然と区分けされ、ステージが独立した空間のように思えるためか、意外に自由で快適に弾けることがわかりました。
要するにちょっぴり自分の世界を作れるのです。

ピアノサークルでは、マロニエ君ほど極端ではないにせよ、こういう状況を苦手に感じている人もいる反面、口では「緊張する!」なんて言いながら、どうしてどうして、大いに楽しんで弾いている人もいらっしゃるのは何度見ても驚きます。
よほど神経の構造が根本的に違うのでしょうが、実にうらやましいことです。
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練習の迷い

日本で最も有名な女性ピアニストがよく使う言葉に『練習は決して貴方を裏切りません!』という格言めいたものがありますが、マロニエ君にしてみれば必ずしもそうではない場合もあるのだということがわかりました。

昨日はピアノサークルの定例会があったのですが、そこで演奏するための曲を、最近ときどき練習をしていたのですが、これまでそれなりに弾いてきたつもりの曲というのは、あらためてきちんと練習し直してみると、いろんなところが気になりはじめたり、これまでちょっとした思い違いをしていたことがわかったり、とかくいろんなチェック項目が出てくるものです。

これがぽつぽつ出てくると、当然それらを考慮し修正しての練習──厳密にいうなら新たな練習になりますが、そのせいで普通に弾けていたところまで壊れてくる事が往々にしてあり、結局、練習前よりも全体がガタガタになっていってしまいます。
より滑らかに、より確かに、より美しく弾くための練習のはずだったものが、かえって寝た子を起こしてしまうような結果となり、混乱しはじめると、もうとめどがありません。
単純に言うと、練習すればするほど自信がなくなっていくわけです。
自信が無くなるということは、弾けていた部分を弾くことにも新たな不安がつきまといはじめるわけで、こうなると何のための練習かといった感じで、ただもう気持ばかりが焦ります。

それはひとつにはこういうことだろうと思います。
もともとの練習がキッチリ正確に出来ていないまま、それで何となく仕上がっていたものが、新たにちょっと真面目に練習することで、未解決の問題点などが洗い出されてしまい、その修正作業にエネルギーを費やすことになるのでしょう。

いや、しかし、そればかりではありません。
練習って、やっているとだんだん上達して自信がつくその裏に、だんだん自信をなくすという逆の一面が潜んでいるのだと思います。
抽象化され感覚化されていたものが、練習によって再び具体化され分解されてしまうとも言えるような気がします。
さらには、音楽はこれで終わりというものがない世界だから、たとえ下手な素人でも音楽的に精査して踏み込んでいくと問題は次から次に出てくるわけです。
はああ、とりあえず定例会が終わってやれやれというところです。
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ビデオパニック-その後

ビデオが故障したのは大変な痛手で、録画していた番組がすべて失われたのは精神的にもショックだったことは事実でしたが、日が経ってみると所詮はビデオはビデオで、大事な本やCDが失われたのとはやはりちがいます。

さて、このDVDレコーダーはテレビと一緒に2年前に国内最大手といわれる有名電気店で購入した物でしたが、販売店に修理依頼をしたところ、これが予想以上にてきぱきと対応してくれたことは悪い気分ではありませんでした。
電話に出た担当者は、こちらの状況説明で、ハードディスクが壊れていると判断し、おそらくそれの交換になるので、すぐ伺っても良いけれども、できればまずはその部品を揃えてからのほうが良いのでは?といわれました。
その提案は合理的で尤もだと思い、了解しました。

それから数日して部品が揃ったので伺いたい旨の連絡がありました。
訪問時間の取り決めをし、翌日その通りにやってきました。

こちらの大まかな説明を聞いた後は、スムーズに修理に取りかかり、大した時間もかからずに完了しました。
ついでに電波の状況など、テレビとビデオがキチンと映るための環境のチェックもしたらしく、そこで感じた問題点などもわかりやすく伝えてくれました。
昔のテレビから引き継いでいたアンテナの差し込み口の部品が古くて好ましくないということで、これも新しいものに交換してくれて作業はすべて完了しました。

ちなみにマロニエ君は購入時にこの店の長期保証というのを勧められてこれに加入していたので、その関係書類などを提示しようとしたら、すでに店の記録でその確認をした上で来ているので、その必要が一切なかったことも驚きでした。
修理完了までの一連の流れはとても気持ちのいいもので、結局お金も取らずに、またなにかあったらいつでも連絡してくださいという頼もしげな言葉を残して去っていきました。
要するに、故障はしたけれども、その解決と修理に際しての面倒を、迅速かつ最少限のものにするというシステムが有効に機能しているようでした。

この有名電気店で買ったのは別にこれといった理由があったからではなかったのですが、やはり業界トップに君臨する店というのは、いざというときにそれなりのものがあるのだなあと感心してしまいました。
今回の一例で言えば、明らかにメーカーのサポートを上回る快適さをもっていると感じました。
とくに商売で大事なのはお客の心証をよくすることで、それを勝ち得れば次に繋がるということを経営者は知り抜いているのでしょうね。
すっかり好感を持ってしまったマロニエ君でした。
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日本人のような中国人

いま使っている携帯電話にちょっとした不具合があるので修理をしなくてはと思いつつ、携帯ショップでの待ち時間などを考えるとなかなか腰が上がりませんでしたが、思い切って行きました。

友人から、天神のソフトバンクのショップは直営店だから他の店舗よりもいいとアドバイスされて、そこにいきました。
ショップの面積こそ決して広くはありませんが、ここは展示品の数などが極端に少ないかわりに、受付の数が多く、マロニエ君も待ち時間ナシですぐに要件にかかることが出来ました。

端末を預けて修理に出し、その間、代替機を使うという手順ですが、いろいろと事情のあることも判明したために、今日すぐにそれをすることは見送り、とりあえず別のバッテリーを借りて、それでしばらく様子を見ることになりました。

そんなことはどうでもいいのですが、驚いたのは対応してくれた女性でした。
いろいろとやりとりをする中で、この女性が首からさげたストラップの途中に、小さな中国の国旗がくっついていることに気がついたのです。ご多分に漏れず携帯ショップの用事というのは何かと時間がかかり、こちらもヒマな瞬間がしばしばあるものです。

で、はじめは気にもしませんでしたが、どうやらこの女性が中国人であることが途中からわかりました。
そうだと気がつけば、ちょっとした雰囲気とか話の感じがわずかに日本人とは違うのが理解できましたが、それがすぐにはわからないぐらい日本語も達者で、しかも店頭でお客を相手に使う用語なども日本人とかわりなく(日本人の敬語自体が崩壊しているとは思いますが)すらすらとしゃべって、しかもややこしい機械操作やシステムを駆使しながら、こちらの持ち込んだ問題にテキパキと対応していく能力には目を見張りました。

マロニエ君など中国語もできないし、自分の携帯電話さえ使いこなしているとは程遠い単純な使い方しかできていません。向こうはもちろん給料をとる仕事なのですから、操作やシステムに詳しくて当たり前と言ってしまえばそれまでですが、素直に大したもんだとびっくりしました。
おそらくは日本語をマスターする前の留学生などが、携帯電話を買いに来るために中国人を配置しているのだろうと思いますが、決して中国人専用ではなく、日本人にも何不自由なく対応できるのはお見事でした。
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張りぼて

マロニエ君は現在、ちょっとしたアレルギー系の治療(大したものではありません)があって近所の医院に通っていますが、そこの先生に別の医師を紹介され、ぜひ一度行ってみてくれといわれたので、気は進みませんでしたが日ごろお世話にもなっているその先生の顔を立てるつもりで出かけていきました。

そこは、福岡市の百道浜にある新しい大きな病院で、今の新しいトレンドなのか、まるでホテルと見まごうような作りで一時話題になった病院です。
正面玄関を入ると自動演奏付きのグランドピアノが置かれていて、高い吹き抜けにはシャンデリア群が輝き、とにかく今どきの人には「贅沢で特別な病院」と感じさせるような作りになっています。受付もロビーもホテル風の構えで、そもそもマロニエ君は基本的にこういう上っ面の豪華趣味が好きではありません。

受付を済ませ、二階の専門ごとにわかれた外来の診察室に向かいますが、従来の病院くささを排した装飾的な内装や調度品などは、これでもかとばかりに続きます。診察室の前は各科によってガラスで仕切られ、それぞれが空港のVIPラウンジのような感じで待合室になっています。

今回の診察は予約されたものでしたから、時間の少し前には着くように行きましたが、そこに他の患者はゼロで、要するにマロニエ君だけでした。
それなのに、時間になっても一向に呼ばれることはなく、「先生はいまこちらに向かわれています」などと何度か受付の女性や看護士が言いに来ましたが、ずるずると時間ばかりが経過し、ついに30分を超過した段階で帰ろうと決断しました。それを看護士に伝えると、あわてて「いま来られましたので(??)、診察室へどうぞ」ということになりました。

中に入ると、中年の女医が見るからに横着な様子で椅子に座っていて、嫌な直感が働きました。
むやみに上から目線で、遅刻を詫びるでもなく、いきなり横柄な調子で症状の話をはじめました。語尾に「デス/マス」もつかない無礼な物言いがさらに神経にさわりました。
こういうことの看過できないマロニエ君は、向こうの質問を遮り「今日のお約束は××時ではありませんでしたか?」というと、「しってるよ。」それがどうした?といったいささか硬直気味の開き直りでした。

