藤田さんのモーツァルト

2021年のヴェルビエ音楽祭から、藤田真央さんによるモーツァルトのリサイタルの様子が2回にわたって放送されました。
これまで、藤田さんの演奏は積極的とまではいえないまでも、メディア等では折あるごとに注目はしてきました。

とても大きな手の持ち主で、風変わりなテンションにいささか戸惑いつつ、ピアノに向かえば相当に上手い人だというのは言うまでもありません。
その藤田さんの演奏の中でも、モーツァルトはとくに高評価だそうですが、これまでテレビ出演などで部分的に見てきた限りにおいては、どちらかといえばペタッと平坦で、そんなに素晴らしいかなぁ?というぐらいでしかなく、自分の中ではとくに付箋を貼っておきたい対象とまではなりませんでした。

そういう前提があったところで、今回はじめて彼のモーツァルトをまとめて2時間近く聴いてみることになったわけですが、これまでと同様の部分もあるものの、その素晴らしさに納得させられる点も大いにあって、多少印象を書き換えることになりました。
やはり、本番の演奏をまとめて聴くというのは大切で、藤田さん自身もテレビ番組でのおしゃべりの傍らでちょっと弾いてみせるのと、ヴェルビエ音楽祭のソロステージとでは、気合の入り方も違って当然というもの。

結論からいうと、これは藤田さんにしか弾けない、特別な光を放つ演奏に違いないと思ったし、大いに感銘を受ける場面も随所にちらばっていました。

ただし、本質的に感じたことは、とにかく「技巧の人」だということ。
その技巧というのが、派手派手しい、ヒーロー的なものではなく、繊細で緻密、弱音領域でのこまやかな指回りで真価を発揮するタイプの稀有な技巧で、この点で大変なものがありました。

ピアノを弾く人なら、弱音の音を揃えて正確に弾くことがいかに困難であるかは、だれでも知っていることです。
その点で、藤田さんのまったく軸のぶれない正確かつ目もくらむばかりの技巧には並大抵ではないものがあり、さらに息の長い持続力まで兼ね備えて、それじたいがすでに「天才の技」だろうと思います。
これは、どれだけ練習を積んでも得られない、まさに天性のもの。

人間の指の動きというより、むしろリスのような小動物が高所などを躊躇なく自在に駆けまわる四肢の動きのようで、信じられないスピードで縦横に、いかなる危険領域でも喜々として軽やかに駆けまわる指さばきは、モーツァルトという対象を得て遺憾なく発揮され、これは一聴する値するものでした。
とりわけプロのピアニストがこれを目にしたら、狼狽するような見事さ。

モーツァルトのソナタは、ピアニストの指の技術を丸裸にしてしまうところがあって、そのわりにさほど演奏効果の上がるものではないためか、ここに敢えて踏み込んでいくピアニストはそう多くはありません。

そんな中、難解なパズルを楽しそうにサラサラと解くような演奏は、まさにモーツァルト固有の難しさにピッタリと嵌ったのでしょう。

純粋に音楽的にいうなら、正直なところ、とくだん傑出したものだとは思わなかったけれど、なにしろあれだけの特殊な技巧を備えていれば、モーツァルトといえども如何ようにも仕上げられるだろう思われました。
音の多いパッセージなどでは、それらが無数の眩い輝きとなって流れ出すため、光の帯が降り注いでくるようで、他ではちょっと得難いような爽快感がありました。

テンポは全体に早めで、できればもう少し落ち着いて聴かせて欲しいところですが、藤田さんの才能と演奏の魅力を結晶化するには、おそらくこの速度が必要なのかもしれません。
そのかわり、そんなスピードでもまったく乱れを知らないその指は、世界を驚かすにも充分で、それを体験するところにこのピアニストの値打ちがあるのだろうと思いました。

世の中は、一つ覚えのように「技術より音楽性」「芸術表現のためのテクニック」などと、分かり切ったお題目を唱えて、それが逆転することを否としますが、技術そのものも、ある段階を突破すると、それそのものが魅力と存在感を示す場合もあるし、同時に「技術それ自体が芸術的領域に達する」ということもあるわけで、このような技巧で弾かれる藤田さんのモーツァルトが高い評価を得たということは、至極尤もなことだったと納得できました。

プロフィール

コンサートに行くと必ず手にするプログラムノート。
これを開くと、びっしりと書かれた演奏者のプロフィールを目にして、まともに読む気にもなれないことが少なくありません。

演奏者本人や主催者側にしてみれば大事なことなのだろうけれど、やたら細かいことまで綿々と書かれているのは、それを手にする側にとってはほとんどどうでもいいようなことばかりで、本当に意味をなしているようには思えません。
あまり細かいことまで書かれているのは書類のようで、思いつく限り書けることは細大漏らさず書いたという切迫感さえ感じることも。

それだけ苦労して研鑽を積んできたということだとしても、過剰なアピールに気持ちが引いてしまうようで、そこから演奏を楽しむという期待感より、なにやらお気の毒な感じさえ漂ってしまいます。
あれもこれも書いておきたい、訴えたいという自己主張だけが独り歩きして、逆にどこか貧しい感じを与えてしまうことも少なくありません。
ああいうプロフィールを目にして、なるほどそうかと感心して、より一層ありがたい気持ちで演奏を聴けた…などという人はまずお目にかかったことはないし、これまで多くの人とその話題になったことがありますが、異口同音の冷笑的な意見が返ってくるだけです。

ご当人の努力は大変なものだったろうし、ご家族はじめ、まわりの人にしてみれば、少しでもその軌跡や活動実績を伝えることで応援してほしい、あるいはこれだけの実力があるのだから、どうぞそのつもりで聴いて欲しいというのは、人情としてはわかるけれど、音楽というものは、そんな個人の事情や訴えを押し込まれた上で聞かされるものではなかろうと思うのです。
とりわけプロの世界では結果が勝負で、くだくだしい退屈なプロフィールは、書く側と読む側の埋めがたい大きな溝を感じるのです。

ぜひそのあたりを冷静に考慮され、もっと効果的な内容と量にとどめておいて、あとは本人の演奏と聴く人の受け止めに任せるべきだろうと思います。
なるほど、現代は純粋に演奏の質が、常に正しく評価されているかといえば、そうともいえないところがあるのも事実です。
だからといってプロフィールを大盛り山盛りにしたら効果があるのかといえば、決してそうはなりません!