こういう礼儀もなにもないような人に自分の体を診てもらおうとは思いませんので、こちらの考えを言って席を立ち、一階の受付で事の顛末を説明して帰宅しました。
どんなに借金して豪華な箱物を作り「患者さま」などと言ってみたところで、あれでは『仏作って魂入れず』の喩えの通りで、豪華さがかえって虚しく泣いているようでした。えてして今の世の中とはそんなもの。
立派なホールを作っても、地元のカラオケ大会しか使い道のないのと同じです。
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スズメバチ

なんとも恐ろしい光景を目にしました。
きのう、午前中外出して、ちょうど昼過ぎに帰宅して玄関に向かおうとしたとき、足元の石畳になにか小さな動きのある気配を感じました。
見ると、蝉が仰向けになって動いているので、そのへんの木に戻してやろうかと思った刹那、よく見るとアッとおどろくような状況になっているのがわかりました。

蝉の身体に大きなスズメバチが覆い被さっていて、生きている蝉の息の根を止めようと奮闘しているところでした。

スズメバチといえども、蝉よりはいくぶん身体は小さいのですが、勝負は完全にハチのペースで、蝉はなす術がない状況でした。
ときどき透明のきれいな羽尾をむなしくパタパタさせる蝉がなんとも哀れでした。
スズメバチは完全に蝉の上で思うさま蝉を攻撃して、まさに強者の姿でした。

驕り高ぶっているのか、ハチはマロニエ君が30cmほどに近づいているのにも目もくれず、まるでジャングルのライオンが獲物をしとめたときのように、一心不乱にその処理に熱中しているようでしたが、そのときのスズメバチの憎たらしさといったらありませんでした。
この段階で、すでに蝉の敗北は明らかでしたから、だったら一気に靴で蝉もろとも踏みつぶして、スズメバチを退治してやろうかという考えが頭をよぎりましたが、なにかが躊躇させてついに出来ませんでした。

いったんは玄関に入りましたが、気になってしばらくして見に行ったら、なんと、もうそこには何一つ残っていませんでした。
おそらく蝉を絶命させたのちに、巣に持ち帰って仲間とともに獲物をとことん食い散らしたのでしょう。

人間の世界もいいかげん厳しいですが、いやはや、いずこもすごいもんだと思いました。
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コメント紹介

【「東京から」さんからのコメント】
ピアノはカワイはもちろんのことスタンウェイでもヤマハでも出荷のままでは半完成品ですね。
どうしても湿気でスティックする安全率を見込むので環境によっては重りもバネもおもすぎです。
とくにリラの天秤のバネはヤマハで二山カワイだと三山カットしないと子供はひけないですね。
スタインウェイの場合はこれにソステヌートがからみます。
結構アクションの調子は気にするのですがペダルまで配慮がとどかない調律師が多いです

とくにピアノが弾けない調律しなんか論外ですね。さいていでもソナチネ程度が弾けないなら調律師は廃業すべきかもしれません。

【マロニエ君】
コメントをいただきありがとうございます。
おっしゃるように、ピアノはいずれも出荷段階では完成品とはいえないようですね。
以前耳にした話では、国産ピアノも以前より出荷調整が手薄になり、そのぶん末端の技術者の方の手間と苦労が増えているという話は聞いたことがあります。

ペダルはつくづくと重要だと思いました。
これが意志通りに機能しないと、いくらアクションの調整に精魂込められていても、結局のところ全体の弾き心地が崩れてしまうのがよくわかりました。

調律師も多少はピアノが弾けた方が最後の仕上がりが違うと私も思います。
運転の出来ない自動車整備士なんてあり得ないのと同じことですが、ピアノを弾くのは車の運転のように簡単ではないので、そう簡単なことではないと思いますが。
でも、それでもちょっとでも演奏フィールが理解できる程度には弾けて欲しいと思いますし、それは結果的に大きな差になってあらわれように思います。
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ビデオパニック!

エアコントラブルの次はビデオです。
こちらのほうが内容は明らかに深刻で、ハードディスクというものの恐ろしさをつくづくと思い知らされました。
昨日の夜、自室にいると家族からビデオデッキ(パナソニックのDVDレコーダー)の調子がおかしいということで内線電話がかかってきました。てっきりいつもの操作ミスだろうぐらいに思ってしぶしぶ下に降りていきました。

すると、録画した番組表示の画面が空っぽになっています。
こんな状態はこれまでに一度も見たことがないものでした。

あれこれと操作してみますが、押しても引いてもどうにもならず、どうやら深刻な故障が発生していることは次第に理解できてきました。
そういえば数日前に、録画した番組を見るとき、画面がタイルのように壊れたり、何度も途中で止まったりしていたので、おかしいなとは思っていたのですが、それがまさか、こんなことになろうとは想像もつきませんでした。

ビデオテープの時代とちがって、ハードディスクの故障では、採りためたデータが一瞬にして失われるという、なんとも残酷な仕打ちがユーザーに襲いかかります。
今はいくぶん落ち着きましたが、たかがテレビ番組とはいえ、やはり自分が任意で採りためていたものが一気に失われるというのは精神的にもかなりショックを受けるものです。
大したものは入っていませんでしたけれども、欠かさず見ていた大河ドラマの数回分や、かなりの数の日曜美術館、NHKスペシャルなどは、どうしても悔いが残ります。

音楽番組は別の機械で録画し、いつもDVDに移す習慣があるのでこちらは難を逃れましたが、家人が楽しみにしている連続物やちょっとした娯楽番組なども全滅です。

それにしても買ってわずか2年でこんなことになるなんて、メーカーの品質を疑います。
さっそく修理依頼しましたが、これだけショックを受けているのに、なんともシステマティックな機械のような対応しかしないのが無性に腹立たしく感じました。
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精密の均衡

先週、我が家のメインのピアノの再調整をやっていただきました。
これまでにもいろいろと気になるところがあり、具体的なことを言うのは微妙で難しいのですが、要するにあまり弾きやすいとは言えないところのあるピアノでした。

これまでに何度か調整を重ね、その都度、良い方向には向かっていたとは思いますが、いつもなにか課題を残した感じがつきまといました。

今年になり、打弦距離の調整などを重ねながら調整を進めていましたが、なんというか…途中である種の限界を感じていたことも事実です。
それはピアノの機構的な限界というより、もっと別のものでした。

その後の5月頃だったか、あるホールのピアノを弾いたところ、そのピアノの調整がとても好ましいものですっかり驚いてしまいました。
そこで、後日ホールに電話して、技術者の方をご紹介願って、うちに来ていただくようにお願いしました。
果たして快く応じていただき、すでにその方による来宅も三回目を数えるまでになりました。

今回は、とりあえず最後に残っていた課題である、主にペダルとダンパーの調整に3時間を費やしましたが、これを境にピアノは見違えるように良い方向を向き始め、ようやくにしてひと心地つけた気分です。

そこでマロニエ君なりのひとつの発見がありました。
要するに奏者にとっての弾きやすいピアノというのは、それを理解した技術者によって、こまかい専門的な作業や微妙な調整の、有機的な積み重ねの上にはじめて達成される精密の境地であり、そのどれが欠けても全体の調和は崩れ、したがって弾き易さには繋がらないということです。
この方のお陰で、何年来の雲がようやく晴れて、久々に青空を見たような気分でした。
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熱地獄

福岡市にお住まいで、日ごろ車を利用される方なら、天神のソラリアターミナル駐車場をご存じの方も多いことでしょう。
マロニエ君は天神に出かけるときは、必ずと言っていいほどこの駐車場を利用します。

さてこの駐車場、この夏は例年にも勝る、強烈無比な暑さに満ち溢れていました。
三越のあるビルの4階から上が一部駐車場になっていますが、ここは風通しが悪い上に、外は連日のうだるような酷暑、さらにエンジンという猛烈な熱源を抱えた車が所狭しと並ぶために、駐車場内の温度たるや、それはもう蒸し風呂なんてものではない、想像を絶する世界になります。
とくに車のエンジンは、回転時よりも停止後しばらく経ったときにその温度は最高潮に達するので、駐車場に居並ぶ車は、みな火の玉を抱えたようなものでしょう。

車を置いてエレベータホールに出るわずか数十メートルを歩くのさえ、全身がトースターの中で焼かれるよう暑さです。

昨日も用があってこの駐車場に車を止めましたが、夕方でさえ、頭がボーっとなるほどの猛烈な高温でした。
実際に温度計で測ったわけではありませんが、たぶんあそこは陽も差していないけれど40度は超えているものと思われますし、体温より高温の場所を一定距離歩くという経験は、マロニエ君の場合はこの駐車場が初めてだったように思います。

感心するのは、よくまあ連日あんな高温にさらされて、建物の床や柱が歪んだりしないものだとシロウト考えに思います。
このビルは、駐車場の一階下がバスセンターで、朝から晩まで長距離バスの巨体がひっきりなしに出入りし、さらにその一階下は電車の西鉄福岡駅になっているのですから、もしかしたら軍事要塞並の堅牢な建築物だったりするのかもしれません。

さらに感動してしまうのは、我が車です。
あんな環境に留め置かれた車が、これまた不平も言わず故障もせず、エンジンをかければエアコンからはせっせと冷気を出しながらまた従順に走ってくれるのですから、なんとも健気というか、いじらしいような気分になります。
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猿芝居の効果

最近また新たに、有名ピアニストによる、大人のためのレッスン番組が始まったんですね。
つい先日、偶然見ましたが、あれは一体なんですか。

このピアニスト、いろんなウワサも多いようですが、メディアへの露出欲も旺盛なようで、きっとタレント性も十二分にあるものと相当に自覚しているんでしょう。
しかし最近の高性能な撮影機材とデジタル放送は、この人のすでにトウの立ったお顔を鮮明に映し出します。

それでもあくまでもカワイイぶった、しどけない物言いは却って気持ち悪くなりますね。

ピアノがぜんぜん弾けないという中年俳優を生徒役にひっぱってきて、そのピアニストがコケットリーな物言いや仕草を交えながら、いい大人を相手に、3才の童子をあやすようにねっとりと指導らしきことをしていました。
ふたりともわざとらしい演技の連発で、役者が芝居や映画で演技をするのは当たり前としても、ああいう両人のやりとりは、なんだかとってもやりきれない気分になりました。

音楽歴史上のピアノの代表的な作曲者の作品を、ゆびの動かない、楽譜も読めない初心者にもかならず弾けるよう、平易な音符に強引に編曲して、それで「本物気分」を味わわせようという、まことに浅ましき企画のようです。

そしてこの手の番組のお約束で、レッスンの合間合間には先生ピアニストの演奏風景が織り込まれますが、演奏中、必要以上にいちいち陶酔的な表情をしてみせるこの人は、見ているだけでむず痒くなってきます。
日本にも本当に力のある、本物のピアニストが何人もいるのに、メディアへ出てきて有名になるのは、結局こういう人なんですね。

何でも世事に詳しい知人いわく、「テレビの影響ってすごいから、あれを観てピアノを始める人が増える、すると楽譜や楽器が売れる」のだそうです。
ということは、あのピアニストのコンサートの動員力も増すというとこなんでしょうね。

今の世の中、すべてがこの仕組みで動いているようですね。
…うんざりです。
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続・エアコンパニック!

調子のおかしくなったエアコン。
依然として調子は戻らずついに3日目を迎えました。

設定温度を下げると、風はファーファー出るものの、温度自体はかすかに冷たい程度でベタッとしています。
それでも廊下に出ると、部屋の中よりは明らかに暑いので、やっぱりまったくのオダブツ状態ではないようで、ともかく修理が来るまで、これでなんとか乗り切らねばなりません。

しかし除湿機能がまったく働いていないようで、すでに部屋はべたついた重い空気に落ちぶれてしまいました。
室外機のホースからも水はあまり出ていません。

そして今しがた、ついに、待ちに待った、メーカーの修理の人が重い修理鞄をもってやって来ました。
マロニエ君としては最大級の歓待をしたいような気分でした。

すると今のエアコンはよくできていて、故障履歴が記録されいるらしく、リモコンの中のあるボタンを操作すると、それが表示される仕組みになっているようでした。
そこに現れた文字列によると、室外機の冷暖房の切替弁の動きに不具合があったということが判明しました。

ではそこを修理するのかというとさにあらずで、スイッチを数分間切る、あるいはコンセントを抜いて数分後に差し込むといった処置をするのだそうで、はたして我がエアコンは見事に復活を遂げました。
以前のようなシャープな冷気が室内を満たし、ああもう幸せという気分です。

今後同様の不具合があるときは、同様の処置をしてみてくださいといわれ、これで一応の解決となりました。
現代のエアコンは室内機/室外機いずれにもコンピューターが仕込まれているらしく、今回はこのコンピューターの作動不良でよくあることだということでした。

いやはや、マロニエ君にしてみれば、命綱のようなエアコンですから、愚痴を言い続けた友人からは、もう一台予備のエアコンを付けたらいいとからかわれる有り様でした。
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エアコンパニック!

大変なことが起こりました。
マロニエ君は知る人ぞ知るエアコン中毒人間なので、普段はもちろんのこと、就寝中であってもエアコンはつけっぱなしなのはいうまでもありません。
というか、タイマーで寝る、とか、寝るときは消す、といった人の気が知れません。

食事やお茶で同席する女性などが、こっちはもうちょっとクーラーが効けばいいのにと思っていると、「少し寒くない?」などというと、「ええっ!?」と思ってしまうし、逆にスーパーの生鮮食品売り場などは心地よさを感じます。
とくに野菜売り場などはときどき白い冷気が煙のようにもくもく下に降りているのなどをみると、思わず首を突っ込みたくさえなります。

マロニエ君の場合は、すでに体質化しているとみえて、寝るときにエアコンがないと、眠れないのは当然中の当然としても、さらには実際に呼吸が苦しくなって、まともに息も出来なくなり、吸入器のお世話になったり、体に発疹がでることも。
つまりマロニエ君にとって夏のエアコンは、いわば命綱のようなものなのです。

先日行ったロイヤルホストもエアコンの効きが悪く、二時間もすると両腕に赤いものが出始めていましたから、本当なら強くしてと頼むのですが、この日はつい我慢してしまいました。

さて、そんなマロニエ君の部屋のエアコンですが、数日前、明け方にふと蒸し暑いような気がして目が醒めました。
しかし、そのときはそれほど気に留めることもなく過ごしましたが、後であらためて注意してみると、あきらかに設定温度とはちがうなまぬるい冷え方をしているのがわかり、この連日の酷暑の真っただ中、全身に稲妻のようにショックが走りました。

その後はあれこれとスイッチをいじりまわしてみましたが、結局、効きが本来のものではないことは、認めたくないけれども明らかでした。
愕然として目の前は真っ暗になりましたが、放置するわけにも行かず、しぶしぶ修理依頼をしたら、最短でも3日後の訪問ということで、それがまたイライラ。
さて、この力の落ちたエアコンをいかにして丸2日間効かせて過ごすかが最大の課題になり、現在2日目を耐えています。
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趣味道

知人の家に久しぶりにお邪魔しました。
この方もピアノがお好きで、趣味でスタインウェイをお持ちです。
以前はニューヨーク製のM型をお持ちで何度か弾かせていただいたことがありましたが、その後ハンブルクの0型に替えられたと聞いていました。
昨日、上手い具合についでができて、お宅に寄ってはじめてハンブルクを見せていただきました。

このピアノはいわゆるヴェンテージ・スタインウェイと呼ぶべきピアノで、製造年はなんと1918年!だそうです。
単純計算しても実に92年前のピアノということですが、キーにちょっとだけ触れてみても、とても元気の良いピアノという印象でした。
ケースの形状とかディテールのデザインが現在のものとはやや異なり、このピアノが90年以上も生きてきた時間の重みをじさせられました。
「どうぞ弾いてください」と言われても、なかなかよそのお宅でピアノを弾かせていただく勇気はありませんが、たぶんとても素敵な音楽を奏でるピアノだろうと思いました。

このお宅にはもう一台グランドピアノがあり、ほかにも電子ピアノが数台あるという凝りようです。

さらには、部屋には黒い大きな冷蔵庫みたいなものあがあって、なにかと思ったらワインセラーだそうで、ドアをあけてもらうと、上から下まで隙間なくびっしりと無数のワインが並んでおり、その壮観な眺めにはただもう驚きました。

そういえばこの方は、最近は模型飛行機にもハマっているとのことで、いやはや、趣味というのは実におかしな、大変なものだと思いました。
マロニエ君も人のことを言えた義理ではありませんが、それでも他者の趣味道を覗き見ると、自分のことは棚に上げて呆れかえってしまいます。

しかしながら、マニアという生き物は、門外漢からみれば実にばかばかしいことに熱中しているところに一番の意義と純粋さと、大げさにいえば生きる喜びみたいなものがあるのかもしれません。
こう結論づけて、自分自身をも肯定しようとしているのかもしれませんが。
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ヒートアイランド現象

ヒートアイランド現象という言葉をはじめて耳にしたのはいつのことだったでしょう。
マロニエ君の住む福岡市でも、今夏の厳しさはたいへんなもので、連日の猛暑に心底喘いでいますが、ついにテレビニュースからも、この言葉をちらほら聞くようになりました。

なんとなく、ヒートアイランド現象などというと東京などの超過密都市圏の話だと思っていましたが、ついによその話ではなくなったようです。
福岡市は隣接する周辺都市を合わせると人口200万人ほどの中規模の都市圏ですが、すでにこの現象がはっきりと出始めているようです。

過日も所要があって、自宅から約一時間ほどの郊外に出かけ、夜に帰宅しました。
車で出発したのは夜の10時ぐらいでしたが、まあ、なんとなく暑さも夜になって一段落という印象でした。

ところがです!
11時少し前ぐらいでしたが、家について車を降りたとたん、いきなり肌にべったりとまとわりつくような強い熱気に包まれました。
マロニエ君の自宅は都心部でも比較的緑の多い地域なので、いわゆるビルの谷間といった環境ではありません。
にもかかわらず、まるで日中のようなその強烈な熱気にはすっかり参りました。

さっきの温度は、あきらかに郊外田園部の温度で、体感的にも明確な差があることが明らかでした。
この温度差を身をもって体感し、都市部特有のものとわかっていらい、暑さはますますつのるようです。