余談ながら、パリ音楽院などに行った人のプロフィールには、だれもかれもが「プルミエ・プリ獲得」と書かれており、これは普通の感覚でいうと一等賞であり主席、つまり卒業者内で一番だったというような印象ですが、実際のプルミエ・プリはどうやら成績優秀ぐらいな区分のようで、プルミエ・プリが何人もいるということのようです。
プルミエ・プリでないのにそう書けば詐称になるから、まったくウソとは思わないまでも、それにしてもパリでは日本人のそれが異様に多いのを訝しく思っていたので、調べてみて納得でした。

プロフィールの結びの常套句でよく見かける言葉に、「その活躍は世界的な注目を集めている」といったような、ほとんど夢でも見ているような御大層な言葉が、何ら躊躇なくすらすらと書かれています。
少しばかり海外のコンクールを渡り歩いたり、国際線の飛行機に乗ったりすれば「世界的な活躍」となるのではないのだから、もうそろそろそのような誇大表現は慎むべきだと思います。
言葉本来の意味に立ち返るなら「世界的や活躍や注目」ということが、果たしてどういうことなのか、もう少し正直に真面目に考えて欲しいと思います。

スピーチは短いほうが喜ばれるように、プロフィールも大いにダイエットが推奨され、できれば激ヤセしたほうが、よほど好感をもって温かく聴いてもらえるのではないか?と思います。


ついでに思い出しましたが、最近、知人との雑談で大いに話題に上りましたが、名刺の肩書にも同様の事例があるということ。
あれもこれもと、役職や兼任している事業名などをびっしり書いて並べて、どうかするとそれは裏面にまで及ぶことがあるようで、こういうものを見て、真から感心したり尊敬したりする人などいるとは到底思えません。

要は、ご当人の抑えがたい猛烈な自己顕示欲が小さな名刺の中で炸裂しているだけで、見たほうは呆れて、世間からは嗤われているのに、ご本人は一向に気づかないという滑稽な構図です。

完璧な非音楽的演奏

一昨日のクラシック音楽館では、現在世界最高齢の指揮者となったマエストロ、ブロムシュテット(97才!)によるNHK定期公演の様子でした。
プログラムはシベリウス、ニールセンなどの北欧プログラムでしたが、冒頭のインタビューでは短いお話の中にさすがは巨匠というべき内容が語られ、とても印象に残りました。

それは概ね以下の様なものでした。

▶自分(ブロムシュテット氏)の毎日は宗教に特徴づけられていて、祈りに始まり祈りに終わる。
宗教は完全を目指し、よって自分も音楽に完全を目指している。
そのために度重なるリハーサルをするが、しかし自分が目指しているのはきれいな演奏ではない。
しばしばオーディションには、よく教育された完璧な演奏をする音楽家がやってくる。
テンポもボウイングも呼吸も完璧、でも私の心には響かない。
私に対して個人的に近づいてこない、いわば匿名の演奏だ。
完璧を求めるあまり、自分を隠してしまう、それは非音楽的な演奏にしかならない。
大切なのは常に最善をつくすこと。

…まったくもって膝を打つようなお言葉でした。

いつ頃から、世の演奏の趨勢がこんなふうになったのかはわからないが、しだいしだいにそうなったように思われ、少なくとも21世紀になってからは、そういうスタイルが明確に台頭しはじめ、個性的な芸術的な演奏はアウトサイダーのごときに扱われ、中心から外されてしまったように思います。

いかに音楽だ芸術だといえども、認められ評価されなくては始まらないから、無駄なリスクを避けた出世の早道として、その価値が高まったのでは?
ステージデビューのための最も効果的な早道はコンクール入賞で、そのためにはまず好みの割れるような個性を封じること、審査システムを知悉し、それに沿った完璧な演奏で点の稼ぐよう挑むことが、最も効率的というわけでしょう。

それが知れわたるや、世界中がワッとこの完璧スタイルを目指すようになり、そのために長い時間はかからなかったように思えるのは、20世紀とは次元の違う情報新時代に入った結果だろうと思われます。

ピアノの世界でわかりやすいのもやはりコンクールで、ショパンコンクールでいうと、個人的に「あれ?」と感じはじめたのは、2000年のユンデイ・リの優勝からではなかったか?と思います。
技巧として弾けているだけで、無味乾燥だとしか思えなかったものを、彼の演奏は完璧だ!とやたら大絶賛して憚らない人もいたりして、とくにピアノ学習者の中の比較的腕自慢の人などにそういう人がいたのを覚えています。

さらにその10年後、アブデーエワが優勝した時は、その方向性はいよいよ決定的で堅固なものになったと感じるようになり、自分の心は固く厳しく封印し、ただひたすら楽譜通りの演奏に徹する、指令や規律に滅私的に従う軍人のような姿は、聴いていて息が詰まるような気がしたものです。
音楽という生き物が命を奪われ、無表情で動かない造り物のように思えました。
もちろん、私の耳にそう聞こえただけで、アブデーエワ本人が「心を固く厳しく封印している」かどうかはわかりませんけれども。

その後、彼女のリサイタルに行った時は、さらに強くそれを印象付けられて、自分がなんのために今この席に座っているのか、ステージ上ピアノからなんのために音が出ているのか、皆目わからないといいたいもので、頭がフラフラするような思いだったのにもかかわらず、またも賞賛する人がいて、やはりピアノ演奏に連なる方の意見だったのは驚きでした。

また近年、好成績で入賞した日本人に至っては、コンクール対策として、これまでの同コンクールにおける上位入賞者の演奏曲目となどを徹底的に調べ上げ、それをデータ化し、高い評価が期待できそうな選曲をしたということをテレビ特集の中で、自信ありげに語られたことは非常に印象的であったし、ショッキングでもありました。
なるほどコンクールは戦いの場であるから、出場するからには勝ちを狙って挑むという言い分には一理も二理もあることは承知ですが、でも、こういう価値基準が音楽の世界にも必要以上に浸透し、当然のようになるのかと思うとゾッとするようで、強い危機と恐怖を覚えたことも事実でした。

さて、ブロムシュテットによるN響定期のあとは、今年度のN響定期の中からもっとも印象に残るコンサートはどれだったかという人気投票が行われた由で、その上位3位までが紹介され、その1位の演奏が放送されましたが、この結果にもきわめて驚かされ、もはや、否応なしに、世の中は私などの考えるものとは全く違う方向に向けて、どんどん動き出してしまっているということを思い知らされました。

トリフォノフ-2

前回は、ドキュメントだけを見て、それに続く演奏会の様子は見ないで書いていたけれど、少しは演奏を聴かなくてはダメだろうと思い直し、今年のサントリーホールでのコンサートの様子をいちおう聴いてみることにしました。
よっこらしょと再生ボタンを押したところ、ドキュメントで見るよりは例のヒゲも多少は整えられ、シャワーでも浴びてきたのか、だいぶこざっぱりした感じ。

ラモーのクラヴサン曲集やモーツァルト、メンデルスゾーンなどはいつものごとくでときめかなかったのが、ベートーヴェンに至って状況が一変しました。
この日のメインと思しきハンマークラヴィア・ソナタは、始まるやいなや「ん?」となって、いままでになくこちらに迫るものを感じて、思わず集中力が高まりました。

たっぷりとした幅というか、堂に入った恰幅のある演奏で、開始早々から新鮮な印象を覚えたのです。
ベートーヴェンらしい雄渾さがありながら、ただ力で押し切るのではなく随所にデリカシーが息づき、それが的を射ているため曲と演奏が落ちるところへ落ちて、嵌まるところへ嵌まっていくあたりは、視界が開けてゆくようで、多少誇張的にいうなら、フルトヴェングラーなどを連想させるところがあり、こういうこともあるのか!と思いました。

概して多くのピアニストの場合、ハンマークラヴィアという巨峰へ挑むにあたり、さまざまに気負いがあるのは当然としても、この巨きく難解さも内包した作品をできるだけ我が手に掴もうと、説明的圧縮的に弾く人が少なくないように感じますが、トリフォノフはそういうものにはまるで関心がないのか、その場その瞬間をじっくりとあらわし、どれだけ時間を費やそうとも、一向お構いなしに作品を通して吐露することを厭わず、それが細部の魅力を大いに際だたせていたのは、立派だったと感じました。
ピアノ・ソナタというよりシンフォニーようでもあり、もっぱらファンタジーをもって牽引されていくようなやり方に好感と驚きがありました。

ただ、第2楽章は思ったほどではなく、トリフォノフ自身かロシア人故かはわからないけれど、遊びとか諧謔的な表現は得意ではない感じも。
さらに長大な第3楽章は、トリフォノフの世界と相性が合ったのか、そこにひとつの幽玄な世界が現出して、たなびくような弱音が果てしもなく続く様子が、後期の弦楽四重奏を想起させたりで、これはこれだなぁと言う気が…。
第4楽章はやや混沌とし、疲れもあるのか、しだいにスタート時点にあった軸がだんだん崩れていくようでもあったけれど、それでも退屈することなしに聴き終えることができたのは思いもよらないことでした。

今回の収穫は初めてトリフォノフの演奏を楽しむことができたことと、加えて、即興の名人といわれたベートーヴェンの一面を実感的にわかりやすく感じられたことかもしれません。
とくに第3楽章では、ちょうど心に憂いのある人の話が長引いて、本人も止めようとするもどうにも制御できず、いよいよ和声が収束に向かおうとすると、またあちらこちらへと話が広がる方へ動き出してしまって、脆くて、淡い、淋しげな独白が延々と続くあたりは、傷んだ心があてどなく延々とさまよい続けるようで、それがベートーヴェン的でもあったし、それを演奏として変にまとめようと処理することをせず、包み隠さず露わに伝える演奏だったと思いました。

第3〜4楽章は、ベートーヴェン自身もこれという設計や構成があったのかどうかは知りませんが、イメージとしてはどこか行き当たりばったりで、それを後から何度もお得意の推敲で仕上げて、いずれとも言えない曖昧なものを音符として確定させたのだろうという感じがあり、それを耳で体験することができたのは、これはひとえにこのピアニストのおかげだろうと思いました。

残念だったのは、あとで聴き返しても、やはり第1楽章が断然素晴らしく迷いなく仕上がった演奏であったのに対して、2/3/4はやや生煮えの印象だったことです。が、しかし、同時に作品自体も、それほど完成度が高いものとは思えないところがあって、作曲者自身も疲労困憊のあげく終わりへと漕ぎつけるようでもあり、そういうところが感じられたことも今回の演奏の魅力だったのだろうと思います。

前回の続きでいうと、トリフォノフはとくに前髪がおどろくほど長く、しかも演奏に没入すればするだけ背中を丸めて前かがみになるため、どうかすると手の甲へ毛先が接触するようで、やはり刺激的なビジュアルでした。

ピアノはファツィオリのF278で、ハンマークラヴィアのような曲ではこのピアノの特徴であるパステルな音色と、地響きのするような低音はまるでコントラバスのようで、なるほど現代のスタインウェイではこういう味は出なかったのかもしれないと思いました。

トリフォノフ見るたび

腰の具合が長引いて、座る姿勢が保ちにくいのですっかりご無沙汰してしまいました。

すこし前、BSプレミアムでダニール・トリフォノフのドキュメント映像が放送されました。

正直いうと、私はトリフォノフの演奏のどこがそんなにも素晴らしいのか、あまりよくわからず、それでも絶賛する向きもあるようで、少しでもそれを掴みたい気持ちもあってこの映像と向き合いました。

あんなに言葉を尽くされ、焦点を当ててドキュメントフィルムになるということは、こちらにそれを解する耳がないといえばそれまでですが、置き去りにされたような気分にもなるのです。
演奏への理解が最優先ではあるけれど、彼の風貌もどちらかというと苦手であることも、そこに拍車をかけているかもしれません。

2010年のショパンコンクールに上位入賞して、しばらくはロシアの美青年といった風な感じでいたけれど、演奏の様子はちょっと独特なところがあるし、加えて近年は髭を生やしたことで、そのイメージはますます特異なものになりました。

たかがヒゲぐらい、外国人男性なら今どき少しも珍しいことではないけれど、トリフォノフはそれがやけに特徴的に映るのは私だけでしょうか?