じっさい昨日は福岡では今年最高の暑さを更新したようです。
長期予測によれば、今年は残暑が長く、秋は短いそうですね。
エアコン漬けの毎日はいつまで続く事やら。
トホホです。
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初期のポロネーズ

【Pucciさんよりいただいたコメント】
『ショパンについての覚え書き』、早速購入して読んでみます!… と言う訳には行きませんが(ただ今『ベルリン陥落1945』読破途中…)読みたい一冊が新たに出来、また楽しみです。
ご推奨の本がありましたら是非いろいろ教えて下さい。
ところでマロニエさんは、ショパンポロネーズの全集をお持ちだと思いますが、1~5番、また英雄や幻想以外のポロネーズはお聴きにな りますか?
私はop71の3つのポロネーズ、KKlVa(特に8番) など、前出の全7曲と同じくとても好んで良く聴くのですが、今日ほとんど演奏されていないのはやはりあまり認められていないからですか?
個人的にはこれらの曲たちの方が、哀愁のポーランドへの想いや情景がより色濃く染み込んでいるような何とも言えない切なさがあって大好き(この表現は適切ではありませんね)なのですが。
マロニエさんの見解はどうなのでしょうか。
素人の無知な発言をお許し下さい。

【マロニエ君】
Pucciさん、コメントをありがとうございます。
私ももちろん素人ですが、Op.71の3曲のポロネーズがお好きとのこと、それはこの時期特有の心の内を直接吐露するようなストレートな魅力があって、わかるような気がします。

今日あまり演奏されないのは、これらの曲は作品番号こそ晩年の作のようですが、実はどれも若書き(つまり若い頃の作品)で、後年の作品にあるような作品としての洗練や完成度が不足しているからだろうと思います。
とくにお好きだとある8番などはわずか15歳のときの作で、それはそれで素晴らしい曲だと私も思いますが、しかし後のショパンの作品に出てくるような何か他を寄せ付けないような圧倒的な輝きはまだなく、純粋な青年の一途さのようなものが前面に出ていて初々しくもあり、それでいてショパンの個性はすでにこのころから随所に確立されつつあることが見て取れますね。

もちろん単独の曲としては魅力があるのですが、それ以上に充実した素晴らしい綺羅星のような作品がショパンにはたくさんあるので、なかなか実際には演奏される機会が少ないのだと思います。
ソナタ第1番などにも同様の匂いを感じますが、いかがでしょうか?
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眠れるピアノ

本屋でピアニストの神谷郁代さんの著書を立ち読みしていたら、楽器のことに言及しているところがありました。細かい文章は忘れましたが大意はおおよそ次のようなものでした。

コンサートで全国をまわっていると、各ホールにはどこも素晴らしいピアノが備え付けてあるけれども、その多くがほとんど弾かれることなく、大事にしまい込まれているだけの状態なので、どれも鳴らないピアノになっているというのです。

コンサートの直前に調律師が数時間かけて、あれこれやっているうちにピアノはどうにか目覚めてはくるそうですが、それでも本番には間に合わないらしく、とくにコンチェルトなどでは、どんなに力んで弾いても音が埋没してしまうことしばしばだそうです。
せっかく素晴らしい楽器を購入しても、これでは本来の能力が発揮できずに、非常に残念。もっと普段から弾かれるようになればいいのにというような意味の事が書いてありました。

マロニエ君も以前、あるピアニストの手伝いで、録音会場探しのために福岡市近郊のホールを下見して廻ったことがありますが、多くのホールがスタインウェイとヤマハというような組み合わせで、いずれも立派なピアノ庫を備えて湿度管理までやっていますが、なにしろピアノ自体が使われていないので、弾いてみるとほとんど眠ったような音しか出さなかったり、それなりには弾けても、とてもこの楽器の本来の力ではないな…というようなピアノを何台か触って、考えさせられたことがありました。

いえいえ、これはホールばかりの話ではありません。
我が家のピアノも、いつも練習に使う片方だけを弾いているので、もう一台は年中ほとんど寝ている状態です。やはり楽器は生き物ですから、適当に鳴らしてやらなくてはいけないということを、この神谷郁代さんの本を読んで、思わず自分に向けて警告されたようにドキッとしてしまいました。

調整が未完なので敬遠している面もありましたが、今日は調整がもう一度入るので、そうしたら少し弾いてみようと思います。やはり健康維持のための適度な運動はピアノにも必要なようですね。
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ドビュッシー

知人の店で開く音楽家の誕生会のために、ドビュッシーのCDを集めていると、全体の中でピアノ曲の占める割合がひじょうに高いことにあらためて注目させられました。

ピアノ以外の器楽曲といっても、室内楽のごく一部などを除いて、ピアノの関係しない曲はほとんど存在しませんし、残りの多くはピアノのために書かれた作品となります。

有名ないくつかの管弦楽曲やオペラを例外として、あとは歌曲を含めてほとんどピアノを必要とする作品ばかりなんですね。これはうすうす感じてはいましたが、あらためて作品一覧を見てみるとそれがはっきりとわかり、ドビュッシーからピアノを外すと、「牧神の午後」の周辺以外ではほとんどドビュッシーは成り立たなくなるとも言えそうです。
そういう意味ではショパンほどではないにしろ、ドビュッシーもピアノの人だったようです。

ドビュッシーとショパンは作曲技法からなにから、あらゆる要素は異なるものばかりですが、それでもマロニエ君の独断でいえば、どこかこの二人には不思議に共通したものを感じます。
ピアノを中心とした作品を書き、それまでに誰も成し遂げなかった前人未踏の新しい世界を作り上げたという、通り一遍のことでは済まされないなにか。それが何であるか、いまはまだわかりませんが。

ドビュッシーはショパンの死後13年を経て生まれていますから、この二人は同じパリを舞台にしながら同時代には生きていません。文献によると、ドビュッシーは生涯に数十というとてつもない数のオペラの計画をしては頓挫し、完成したのは「ペレアスとメリザンド」たった一曲だったのですから、そこにはいろいろな事情や曲折があったにせよ、やはりこの人は本質的に大作とかオーケストラ向きの作曲家ではなかったということかもしれません。
もちろん、遺された管弦楽曲の幾つかは音楽歴史上に輝く傑作であることに間違いありませんが、私見ながら中にはけっこうつまらないものもありますから。
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玄人素人

お食事リンクにも紹介している店の中で、中田中という店がありますが、ここの基本スタイルはどうやら最近のしずかな流行でもあるようです。
基本的には定食なのですが、メインとなるおかずはメニューの中からお客さんが好きなものを二品選ぶというスタイル。
中田中はメニューも豊富で、安くて美味しいから、昼夜を問わずお客さんが絶えず出入りする大変な人気店で、三台ある駐車スペースもほぼいつも塞がっている状態です。

すると友人が別の店を探してきて、そこに行ってみることになりました。
そこは女性が二人でやっている店らしく、なるほど形体としては中田中と同じで、やはりここも二品を選択します。
しかし出てきたものは中田中とは較べものにならないもので、がっかりしました。
不味くて食べられないというようなことはないけれど、いわゆるシロウトの料理で、なんだか他人の家の晩御飯を食べさせられているようでした。

それでも、ここはここで、疲れたサラリーマンのような人がつぎつぎにやってくるのはびっくり。
しかし、この店はマロニエ君としてはお食事リンクには出せません。

マロニエ君のような反抗的な人間は、いわゆる行列が出来るような店というのは感覚的に好きではないのですが、でもやっぱり人気店というのはそれだけのことはあるのだなあとは思いました。
そしてプロならではの、パッとあざやかな仕事というのはなんであれ良いものです。

食べ物に限らず、世の中にはシロウトの駄作を味わいであるかのように褒め称え、珍重する一派もありますが、マロニエ君はあれが大嫌いです。
シロウトの仕事は技巧がなく、あいまいで、暗くて、不恰好で、詰めが甘くて、苦労が滲み出ていて、独特のクセがあって、生理的に受けつけません。
だから音楽も基本的にシロウトの演奏は嫌いです(仲間内の遊びは別ですが)。
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HMV渋谷店の閉鎖

日曜日をもって渋谷のHMVが閉店したのは、なんとも象徴的なニュースで、残念なことでした。
閉店の理由は、音楽がネット配信されるようになり、店頭売上が減じたためということで、HMVの旗艦店である、あの人の海の渋谷のど真ん中の店でさえそうなのかという思いです。

福岡も以前はフロアごとにジャンルの異なるHMVの大きな店舗がありましたが、ずいぶん前に縮小移転していますし、中心地ではCD店は数年前に較べるとずいぶん減ってしまいました。
今では代表的なところではタワーレコードとヤマハ、あとは数軒が存在するのみです。

マロニエ君も自分なりにCDはよく買うほうだと思いますが、現在のところ店頭とネットは半々ぐらいの割合です。
ネットの良いところは、予め欲しいものが決まっていれば、オンラインで簡単に注文できる反面、店頭のようにあてもなくあれこれと物色してまわる情緒はありません。
ふらふら見ているうちに思いがけないCDに行き当たる楽しみは、店頭でしか味わえない世界です。

いっぽうネットは、欲しいものをジャンルやキーワードで探す、あるいは演奏家別の検索ができるなど、こちらでしか出来ない機能があり、マロニエ君にとっては両方が必要というのが正直なところです。

数日前の新聞も一面に、ここ最近の販売業は「通販の一人勝ち」という見出しがトップを飾っていましたから、だんだんそういう世の中へと流れていくのかと思うと、なんだかひどくつまらない気分になりました。
通販の良いところがあるにせよ、なんでも極端に偏っていくのは面白くないですね。
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続・これが今風?