このフィルムのインタビューでも、わざわざヒゲのことについて質問されているところをみると、やはり外国人から見ても少しそんな印象があるのかなぁ?と思ったり。
思わず答えに興味をもったものの、明確な答えはありませんでした。

トリフォノフのヒゲの生やし方は顔の下半分が真っ黒になるほど盛大なもので、まるでびっしりと蜂の大群かなにかが群がっているよう。

対照的に頭髪はえらく直毛で、細いそうめんが垂れ下がっているようで、それと硬いヒゲとの対比がいよいよ独特に感じます。
さらにロシア人特有のほとんど笑顔のない沈鬱さが加わることで、それはもう怪僧ラスプーチンのよう…。

それを忘れさせるほど演奏に集中できればいいのだけれど、私には残念ながらそうもいかないため、どうしても意識が散って、あれこれと観察に及んでしまうと、やはり気にかかってしまいます。

ピアニストは演奏で勝負するものだから演奏のみで語るべきという大原則はあるわけですが、そうはいってもやはり視覚的な要素も完全に排除はできないというのが、人間の正直な心じゃないかとも思います。

知り合いには、この点を盛大に主張して憚らない人が居ますが、例えばラドゥ・ルプーなどはどれほど演奏が優れていようが、あの風采を見ただけでまったく受け付けない!とバッサリ切り捨ててしまいます。
これはいささか極端と思ったけれど、人の抱く感情はそれぞれだから、それもわからないでもありません。

また、素晴らしい演奏をしても存在感その他で、演奏に見合った地位を得られないピアニストも現実にいるというのは否定できませんし、一時期より下火になった気もしますが、日本人女性演奏者のお姫様スタイルも、やはりビジュアルが引き起こす問題のひとつです。

どれだけ「見た目じゃないんだ!」と言ってみたところで、やっぱりそれは一要素であることも事実でしょう。

宝塚の男役みたいだったアヴデーエワも、基本路線は変わらないけれど、最近では多少やわらかな雰囲気に微修正してきているようにも感じるし、相変わらずなのは、ユジャ・ワンなどでしょうか。
相変わらず水着のような衣装と、床に突き刺さりそうな鋭利で高いヒールの靴をはき、ひょこひょこ歩きでステージに出てくるスタイルはいまもって堅持しているようだけれど、だれであれ、もう少し音楽に集中できるものであったほうが、私などにはありがたいと思います。

谷昴登さん

9月終わりのEテレ・クラシック音楽館では、鹿児島県で45年間続く霧島国際音楽祭のオーケストラによる東京公演の様子が放送されました。
プログラムは、ワーグナー:トリスタンとイゾルデから前奏曲と愛の死、リスト:ピアノ協奏曲第1番、ストラヴィンスキー:春の祭典。

ピアノは谷昴登(たに あきと)さんという、初めて聴く若手でした。
どういう人なのかネットを見ても、近ごろは年齢や出身地があまり書かれないことが多く、これも時代の傾向なのかと思いますが、どうやら北九州市の出身らしいことがかすかにわかりました。
とはいえ、私が経歴で見たいのは、主に年齢と出身地と修行歴ぐらいなもので、問題は演奏であることは云うまでもありません。

リストの協奏曲第1番のピアノの出だしは、有名な両手オクターブの跳躍ですが、今どきにしてはどこか普通とはちがった趣があり、ここからまず「おや?」と思いました。
聴き進むにしたがって、いわゆる通俗的なリスト臭というか、リスト的演歌調ではない、全体に品位を感じる演奏で、今どきの若い人にしては、自分の感じたことを丁寧に表現していく感じが新鮮でした。
少なくとも、ありきたりな演奏情報のコピーで小賢しくまとめ上げたものではなくて、自分の感性の命じるものが前面に出て、その感性に忠実に演奏へと移されている印象を受けたのは好感が持てました。

ときに左右が微妙にずれてでも、バスを強調したりメロディーを際だたせたりするやり方は、最近では珍しいことで、広く跋扈するトレンドに乗らず、こういう人も出てくるようになったのかと思うと、少し救われる気がしました。

どこかまだ、コンチェルトなどの場数が少ない感じは否めなかったけれど、それは初々しさと受け取っておこうと思います。

最近はコンチェルトが終わっても、ソリストは必ずアンコールをすることが常態化しているようで、それもどうかと思う面があるけれど、とはいえ義務は果たしたとばかりにつんと引っ込んでしまうよりは、後にひとつ何か披露されることは楽しみでもあるのも正直なところで、まあ演奏家もサービス業の一面はあるのだから、それも仕方がないと思います。

この時の谷さんもご多分に漏れず、アンコールとしてピアノの前に座りましたが、弾きだしたのはなんと、ペトルーシュカからの3楽章から冒頭の第1楽章で、これはいささか違和感を感じざるを得ませんでした。
説得力のある、上手い説明はできないけれど、個人的なイメージではあれはアンコールに弾くものではないという感覚があって、直前のリストが好感をもって聴き終えたところへ、いきなり腕自慢の調子が混ざってきたのは甚だ残念な流れでした。

好意的に解釈すれば、この後に予定されるオーケストラの曲目が「春の祭典」だったから、ストラヴィンスキー繋がりにしたんだということかもしれませんが、アンコールはあくまで本編の後に付け加えるもので、先駆けるものではないと思うのです。

まあそんなところもあったけれど、リストはいい演奏だったと思ったし、ピアノもサントリーホールなら新しい楽器もあったでしょうに、少し弾き込まれた感じの、やや派手な音のするピアノでした。

最近は、以前より華やかでメタリックな感じのピアノがやや陰をひそめ、新しめの楽器のいかにも粒の揃った、柔らかさのあるピアノが使われるのはいいけれど、どこか精巧なマシンで生産された感じの、電子ピアノ的にあまりに整ったピアノが多く、そこへ今どきの無機質な演奏が加わってくるのは、毒も味もなく、ちっともおもしろくありませんが、久々に楽しめた印象ではありました。

我は巨匠なり

プレトニョフのピアニストとしての動画をいくつか見た感想…。

最近は指揮活動に一区切りついたのか、ピアニストとしての活動がお盛んなようです。

演奏そのものが若いころとはずいぶん様変わりしていることは以前にも書いた記憶がありますが、あらためて見てみて、とりわけ目につくのはステージ上での所作などの様子でした。