〈読者の方からのコメント〉
マロニエさんこんにちは。
私も先日、ビュッフェスタイルのレストランに行ったのですが、何故か小さな子供さん連れのご家族のマナーが悪かったのを覚えています。
ある家族の例ですが、若いおばあ様はご自分の箸で料理を物色され、お孫さんは裸足で料理が置いてある周りを駆け回りそこの調味料を指でつついて舐め、おじい様は周囲でお食事されているお客様には目もくれずビデオ撮影、若い(?)ご両親は祖父母に孫を任せとてもくつろいで料理を堪能されていました。
あっぱれでした。

〈マロニエ君〉
お名前がわかりませんが、コメントありがとうございました。
まるでおっしゃる情景が目に浮かぶようです。
この手の話をしはじめると、私も日頃からキリがないくらい不快に感じる光景が多いのは事実です。
パッと見た感じは、子供も悪いようにも見えますが、やはりすべては親の責任です。
子供は白紙で生まれてくるわけですし、教育や躾を与えてくれるべき親を選べないのですから、可哀想というほかありません。子供以前に親の人間性を疑うような場面に出くわすことは珍しくありません。
休日の街中などに出ると、その手の親子の横暴自己中野蛮傍若無人のオンパレードですね。

以前テレビのペット番組で『飼い主がキチンとした躾をしなければ、どんなに血統がよく、能力の優れた犬でも、ただの駄犬です。』と専門家が言っていたのを思い出します。
ましてや相手は人間の子なのですから尚更ですが。
ハッキリ言って、うちの犬(もう死にました)のほうが、よっぽどお行儀もよく我慢強くて上品でした。
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続・どうしてこのピアノを?

昨日の続きです。
「なぜこのピアノを買ったのか?」をあらためて考えてみました。

マロニエ君の愛器はカワイのGS-50という比較的大きめの中古のグランドピアノです。
このピアノに決めたのは、以前からGSシリーズの好ましい評価を耳にしていたことと、ちょうど該当するピアノがたまたま某楽器店にあったという、これもまたタイミングの力が上手く働いた結果だといえるようです。

もちろん店に行って、弾いてみて、気に入ったのはいうまでもありませんが、だからといって知人からピアノ購入の相談をされたときのような慎重さはちっともなくて、「ま、これでいいや!」ぐらいの感じでした。
自分の事って意外にそんなものかもしれません。

ただし、最初の納品先は自宅ではなく、まず懇意の工房へ運んでもらいました。
ここで一度、徹底的な調整をしてもらおうと考えたのです。
ピアノは持って生まれた器と、あとは何よりも丁寧な調整が大切だというのがマロニエ君の持論ですから、この調整には何しろたっぷり時間をかけたかったのです。技術者に家にきてもらってやれることには自ずと限界があり、運送代が嵩んでも、ピアノのほうを工房にいったん運び込むという方法を採ったわけです。

何日を要したかは忘れましたが、ともかくピアノは一度、このような入念な調整をするとしないとでは、あとが大きく違ってくるので、こうした調整によってコンディションの基礎を作ることは大切で、これはやって良かったと今でも思っています。
かくしてマロニエ君の愛器GS-50は念入りな嫁入り修行を受けた後、晴れて我が家へお輿入れの運びとなったのでした。
いらいこのピアノは元気に我が家で暮らしています。

しかし購入そのものはどちらかというと勢いの要素が強く、これってひょっとしたら結婚の動機に似ているような気がしました。既婚者は総じて結婚の理由を「勢い」だと口を揃えて言いますからね。
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どうしてこのピアノを?

ピアノのレッスンに来られた人に意外な質問を受けました。
唐突に「なぜこのピアノを買ったんですか?」と言われて、はじめは思いがけない問いに面食らいましたが、要するにマロニエ君が自分のピアノ購入に際してどういう点を評価したり、あるいは気に入ったりして、数あるピアノの中からこの一台に決したのかということを問われたようです。

この方は当ホームページをしばしば見てくださっているらしいので、マロニエ君がピアノに並々ならぬ興味を持っていることはもちろんご存じで、そんなこだわり屋が選んだピアノというからには、それなりの理由があるのだろうから、ひとつそれを聞いてやろうと思われたのでしょう。

ところがです、そんなに面と向かって聞かれてみると、咄嗟に明確な答ができるほどの理由もないことに、思わず自分でも意外な気がしました。
もちろん、気に入って、納得して買ったことには間違いありませんが、しかしそこに明瞭に人様に語ることができるほどの確乎とした理由らしい理由があるわけでもないということに、はじめて自分で気がついたわけです。

要は流れでした。
それまでサブピアノとして使っていた小型のディアパソン(170E)が、中音域のぼてっとした花びらのような音色などはとても気に入っていたものの、低音域には弦の長さに起因する克服できない限界を感じていたことが根底にありました。そこへ折良く小学生のいる知り合いの家族が、マンションなので小型グランドを探していたというタイミングに恵まれたことも大きかったと思います。

考えてみれば大きな買い物って、モノそのものの良否は当然としても、いろんな周囲の条件が整ったときに事が動くようですね。えてしてそういうものだと思います。
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ヤマハのリニューアルピアノ(追加)

「福岡の読者」さんからコメントをいただきましたが、コメントは公開しておりませんので、下記にて紹介させていただきます。
半年待たれた甲斐あって、素晴らしいピアノを手に入れられたようですね。
貴重な情報をありがとうございました。

マロニエ君
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こんにちは。いつも読んでいます。
私のヤマハグランドも実はリニューアルものです。
ピアノを買うとき最近のヤマハは出庫調整や鍵盤重さの調節が悪いといったところ、販売店がヤマハリニューアルというのがあって、程度のよいグランドを掛川工場で純正部品をつかって修理して特約販売店のみに卸している。
アップライトはいくつか協力工場で仕上げている。

グランドは出庫調整を念入りにやっていて、新品よりかなり程度がよい。築5-10年程度のものは新品より得である。
最近Cは鍵盤や筬の材質が悪く、また鍵盤棚がブッチャーというムクの組み木から合板になったので1994-2000年ころのが値段もこなれていい。
しかし、新品のピアノより安いが中古としては高くなる。それでもヤマハの保証書があるのでグランドはよく売れる。
アップライトは相場より高めなのであまり売れないが、逆に木目は相場より安いのでよく出る。
値段はおおむねそのピアノが売られたころの新品価格がめやす。

方法としては、ヤマハから特約代理店のみにリストを渡し、入札みたいにきめる。
販売店の買取なので、人気モデルにのみ入札が集中する。おおむね欲しいものが入るのには3-6ヶ月要するが人気ものは需要が多くなかなか手に入らない。
時々ヤマハの特性外装(柿の象嵌とか何周年記念品)などが流れてくる(新品価格が並みの3倍程度だったもの)。
すぐ売れるが、ヘンなもの(モダンなもの)は売れ残っている。
というわけで、我が家にも6ヶ月待ちできました。
鍵盤重さを量ると低音が50g、中高音が48gにぴったしそろっていて、なるほど新品より手が入っています。 全国的にはかなりのバックオーダーがあるようですが、そのS4はすぐ売れるような気がします。
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これが今風?

昨日は、久しぶりに会った友人と食事をすることになり、今はやりの回転寿司店に行きました。
ところが、平日にもかかわらずお盆休みはまだ続いているのか、大変な人出で、かなり待たされるハメになりました。
そこで目にした信じられない光景。

おしなべて子供の躾が悪いのは今や驚くには当たらず、あたりはさしずめ動物園のような状態であるのは諦め半分で慣れていますが、中にヨチヨチ歩きの赤ちゃんをしたい放題にさせる母親がいました。
赤ちゃんは靴下もはかない状態で、四つんばいになり、店の床を右に左にと自由に這い回り、母親は人の迷惑もなんのその、ゆるゆるとそのあとに続いて回ります。
もちろん、ここの床は飲食店の土足部分の床ですよ。

レジの横にあるお土産品にも平然と手を出していじくりまわしては、飽きるとポンと放り投げたりの連続。
この親子の家族が我々のすぐ目の前にいますが、祖父母らしき人達もたしなめるどころか、ひたすら笑顔でその光景を見守っていることにも心底呆れました。
マナー以前に、不潔とは思わないのでしょうか。

満席が続いて超多忙な従業員も、まさか床を這い回る赤ちゃんに蹴躓かないよう、ものすごく注意しながら不自由そうに往来している様子が痛いほどわかります。

その一家と、マロニエ君達は、じつは番号札の一番違いで、向こうがひとつ先。
30分近く待った後、その一家の番号が呼ばれ、程なくして我々の番になりました。
席に案内される途中で、その一家のいるテーブル横を通過した瞬間、我が目を疑いました。

なんと、さっきからあれほど床を這い回っていた赤ちゃんを、今度はこともあろうに「テーブルの上」に載せているではありませんか!テーブルの上というのは女性のハンドバッグを載せるのでさえマナー違反とされる場所なのに、床の汚れが両手両足にべっとりついた赤ちゃんをそこへポンとのせて、一家はあいかわらず平然としています。

これにはさすがに怒り心頭に発し、衛生上も問題があると判断して、店の従業員に厳重注意をしてくれるように頼みました。
それからは多少おとなしくなったようでしたが、本当に近ごろはどうかしています。
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ヤマハのリニューアルピアノ

今日、天神のヤマハに行ったら、売り場の大々的な配置転換がされていました。昔1階にあったCD類が2階に移動したのは商品が見にくくて疑問に思っていましたが、嬉しいことにまた1階に戻っていました。
楽譜や書籍は従来通りです。

これまでとは営業方針が変わったのか、楽器販売に一段と力が入ったような印象でした。
とくに意外だったのは、美しく仕上げられた「リニューアルピアノ」と称するヤマハの保証付きの中古ピアノが随所に置かれていて、新品に較べて価格の割安感をアピールしているように感じました。

ふと思い出したのですが、営業サイドでは「スタインウェイの一番のライバルは中古のスタインウェイ」とかねてより言われていたものですが、同様にヤマハも自社製品の中古品にお客さんを奪われていたという構図があったのかもしれませんね。
だからリニューアル事業を立ち上げて、中古品もヤマハの手によって仕上げ作業を施し、ヤマハの店頭で販売しようということなのでしょうか。

思いがけないピアノとしては、高級タイプのグランドS4が展示してありましたが、新品のようにビカビカですが価格は195万ほどでした。
かつてはこのSシリーズは希少なスペシャルモデルを謳い文句に、ネットや中古店等では、なんで!?と思うような法外な価格をつけていましたが、モノが少なくて比較ができないのをいいことに強気の価格設定が可能だったのかもしれません。
しかし、一般の中古ピアノ店よりも高額になるはずの、ヤマハによる仕上げ/保証つきで、しかもヤマハの店頭に置かれてこれぐらいの値段というのは、まさに適正価格の基準になるものだと思いました。

Sシリーズはこれまでの中古価格があまりにも高すぎて違和感を覚えていたところでしたが、ヤマハ自身によるリニューアル品としての価格設定となれば、高くてもせいぜいこれぐらいが「上限」ということを自ずと意味し、感覚的にも納得できました。
それでもヤマハの人の話では「一般の中古価格より高めの設定になっています。」と、やや申し訳なさそうな話しぶりでしたから、一般の中古店の価格は推して知るべしです。

こうしてヤマハが自らリニューアルピアノを手がけるようになれば、他の業者も希少モデルや売れ筋商品に法外な値段を付けて、無知なお客さん相手に高い買い物をさせることも難しくなるでしょうから、ひとつの安全尺度ができたような気がします。
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ストラディヴァリウス

音楽の先生と友人と三人で食事をしました。
そこで興味深い話を聴きました。

さる場所で行われたヴァイオリンのマスタークラスを聴き入った折、高名なヴァイオリニストである先生の使うヴァイオリンが、かのストラディヴァリウスだったそうですが、休憩時間はその歴史的名器をポンとテーブルに上に起きっぱなしだったので、ここぞとばかりつぶさな観察をしたらしいのです。

はたして驚いたのは、まずネック(上部の調弦をするさらにうしろ)部分などは、流麗な渦巻きのようなカーブの内側のさらに内側のちょっとノミが入りそうもない部分にまで精緻を究める細工がされているらしく、それひとつとってもどうやって制作されたのかと思ったとか。

また全体の木の目は、すべての幅が一ミリぐらいの猛烈に細かいものを使われていたとのことでしたから、これはよほど北イタリアの寒い高地だけにある厳選された素材が使われたことであり、同時に200年以上前はそういう木を切って楽器制作に供することができた良き時代であったというのも感じざるを得ません。

またヴァイオリンを正面から見た場合、左右対称かと思いきや、さにあらずで、微妙に左右のふくらみやカーブの加減が明らかに違っていて、ストラディヴァリがわずかな加減を自分の経験で微調整しながら制作したことが窺えるのだそうです。
また表裏にある楽器の隆起についても各部分がそれぞれが大きさや高さが微妙に違っていて、低音、高音その他の目的に完ぺきに適うように、まさに神業的に作られているということに驚いたそうです。
弦の左右にあるF字溝(この字でいいのか?)も左右対象ではなく、微妙に二つはずれているのだそうで、それに加えて膠の秘密などもあり、そういうものの総体的なバランスがストラディヴァリウスのあの輝かしい音色を作っているのだと思うと、まさにこれは神の領域という気がしました。

やはり楽器の世界というものは尋常一様なものではないということのようです。
とくに弦楽器のような構造の単純なものになればなるほど、謎と神業の関係が複雑になるということかもしれません。
それから見ればピアノなど、まだまだ工業製品の要素がうんと強い楽器に思えました。
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ちょっと大げさすぎません?

今日は久留米の石橋文化センターでの「ぴあのピアのイベント」の日でしたが、折からの台風でぎりぎりまでどうなることかと気を揉まされました。

テレビの台風情報によると夕方から夜にかけて福岡地方は暴風雨という言葉が何度も飛び出して、いやが上にも不安は募ります。映し出される台風の進路図を見ると、今まさに福岡の北を通過しつつあるのに、音声では「北部九州に最も接近するのは今日の夕方から夜にかけて猛烈な風と雨!」「じゅうぶんに警戒してください」などと連呼しています。

さらには中継の映像が出て、東区の波打ち際に防災服にヘルメットを被ったレポーターが立って「だんだん波は高くなり、風雨も強まり、立っていくるのがかなりきつくなってきている状態です!」などと緊迫した様子でしゃべっています。

しかし、外を見るとたしかに風は多少ざわついてはいるものの、とてもニュースの言っている状態とは程遠い感じです。ちょっとおかしいという気もしましたが、やはり「これから最高潮に達するのでは?」ということもあるだろうと思い、参加予定者に連絡をとったりしましたが、ともかく様子を見てと言うことになりました。

果たして家人の心配をよそに、ともかく無理をせずに出かけることにしましたが、出てみるとさほど大したことはありません。結局、車はスルスルと何事もなく久留米を目指し、高速道路もほとんど通常通り。
到着の頃には風らしい風もなく、肩すかしをくらったようです。

あとは皆さんご存じの通りで、二時間後にホールを出てきたころには雨もきれいに上がり、それから食事に行きましたが、天気はいよいよ安定し、なんとも平穏な空模様でした。

一時はよほど中止にしようかとまで考えましたが、そうしなくてよかったとつくづく思います。
そして感じたことは、近頃の台風報道はいくらなんでも大げさに視聴者を煽りすぎるのではないかということです。
あんなに緊迫感をもって御大層に連呼されたら、真に受けて大事な予定をキャンセルして、あとから立腹する人も多いはずです。

結局、ニュースの言葉より、台風進路図のほうが正確だったようでした。
安全を期してというのはわかりますが、もう少し正確な報道をしてほしいものです。

イベントの詳細はイベント報告にレポートします。
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店選びの明暗

ちょうどお盆休みで東京の友人が帰福していたので、久々に糸島のピアノ工房に行きました。
この不景気をよそに工房内にはピアノが10台以上あり、その中には納品待ちのものも数台見かけました。

まもなく購入者のもとに届けられるというヤマハのC3も、スカッとした仕上がり状態で、ここのご主人の迷いのない良心的な作業スタンスを感じます。
ほぼ完全なオーバーホールを施された状態で、主な消耗品は新品に交換されており、弦やハンマーには輸入物のパーツさえ組み込まれているのは、巷でいうところのスペシャルバージョン仕様です。
ハンマーはさりげなくレンナーを装着して、余分な響きを排した芯のある明晰な音に仕上がっていました。
残る作業は黒鍵を黒檀に交換することだそうで、まさに「スペシャルピアノ」です。

そのピアノの価格を聞いておどろかされました。
具体的な金額は書きませんが、およそこの手のリニューアルピアノの一般的な相場からは遠くかけ離れたもので、おまけに運送費まで込みの低価格には呆れるばかりでした。
こういう良質なピアノをそんな価格で手にできる人は、国内にもわずかしかいないはずで、なんともうらやましい限りです。

入荷した中古ピアノにほとんど何もせず、チョチョッとボディを軽く磨くだけで、ちゃっかり相場価格で売りさばいていく店も決して珍しくない中、ここまで手を入れた良質なピアノを提供する店もあるということは、中古ピアノほど店選びがものをいう世界もないということでしょう。
それによって購入者のその後の運命が大きく変わるといっても過言ではありません。

このC3は無論のこと、ここの非売品のカワイのセミコンも、そのタッチがまた憎らしいほど素晴らしいものでした。
ここのご主人の作り出す軽やかでしっとりしたタッチは、昔から一目置くに値するものがありましたが、このところいよいよ磨きがかかってきたらしく、奏者の快適な弾き心地というものをより深い領域まで追い込んだ観があり、改めて感銘を受けました。

ピアノの命が音であることは言うまでもないとしても、弾く者にとって理想的なタッチは、演奏という現実の物理行為においては何物にも代えがたい直接的重要性があります。
理想的なタッチは、奏者に新たなイマジネーションをもたらし、音楽の間口と可能性を押し広げるものだと言えるようです。
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クライバーン・コンクールのピアノ