どこか不自然なほど、悠然と歩を進めて登場し…かたちだけ聴衆へお辞儀をして…ゆったり椅子に座り…やがて弾き始める、その一連の動作があまりにも大物風に過ぎ「自ら巨匠を気取っている」ように見えて仕方がありません。
そこらの若造と一緒にされちゃ困るよ、格が違うんだよということを、彼自身の態度によって前置きされているようで、少なくとも私個人はあまり好ましい印象とはなりません。

とくに協奏曲では、一同が待ち受けるステージへ、指揮者とともに現れますが、ソロではないぶんいよいよ大物風な気配を漂わせるのか、まったくのマイペースであたりを支配し、悠然自若とした様子を振りまくのがあまりに演技的で、可笑しささえ覚えてしまいます。

これまで、アンドラーシュ・シフのステージマナーにほんの少しその気配を感じていましたが、それどころではない。
今後、初老期を迎えたピアニストたちは、こういう風なハッタリをきかせて自分の生きる道を守っていくのか?と思ってしまって、まるで企業秘密の手の内を見てしまった感じです。

中でも驚いたのは、ベートーヴェンの第3番協奏曲で、約4分ほどのオーケストラの序奏の後に、決然と、両手のハ短調スケールでピアノが始まる、あそこで、ただでさえ芝居がかっている感じがある中、そこでみせた彼の仕草はアッと驚くものでした。

その直前まで、プレトニョフはまるで自分が指揮者であるかのように体ごとオケの方を向いており、なかば自分の出番を忘れたかのようにしています。
いよいよピアノの出番が近づき、オケのド、ド、ドーーーッ…というのが終わっても、一瞬そのままで、「エッ、、、何???」と思ったら、やおらゆっくりピアノの方を向いて、破綻寸前のところでかろうじてピアノを弾き始めます。
いやしくも本番の舞台で、これはいくらなんでも過ぎたパフォーマンスだと思いました。

プレトニョフの演奏は、すでに技術の問題はとうに超越した、高い次元に達しているよというメッセージが、どんなシロウトにもわかる調子で、ことさら一切力まず、淡々と、まるで凡人界へ大事なものを教えてやっているという色の強いものでした。

おかげで、このベートーヴェンらしい野趣も含んだ3番が、どうかすると4番のようなやわらかな音楽に聞こえたことは、ひとつの発見ではあったし、それはそれでひとつの演奏と言えなくはないでしょうが、あまりに計算された自己主張で押し通す様子は、もうちょっと自然であったなら演奏の方向としては必ずしも否定はできないもののようにも思うだけに残念です。
個人的には、演奏者には無心さがほしいのです。

別の動画では、モーツァルトの第24番もあって、こちらもハ短調であることもあって、きわめて似た感じの曲に聞こえてしまい、これがいいことなのかどうなのかは私にはよくわかりませんが。

これらの演奏を聴いていると、なぜプレトニョフがSKを選ぶのかがわかるような気がします。
もっと積極的な演奏で成果を出すスタインウェイでは、なかなかこのようにはいかないのだろうと思うと、たしかに自分に合った楽器選びは大切なことだと思います。
ところ構わずピアノを準備しなくちゃいけないカワイも大変だろうなぁと思います。

シューベルティアーデ

BSのプレミアムシアターでピレシュを中心とした、『シューベルティアーデ』の様子が放映されました。
会場はパリのフィルハーモニー・ド・パリ。

ステージのやや左にピアノが置かれ、その傍らには、テーブルを囲んで椅子に腰掛けた男女パフォーマー達が訳ありげな様子に佇み、聴く楽しみにほどよい視覚の楽しみを加えた、なかなか面白いアイデアだと思いました。

クラシックのコンサートは(わけてもソロの演奏では)、ステージ上にソリストがポツンと居てひたすら演奏に打ち込み、それを身じろぎもせず聴くというのが当たり前で、これはちょっとした加減で一転、耐え難い苦行にもなるスタイルです。
演奏者以外に見るものがなく、時に集中力が切れたり、魅力的な音楽がかえって損ねられたり、変な違和感に襲われたりといったことがしばしばあるのも告白しなければなりません。

同じ曲でも、たとえば映画の中で効果的に用いられたりすると、その感動たるや何倍にも膨れ上がって鳥肌が立ち、ひとつのパッセージが心の内に深く迫ってくることがあります。
素晴らしい作品を、素晴らしい演奏によって披露されても、どうも虚しい退嬰的な時間のように感じることが私はないといえばウソになり、そもそも音楽はもう少しほぐれた雰囲気の中で聴けたらというのは、しばしば思うところだったのですが、この時の試みは、そのひとつの回答のような気がしたのです。

そのパフォーマーたちの動きは、まるでお能のように、その動きは極めてスローな最低限の動きで、決して音楽を邪魔するようなものでなかったことも好感が持てました。

個人的にコラボなどに代表される表層的な合体行為あまり好まないけれど、あくまで音楽を聴くことに主軸が置かれ、しかし音楽一辺倒の退屈さをガス抜きできる手立てとしての、こういうスタイルはなかなかいいなぁと感心しました。

印象に残ったのは、冬の旅からの二曲、弦楽四重奏曲の「死と乙女」──これは圧巻の演奏でした──、最後のピアノ・ソナタD.960のあの絶望の淵に落とし込まれる第二楽章で、上半身裸体の男性が金属の翼をつけた扮装で、ピアニストの背後まで迫ってくるのは、まるで天使か死神かわからないけれども息をのむ演出でした。

出演は、ピレシュの他に、イグナシ・カンブラ/トーマス・エンコ(ピアノ)、トーマス・ハンフリーズ(バリトン)、エルメス四重奏団。

ピレシュは、いかにも良心的な音楽作りで、とくにピアノソナタはかなり弾き込んでいると思われ、見事な演奏ではあったけれど、やはり気になるのは、どこか清貧的で、みずみずしさの要素は不足気味に感じます。
かと思うと、それにしてはドラマティックな表現は随所にあって、その際には他に見られるような抑制感がなく、ちょっと大げさな芝居っ気のある節回しは過大に聞こえることがしばしば。

気になるといえば、ピレシュ独特のタッチも何度聴いても気にかかり、注意深く丁寧に奏してほしい箇所でも、手を上げて、上からタッタッタッタッという、音色の配慮を欠いた雑な音が頻繁に出てくるのは、ほかが素晴らしいだけに目立つ気がします。