書店でクライバーンコンクールの本を立ち読みしていたら、コンテスタントの使用できるピアノは三台あって、ハンブルク・スタインウェイ/ニューヨーク・スタインウェイ/そしてもう一台はクライバーン・スタインウェイといわれるピアノだそうです。
出場者はこの三台の中から、自分に合ったピアノを与えられた時間内に選び出してコンクールに挑むわけです。

クライバーン・スタインウェイはもとはニューヨーク製ですが、ニューヨーク製の流儀に反して黒の艶出し塗装された楽器で、テレビやネット動画で見ても、なかなか良い音を出すピアノだと思っていました。
ニューヨーク・スタインウェイのレギュラーの塗装は、艶消しのヘアライン仕上げというもので、この点でもハンブルク製の艶消しとは仕上がりが異なります。

外観には、三台それぞれの特徴が明確にあるので、youTubeなどで見ていても誰がどのピアノを使っているかは一目瞭然で、容易に区別がつくのがありがたいところ。
ちなみに、優勝した辻井さんは一貫してこのクライバーン・スタインウェイを使っていたようです。

それにしても「クライバーン・スタインウェイ」とは何でしょう?
単純にクライバーン個人が所有するスタインウェイということか…と思いますが、あるいはクライバーンの所有でなくても、彼が特に気に入っているピアノということかもしれませんね。

最近のニューヨーク・スタインウェイで感心しないのは、演奏中のピアニストの顔が正面から映るように、カメラがピアノ後部からのアングルで撮影した場合でも、はっきりピアノのメーカー名がわかるよう、ピアニストの顔の左下あたりの必ず画中に映り込むポイントのフレームに、「STEINWAY」という真っ黒いゴツい文字を入れたことです。
いくら宣伝第一でも、そんなことをしてまでなんになるというのか!
世界に冠たるメーカーがこの悪趣味はいただけません。
ちなみにクライバーン・スタインウェイにもそれは入っていました。

ハンブルクではまだ一度も確認できませんから、おそらくはニューヨーク製だけの特徴のように思いますが。
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プレトニョフのベートーヴェン

日本の音楽評論の最高齢にして御大、吉田秀和氏の著書を読んでいたら、ロシア・ナショナルフィルをバックにプレトミョフのピアノ独奏による、ベートーヴェンピアノ協奏曲全集のことが書いてありました。

実はこのうち2番と4番の入ったCDはマロニエ君も以前購入したものの、一聴して、そのあまりのイレギュラーな演奏には、たちまち拒絶反応を覚えたものでした。ピアノはもとより、モダン楽器のオーケストラまでもが妙に古楽的な演奏をして、やたらとするどいスタッカートなどを尖鋭的に入れてきたり、へんなところで強烈なアクセントがついたりというのが神経に触り、どうにもついていけないわけです。
とくにピアノの異様さといったらありませんでした。
もしやマロニエ君の耳が固定観念に凝り固まっているのかと思い、我慢して2、3度は聴いてみたものの、ついにこの演奏と和解することはできず、いらいこのCDは棚の奥深くで眠りにつきました。

マロニエ君的には、2番はまだいくらか許せるとしても4番は到底受け入れられないというか、はっきり言うなら許しがたい演奏だったから、果たして御大はなんとコメントしているのか興味津々だったわけです。

果たして吉田氏は結論から言うといろいろな言い回しをして「面白かった」「楽しんだ」と言っておられます。
そのかわりかどうかはわかりませんが、宇野功芳氏の評論を引き合いに出されます。
宇野功芳氏は「第1、第2協奏曲はおもしろい、しかし第4はいくらなんでも行き過ぎだ」とされているらしい。
これを読んでほっとしたというか、当然だと思いました。

ちなみに吉田氏は最後にこう書いておられました。
『私はプレトニョフで聴いたあと、内田光子さんとブレンデルのCDでも、第4協奏曲を聴き直してみた。きれいだった!』

これがきっかけになって、久々にこのCDを引っ張り出して、もう一度虚心坦懐に聴いてみました。
しかし、やはり印象は同じ。2番はまだいくらか許せるが、4番受け入れられませんでした。
こういう4番を聴いて面白く楽しめるようになるには、よほどの寛容の心と懐の深さが必要なようです。

ちなみにこのCDでは、非常に珍しいことにピアノはブリュートナーのコンサートグランドが使用されていて、このピアノで聴くベートーヴェンの協奏曲という観点では、大いに「面白かった」し「楽しめ」ましたが。
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横浜からきたシトロエン

友人がついに車を買いました。
かねてより懸案中だった買い替え騒動でしたが、地元にあったルノーがダメになり、仕切り直しの結果、関東地区で条件の良い車が見つかり、さっそくにも横浜まで見に行ってきたようです。
候補になる車を事前に数台リストアップして行ったようですが、たまたまマロニエ君が発見したオークションに現れた一台に決まり、なんだか情報提供者としては責任を感じます。

土曜に一泊し、日曜の朝に購入を決定して、その足で福岡を目指して高速道路をひた走ってきたようで、こういうときこそ1000円高速は真価を発揮するようです。
昼前に横浜を出発し、途中食事をしたり仮眠をとったりで、結局着いたのは明け方の4時ごろだったとか。
で、今日はさっそく車のお披露目となりました。

夕方、我が家にその車で迎えに来てくれ、下に降りると本人ともう一人の友人は助手席と後ろに座ってニヤニヤ笑っていました。さっそく運転してみろということで、久留米まで食事がてら走りました。

言い忘れましたが、買った車はシトロエンC5のワゴン、3.0Lで6AT、内容はダークグレーの革張りで、ハードディスクのナビゲーションやETCまでついています。
パワーがすごくあるので、高速ではどこまでも吸い込まれるように加速していく感じですが、この車も最大の魅力はハイドラクティブ・プラスという高度な電子制御による油圧サスペンションで、通常の柔らかい足回りにもかかわらず、高速での大きなうねりや揺れが一発で収束して、あくまでもフラットな姿勢を維持するところは感銘を受けました。

今週末には自分で名義変更をするようですが、車庫証明が下りれば簡単です。
わけのわからない手数料を取られず、こういう車の買い方もあるということです。
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激安!譜面台

譜面台を買いました。
ごくたまに歌やフルートなど合わせものをやるときに、マロニエ君の家には独立した譜面台がないので、いつも不自由していたのですが、自分の受け持ちでもない楽器のためにわざわざ買い揃えておくのもなんとなく気が進まず、ずっとそのまま手は打っていませんでした。
ところが偶然、激安品を発見!

なにげなくネットを見ていると、金属製のオーケストラが使うような折り畳み式のシンプルな譜面台が、なんと840円で出ていました。
近々友人とアンサンブルをする予定があるので、これなら買っておいてもいいと思ったわけです。
ところが通販では送料がまったく同じ840円かかり、気分的にちょっとばからしいと思っていたら、ラッキーなことに車でなんとか行ける距離の店だったのでさっそく行ってきました。

果たして、中国製ですがなかなかちゃんとしたもので、折り畳みはむろんのこと、高さ調整もできれば角度も自由、おまけに肩にかけられるソフトケースまでついていてびっくりです。

今になって、もう一つ二つ買っておいてもよかったな…という気がしています。
プレゼントにもいいですし、もう一回行って来ようかと思っています。

ひさびさに良い買い物ができました。
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たたり?

今日はピアノサークルの定例会と懇親会で、今しがた帰宅しました。
といっても、今回は定例会には行けずに、懇親会のみの参加でしたが、結果的には行くには行ったものの、じつは大変な経験をさせられたのです。
昨夜、新しい本を買ったので、寝床に入っておもしろいので読書していると、最初は気付かなかったのですがだんだんと顔に違和感を覚えるようになりました。はっきり自覚できるまでにはさらに時間がかかりましたが、最終的にそれは勘違いでもなんでもないことが判明するのです。

なんと、顔の右半分、とくに頬から口のまわりが急に腫れているのです。
これといって思い当たることはもちろんなにもありません。
指先で触ると明らかに右頬から口元にかけて皮膚が硬直し、よくよく確認するとはっきりと右側だけ皮膚が硬くぶ厚くなっていました。恐る恐る鏡を見ると、果たしてあきらかに顔に普段とはちがう腫れと歪みがあって、真夜中のことでもありなんともいえない嫌な気分になりました。とりあえず痛くも痒くもなく、強い違和感を覚えるだけなので、なんとかそのまま放置して就寝しました。というよりそうるよりほかにどうしようもなかったというのが正直なところです。

朝起きると、腫れはいよいよ成長し、すでに人相が変わりかけていました。
下に降りてそのことを家人に話すと、さっそくかかりつけの病院に連絡。その結果、すぐにも皮膚科に行くようにという指示が出て、ただちに近所の皮膚科に行きました。
果たしてこれは蕁麻疹の一種だそうです。
腫れを引かせるため、大きな動脈注射を打たれて、帰宅したことろには僅かながら腫れが減少傾向に向かい始めたようでした。

それからこの日の予定もすべてキャンセルして半日間、おとなしく安静に過ごした結果、かなり腫れは退いて、なんとか外にも出られるようになり、結果としてピアノサークルの懇親会にだけは参加できたというわけです。
まだ完全ではなかったから、もしかしたら気がつかされた方もいらっしゃったかもしれません。

先日の草戦争の薬物投下で、「うらめしやマロニエ殿…」などと書いたので、本当にお草さんのたたりかと思いました。いやほんとうに…。
このブログを書いている最中も若干の違和感はありますが、ほぼ収束したと言えるようです。
でも、「顔が腫れる」というのは、想像よりもはるかにショッキングな耐え難いことだという貴重な体験ができました。
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コンサートのお知らせ