ほかの二人のピアニストも、おそらくはピレシュの弟子と思われ、それはこのタッタッタッタッという音や、手首から先全体を使う独特な奏法が、ピレシュのそれとそっくりで、そこまで師匠の奏法を踏襲する必要があるのか?は疑問。
まず第一に、ピレシュの奏法は小柄な体格と小さな手のサイズをカバーするために編み出されたものと考えられるので、普通の手のサイズをもった男性ピアニストまで同じ弾き方をして、わざわざ叩くような音を出すのは、なぜだかわからない。

ピレシュは何年か前に引退宣言をしたけれど、相変わらずステージに立っていて、私の印象だけかもしれませんが、ご贔屓だったヤマハを弾く姿は目にすることがなくなり、専らスタインウェイばかり弾いているようです。

ガジェヴ

このところ、BSのクラシック倶楽部その他で、立て続けにアレクサンダー・ガジェヴの演奏に接しました。
日本では前回ショパンコンクールで、反田さんと2位を分け合ったピアニストというほうがわかりやすいかもしれません。

東京音大を訪ねて学生たちとの対話をしたり、主には同校ホールでの演奏会の様子が収録され、放送は2回に及ぶものでした。
プログラムもずいぶんと狙いのあるもののような雰囲気で、意欲を示した取り組みだったと思われますが、何をどう聴いたらいいのかもうひとつ掴めなかった…というのが個人的に正直なところ。

リスト編曲のベートーヴェン交響曲第7番の第二楽章とか、リストの葬送、スクリャービンのエチュードや黒ミサ、コリリャーノのオスティナートによる幻想曲、ベートーヴェンのエロイカ変奏曲、さらにはショパンのプレリュードから数曲を通常とは逆方向に並べて弾くなど、あれこれと風変わりなものでした。
全体にほの暗い、死の気配を滲ませたようなものだったのかもしれません。

ただ曲を弾くだけのピアニストではないんだぞという、アーティストとしての思索やテーマ性が込められているようでしたが、鈍感な私には音楽的に何をどのように言いたかったのかよくわからなかったし、学生さんたちとの会話も、こう言っては申し訳ないけれどごくありきたりなものにしか思えませんでした。
これとは別に、N響との共演で、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番も聴きました。

ガジェヴの演奏については、全体に曲のフォルムがすっきりしており、一定のセンスのある人だとは思うけれど、どれを聴いても一様に彫りの深さが感じられず、もっぱら軽いテイストのピアニストという印象です。
今どきの基準でいうと、とりたてて技巧的というわけでもないし、そうかといって個性的とか、深いオリジナリティや芸術性で勝負しているわけでもなく、要するにこの人でないと、という印象が残らないのは惜しい気がします。
イタリア人で風貌の点からしても、いかにも深沈型の哲学者のような感じに見えますが、おもいのほかあっさりしていて、あえて云うなら軽い水彩画のような演奏のようにも思います。

とくに気にかかる点としては、音楽では随所に存在する転調や和声や表情が切り替わるポイントというか、部位の取扱いで、明暗や景色を変えるなど、曲中の場面転換に対しての注意深さがあまりなく、いつもそのままススッと通過してしまうところに、どうにも物足りないものを覚えます。
こういう要所は音楽を聴く上での大事なツボであるのに、それがとくにマーキングされないままあっけなく通過してしまうのが、信号のない交差点を速度を落とさず走り去るみたいで、これはどの曲を聞いている場合にも共通して感じるところでした。

また、折々にかなり情熱的な弾き方をすることもあるにもかかわらず、終わってみると、さほど情熱的な演奏に接したような気分が残らず、むしろ淡白な印象だけになってしまうあたりは、なんとも不思議でなりません。
どんなに熱っぽく弾いても、結果的にそういうものしか残らないというのは、要するにこの人の本質が淡白な良さにあるということかもしれません。
本当におしゃれな人は、どんなに泥臭くふるまっても、どこかおしゃれなところが顔を覗かせてしまうように。

ガジェヴは、2015年に浜松コンクールで優勝しており、その時からのご縁なのかどうかしらないけれど、ショパン・コンクールのときも私の記憶違いでなければシゲルカワイを弾いていて、その後来日してTVなどに出演した折にもスタジオでSKを弾いていたけれど、今回はいずれもスタインウェイでした。
ほかならぬSKの祖国である日本であるだけに、なんだか不思議でしたが、宗旨変えしたのか、たまたまなのか、はたまた別な事情があるのか…。

危険

ピアノの話でも音楽のことでもないのですが…ちょっとした恐怖体験をしたので。

私は肌があまり強くないこともあり、ここ数年は入浴時にはオリーブオイルから抽出したという、輸入物で不格好な茶色の石鹸を使っています。
といっても高価なものではなく、この手のものの中では安物の部類で、普通の石鹸よりはわずかに値がはるといった程度のものです。

おかげで肌荒れなどはせずに済んでいるものの、普通の石鹸のように使いやすく面取りなどされていないので、そのぶん使いやすい形にこなれてくるまでが大変で、どうかすると小さくなったもののほうが使いやすいのですが、じきに角が取れてくるとやがて小さい方は出番がなくなります。
しかし捨ててしまうのはどうにも気が進まないし、さりとて大きい方にくっつけようにも平面ではないため、これがまたなかなか思うようになりません。

なにか良い方法はないかとYouTubeを見てみると、「この手の石鹸は大きいので電子レンジで温めて使いやすい大きさにカットできますよ」とか「同時に小さくなった石鹸も容易に接着できます」というのがあったので、「ああ、なるほど!」とひとり合点して、動画をよく見ぬまま小さくなった石鹸を、小皿に乗せてチンすべく、すんなりスイッチを押してしまいました。

その間、キッチンで他事にかまけていると、電子レンジの方から唐突に「ボンッ!!!」という大きな音がしてびっくり仰天。
あわてて駆け寄ると、中はまったく見えないまでに白い煙で充満しており、しかもレンジはまだ作動中なので、恐怖におののきながら必死にスイッチをOFFにし、すぐまたそこから離れました。

なにかしくじってしまったらしいことは明らかで、レンジのドアを開けるのも恐ろしくて躊躇われましたが、だからといってとてもこのままというわけにもいかず、ゴクンと唾を飲み込むようにしておずおずとドアを開けると、凄まじい量の白い煙と鼻を突くような異臭が猛然とこちらへ襲いかかってきました。

キッチンは警報機が作動するのでは?と思うほど容赦なく煙が流れだし、しばらくは近辺の視界が効かないほどで、臭いもかなりのもの、とりあえず最寄りの窓を開けながら、これはえらいことになったという認識が遅れて付いてくるようでした。

意を決してようやく中を覗くと、皿は見事に三つに割れていて、中に置いたはずの小さな石鹸はまるで姿を消しており、代わりにコールタールのようなどぎつい茶色の液体がだらしなくそこらに広がっていました。
割れた皿を取り出そうとすると、これがまた信じられないほどの高温に熱されており、回収作業にはかなりの手間を要することに。

考えてみれば、石鹸は油からできているわけだから、ひとえに自分の短慮を恥じるばかりですが、容易にYouTubeの主張を短絡的に捉え、鵜呑みにしたことにも非があります。

幸い怪我などはありませんでしたが、下手をすれば大事にもなりかねないことで、危ないところでした。
というわけで、馬鹿なことをしたおかげでかなりな危険を感じましたので、私の阿呆さ加減をどうぞお笑いください。

最近のBechstein

腰の加減がまだ思わしくなく、すっかり更新ができていません。

はなはだ不確かながら、ここ最近では、ベヒシュタインの新しいグランドの音がかなり変わってきたように思っていますが、いつ頃からはさらに曖昧で、この一二年のことではないかと思っています。

その対象となるのは、少なくとも戦後からこちら今に続くグランドについてで、とりわけ入念に確認したのは公式動画サイトに相当数アップされている、コンサートグランドであることをまずお断りしておきます。

戦前のベヒシュタインにくらべると、戦後のグランドは(私の乏しい経験によれば)やや武骨な、ドイツ的体臭の強いピアノというイメージがあり、同様の印象をお持ちの方も少なくないだろうと思われます。

もちろんそこが魅力的でもあるわけですが、時代に沿った洗練という面ではやや取り残された観がありました。
戦前の同社グランドの気品ある透明な音色に比べると、いささか朴訥で、ワイマール時代の華麗なベルリンというより、ジゼルに出てくる森の男のような印象がありました。

ベヒシュタインといえば、一つ覚えのようにドビュッシーの有名な言葉が語られ、折々にこの人の作品が演奏されることも少なくありませんが、率直なところ赤ひげのドイツ人がフランス語を話しているような印象が、私にはありました。

低音域など独特な板床を叩くような響きがあるし、全体にも頭が大きく減衰のはかない音(これを「立ち上がりが良い」と表現される)こそがベヒシュタインの特徴とされていたこともあって、そういうものだろう…と思い込んでいました。

ところが、あるとき、はじめてベヒシュタイン・アップライトの最高峰である「コンサート8」に触れたとき「世の中にはこんなにも素晴らしいアップライトがあるのか!」という強い衝撃を受けることとなり、それは今も忘れられません。
品格、繊細さ、深み等々…どれをとっても極上で、さらにはカシミアのようなまろやかなタッチなど、およそケチのつけようのないものでした。

それがきっかけで、ベヒシュタインではむしろアップライトに興味をもつに至ったのですが、どのモデルもコンサート8の流れを汲む端正な音色をもっていて、グランドに感じていたドイツの野暮ったさは皆無でした。
同時に同じメーカーであるのに、グランドとアップライトでこうも音の性質が違うものかと、ますます疑問が募り、ついにはアップライトで実現されているような、清純で色彩的な、澄んだ音のグランドを作ったらいいのに…というようなことを空想するようになりました。

まさかその一念が通じたわけもありませんが、ここ最近のベヒシュタインのグランドは、どうも以前とは様子が違うらしい気がしてきているのです。
といっても、YouTube動画による印象でしかないのは実証性にとぼしく甚だ心もとないところですが、それでもどうやら「変わった」ようで、少なくともこのブログに文章として書いてみようという気になるぐらいの違いを感じるに至りました。
ベヒシュタインらしさを残しつつ、時代が求める要素の見直し作業が行われたのか、以前のような強すぎるドイツ訛りがかなりなくなっています。

これなら、ショパンやドビュッシーでも、違和感なく聴ける気がします。
わかりやすい識別点でいうと、ここ数年で、ベヒシュタインに使われるフェルトの色は、伝統的なモスグリーンから、鮮やかな紺色に変更されいるのが一目瞭然で、新しいグランドに至っては、ついに腕木の伝統的な形状もわずかながら変化しているようです。

今のところ、変化の代償なのか熟成が足りないのか、すこしカジュアルに聴こえる気がしないでもないけれど、これにやがて深みが加わってくるようなら、相当に魅力的な選択肢のひとつになるような気がします。

ご興味のある方は、YouTubeで[C.Bechstein]と検索すると、同名のチャンネルが出てきます。

本場の宝探し

ヨーロッパにお住まいの方から、面白い情報を寄せていただきました。

今どきはどこの国にも売買サイトがあるのは当たり前でしょうが、そこに出品されているピアノはというと、日本とはまるで異なるものが次から次へと出てきて、面白いといったらありません。

その中に、ドイツの伝統ある有名メーカーのグランドで、「ピンも弦も交換されているのに数ヶ月経っても売れない」のがあるらしいとのことで、私もさっそく直に見せていただきました。

お値段は日本円で80万円くらいと、望外の価格でもあるため、あまり細かいことを言い立てるのもどうかとは思いつつ、率直にいうと、一枚目の写真から早くも怪しい気配が漂っているようでした。
ロゴやフレーム、ピン板、譜面台、外装にいたるものまで、多くの部分は違和感にあふれ、本当にそのメーカーのピアノかどうかも疑わしい感じを受けたのです。

100年以上経過しているとはいえ、メジャーブランドのグランドがこんな値段で売られていること自体、どこかおかしいような気もしましたが、その方も興味本位とのことで、とくに購入を検討されているわけではないらしく、あまり真剣に観察する必要もないため却って面白いくらいでした。
ついでにほかも見渡してみると、さすがは本場だけあって多種多様の珍しいピアノがひしめき、音楽文化の歴史と裾野の広さとが如実に窺えました。