突然、外出中の携帯に東京の友人から電話がありました。
いささか上気した様子で、なにかと思ったら、あるフルートのコンサートに行って、そのあまりの素晴らしさに驚いたとのことでした。しかもその人が今度の日曜日、福岡でもコンサートをやるので、行けるなら必ず行くようにとのお達しでした。

その名は「デニス・ブリアコフ」というフルーティストで、メトロポリタン歌劇場管弦楽団の首席奏者らしいのですが、その超絶的なテクニックと圧倒的な演奏によって、東京でのコンサートでは会場が普段ないような興奮状態となったらしいのです。

福岡でのコンサートは以下の通りですので、お気が向かれたらぜひどうぞ。
マロニエ君も極力行くつもりです。

それだけの人がなぜ早良市民センターホールという、ふだんあまりコンサートには使わないような、しかも都心からややずれたマイナーな会場でやるのか、理由は良くわかりませんが。

日時:2010年8月1日(日) 14:30開場 15:00開演
会場:早良市民センターホール

料金:全席自由 一般:3000円 高校生以下:1500円 ※当日各500円up

プレイガイド 福岡音楽文化協会   TEL092-414-8306
チケットぴあ      TEL0570-02-9999(Pコード:106-586)
ローソンチケット    TEL0570-084-003(Lコード:89752)

出演者 フルート:デニス・ブリアコフ  ピアノ:大迫 貴
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草戦争-戦況報告

草戦争のその後です。
除草剤を散布した翌日などは、一向に変化らしきものは見当たらず、これは効果なしかと思っていたところ、それからさらに数日たったころから徐々に色が変わり始め、憎き雑草の勢いがみるみる衰えて行きました。
やはり効果はあったのです!

哀れ雑草軍団は4~5日で一気にやせ衰え、色も以前の憎々しいようなつやつやとした緑色が日ごとに褪色し、その後はすっかり茶色になっていきました。
この機を逃すまじとばかりに、除草剤を追加して、一気に庭の雑草の生える残り部分にまでふりまきました。
さらにそれから数日たった頃には、ほとんど緑色はなくなり、雑草の残骸だけが残っています。

梅雨明け直後のころは、庭用のサンダルで歩くのも、下手をすれば蛇など出て来そうなぐらい雑草の背丈も伸び、長靴が欲しくなるほどでしたが、それがうそのようになくなり、一面茶色の土地によろよろと草の死骸がのこっているだけとなりました。
さすがに化学薬品だけのことはあり、怖いといえば怖いのですが、以前のあの草の暴力的とでも言いたい猛威を思うと、もはやそれでもなんでもかまわないという気分です。
べつに野菜を作るわけでもなし、いまはただ勝利の美酒に酔っております。

やはり除草剤というのは大したもので、どんなにマロニエ君が青筋立てて草取りに血道をあげても、到底かなうものではないので、作戦の変更はまずは成功だったといえるでしょう。
ちょうど庭の草の色が変わってきたときに、NHKで男と女の…なんとかいう番組で、東海道四谷怪談をやっていていて、毒を盛られたお岩さんの顔が崩れだし、それを鏡で見て狂乱する歌舞伎のシーンがありましたが、しみじみと薬物の威力というものを感じ入っているところです。

変化がほぼ落ち着いたところで、伸びている草をざっと取り払ったところ、果たしてそこはうすい茶色の絨毯のようになり、ひとまず化学兵器投下作戦は完了のはこびとなりました。
『ただ恨めしきはマロニエ殿ぉ…』という勘三郎扮するお草さんの声が聞こえてきそうです。
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ゴルフは本当の高級車

友人の車買い替えに付き合ってルノー・ラグナに試乗して好感を得たことは、以前ブログに書きましたが、そのときはエアコンが故障しており、修理された状態で再度検討するということになっていました。
それから数週間が経過し、修理が完了したという連絡を受けて、再び車屋に友人二人とマロニエ君の三人でいきました。さあ、試乗開始という段になってみると、問題のエアコンからは一向に冷風が出ておらず、これには店主もたいそうな慌てぶりでした。
が、ともかくそれではどうしようもないのでその場は店を引きあげました。

友人も一度ならず二度までもエアコンが故障とあっては、かなり熱も冷めてしまったようで、結局、他の車を見に行くことになりました。
まずシトロエンのディーラーに行き、最新のC3/DS3Sなどを見るが決め手なし。マロニエ君的にはフラッグシップのC6のたとえようもないエレガントな佇まいに魅せられましたが、お値段も大変なものですから見るだけ。

続いて、ついでに日本車も見てみようということになり、普段はまず行くことのない日産なんぞに行ってみました。試乗車として外に置かれていたティーダに乗ってみましたが、デビューから時間も経過しており、インパネのデザインが古いことや、走行感覚も見た目よりかなりチープなもので、これではとても小さな高級車などとは言えないことが判明。ティーダは以前から少し興味はあったものの、一気に冷めました。
試乗後は、ショールームの中にあったキューブになにげなく座ってみたところ、その広大な居住空間、柔らかなシートなど、こういう車もあるのかと、予想だにしなかった驚きがありました。欲しいとまでは思わないまでも、いちど是非運転してみたいものです。たまたま試乗車がありませんでしたが。

続いてプジョーのディーラーへ。ショールームを一巡したのち、207の中間車種に試乗。プジョーはもともと猫足といわれるように、しなやかな足回りで小気味良いスポーティードライブができるのが特徴でしたが、この207ときたら、やたらめったら引き締められた固い足回りのせいで、ボディは絶えず小刻みに揺すられ、まるでスポーツカーのような乗り味でした。特別のスポーティバージョンでもない通常のカタログモデルであれだけの固い乗り心地というのは、到底なっとくできるものではありませんでした。
たしかに一定の質感はあり、その点ではただブカブカした乗り味のティーダなどとは一線を画するものがありましたが、あんなに始終揺すられるのはなんにしろ疲れていやですね。

さらにもう一軒、フォルクスワーゲンに行き、最新のゴルフとポロを観察して、ゴルフのTSIコンフォートラインに試乗しました。そうしたら、これがとんでもなく良くできた車でした。ドイツ車は骨太でゴツくて無愛想などというのは昔のイメージで、非常にあたりが柔らかく、しなやかで、しかもたったの1.4Lにターボなのにものすごいパワーがあり、大人の男4人を乗せた状態でもグイグイと力強いパワーを生みだします。上り坂でもちょっとひと踏みで100km/hなんてあっという間で、しかもスタビリティ(安定性)も操縦性も文句なしで、いやはや舌を巻きました。おまけにプリウスに迫る高燃費と来ていますから、もう呆れるばかりです。
後ろの席はシートの座面も平坦で乗り味もやや落ちますが、フロントシートにいる限り、運転席でも助手席でも、そのフィールはまさに高級車のそれでした。
いまのゴルフは下手なベンツやBMWよりよほど上質な走りをする、本物の高級車だと心底思いました。あんな緻密な走りをして、エンジンはすごく静かで、速くて、それでいて外観はしれっと地味なゴルフなのですから、これは大した車です。

このゴルフの何台分もの金額を払って、意気揚々とベンツやBMWに乗っている人に、ゴルフのハンドルを握らせたら、何というか聞いてみたいものです。
もちろん、ブランドやマークだけで乗っている人には、どうでもいいことでしょうけれど。
一気にいろいろ乗れて、久しぶりにいい勉強になりました。
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ルイサダ=× CFX=◎

なんとも猛烈な暑さが続きますね。

昨日はジャン=マルク・ルイサダのリサイタルに行ってきました。
当初は行くつもりはなかったのですが、レコーディングにまでヤマハを愛用するルイサダのこと、デビュー間もない最新のコンサートグランドのCFXを使用するのでは?という予感がしたのでヤマハに問い合わせると、果たしてその通りだったために、このピアノの音を聴く目的ができたのでチケットを買いました。

ムッシュ・ルイサダは、少しは意外な良さを見せてくれてもいいのにと思うほど、マロニエ君のマイナスの予想通りの演奏をしてくださって、はああ、もう、ぐったりこってりきました。
マロニエ君は、なによりまず、プロの下手くそというのが大嫌いなんです。

ルイサダは音楽に関して、とりわけショパンのスペシャリストとしては、おしゃべりをさせれば一家言あるのでしょうが、悲しいかなテクニックがかなり劣り、それでいて高い音楽性があるかのごとく強調したいのか、表現がバラバラで、くどくて、聴いていて苦しくなりました。
お金を出して、時間を使って、せっせと出かけて行くからには、なにかしらいい気分にさせてほしいものですが、わざわざこういう不快なパフォーマンスにお付き合いさせられるのが嫌なのです。

とくに及ばないテクニックと、もっともらしい解釈の、辻褄を合せようとした不純な演奏というのは哀れを覚え、不快感が募ります。

それにひきかえ、ヤマハのCFXは予想以上にいいピアノでした。
ちょっとびっくりです。
ピアノに関しては久々に清々しい気分で満足できましたから、ヤマハのお陰で出かけて行った価値は十分にありました。

これに関しては「マロニエ君の部屋」に改めて書くつもりですので、ここではこれぐらいにしておきます。
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