これを時間をかけ丁寧にウォッチすれば、中には掘り出し物といえるものもありそうですが、玉石混交であることも否めず、購入となればかなりの眼力が必要だろうと思います。
とくに古いピアノの場合、素人判断で安易に購入してしまうのはかなりの危険を伴うと思っておいたほうがよさそうですが、同時にヒリヒリするようなスリルもありそうで、つい引き寄せられていくのも正直なところ。
もし私みたいな人間がそんな地にいたらどんな目に遭うやら、考えただけでも恐ろしくなります。

日本の中古ピアノ市場といえば、大半がヤマハとカワイで一向におもしろ味がないのに対し、当たり前ですがヨーロッパの土台が違うというか、見ているだけでもわくわくで、それこそため息の出るような美しいピアノから粗大ごみのようなものまで、まさに宝探し気分です。

なんといっても楽しいのは、日本では絶対にあり得ないようなブランドのピアノがかなり意外なお値段ででていたりしますが、同時にかなり危なそうな雰囲気のものもあったりで、免疫のないマニアにとってはかなりの危険地帯でもあると思います。
日本と違って、騙されるときも思いっきりスッパリやられそうです。

腰の加減で、もっかほんの短時間しか椅子に座れないこともあり、ブログの更新もおぼつきませんが、快復したときじっくり見るのが楽しみです。

現代は疲れる

現代のネット社会は多くのことを劇的に便利にしていることは認めるにしても、まったく逆に超不便になったこともあります。

その代表例が電話を使わせない社会となったこと。
電話対応のための人手の確保やそのための人件費の問題などがあるのだろうし、いろいろやむを得ない面もあるだろうことは理解しても、その代償はあまりに大きい気がします。

むかしなら、わからないことがあれば、しかるべきところに電話して言葉で質問すれば簡単かつ短時間で済んでいたことが、まったくそうはいかなくなりました。
そもそも企業でもなんでも、電話番号を秘密情報のごとく隠されているも同然だから、まずこれを探り当てるだけでひと仕事。

ようやくわかっても、高い通話料金のかかる番号だったり、あの手この手で電話そのものを諦めさせようという障壁が設けられているのが見え見えです。

どこかに隠れるようにしてフリーダイヤルの番号があったとしても、こちらが望む担当者と話ができるようになるためには、まったくバカバカしいガイダンスを繰り返し聞かされるし、該当するものが無かったりと、その道はサービスとは程遠いばかりに険しいことは多くの方が経験されていることだと思います。

細分化された目的のところまで辿り着いたかと思うと、こんどは「ただいま電話が込み合っており、このままお待ちいただくか、しばらく経ってからおかけ直し…」となって、これだけ苦労して、エネルギーを費やして、ストレスと闘いながらここまできたのに、かけ直すとなると、またガイダンスからやり直しで、まったく弄ばれている気になります。

電話以外では、なにかのアカウントを取ったり、通販を利用したり、予約をしたり、クーポンを使うなど、入力する場面にしばしば出会いますが、そのたびに入力フォームなるものがあり、この多くが会社都合で不親切だと言わざるを得ません。

例えば、モノを送るのに宅配便の申し込みをして、希望する日に取りに来てもらう必要が生じたとき。
以前なら、どこか適当な営業所に電話すればパパッと済んだことが、今はネット上からの申し込みが主流となっており、これだけなら時代の趨勢として仕方がないかと思いますが、現実にはそう簡単なことではありません。

まず送るものの種類や大きさなどから、どの便を使うべきかを自分で判断し選択しなくてはいけないし、それが間違っていると、予約サイト上の進行や料金など、なにもかもが違ってきます。
したがって、どれが最適で目的に合致しているのか、サイトの説明を読んだり、調べたり、寸法を計ったり、ほとんど宅配便会社の社員の仕事ようなことをさせられるわけで、この手のことは初見で最適なものへ到達することはきわめて難しい。

さらに、ようやくこれだということになって、入力フォームに打ち込みを開始しますが、終わったと思って決定ボタンを押しても、何かが不備だったり、間違っていたり、なんらかのシステム上の要件を満たさないものがあると、あっけなく拒絶されてしまいます。
ここでいいたいことは、何がダメなのかわからないため、そこで延々と時間をとられるのは何なのか?と思います。

いつも思うことですが、慣れない一般人を相手にしているのだから、せめてどこがダメなのか、なぜハネられているのか、これぐらいは利用者に知らせるべきではないかと思います。
今の若い方はそういう苦労もなく、すんなり順応できるのかもしれないけれど、こういうものは老若男女がもっと使いやすいものであるべきだと思いませんか?

マイ・バッハ

『マイ・バッハ 不屈のピアニスト』という2017年ブラジル製作の映画を見ました。
以前からお気に入りに入れてはいたものの、「マイバッハ」というのが車の名前みたいであまりそそられず、ずっとそのままにしていたもの。
ようやく見てみたところ、思ったよりも見応えのある作品でした。

個人的に見るのに時間がかかったのは専らタイトルのせいで、原題を調べるとぜんぜん違うようでした。この映画に限ったことではないけれど、どうしてこんな邦題になるのか?と首をひねることが少なくありません。

以前もアルゲリッチのドキュメント映画で『私こそ音楽!』という、なんとも幼稚で知恵のかけらもない邦題に驚いたものです。
映画にとって、タイトルは非常に重要なものであることはいうまでもなく、邦題をつけるにあたりもう少しセンスのある人はいないのか?と思います。
…いや、センス以前というか、映画の内容を理解しているのか?そもそも映画を見たのか?とさえ勘ぐりたくようなものが少なくありません。

さて『マイ・バッハ 不屈のピアニスト』はブラジルのジョアン・カルロス・マルティンス(1940年生)というピアニストの半生を描いた作品でしたが、あろうことか私はこの人のことをほとんどなにも知りませんでした。

才能あふれるピアニストとして頭角をあらわし、ニューヨークに移り住んで、さあこれから世界に打って出ようとしていた矢先、たまたま目にした有名なサッカーチームの練習に吸い寄せられるように近づき、そこで走り回っているうちに手に大怪我を負ってしまいピアニストの活躍にとんでもない急ブレーキが掛かります。
それでもなんとかリハビリを重ね、徐々に演奏活動も軌道に乗り、名声も復活したかに見えますが、45歳のときに暴漢に襲われ鉄パイプで殴られ、再び大怪我を負うという不運に見舞われ、そんな境涯を果敢に生き続ける姿が描かれています。

映画として面白いかどう以前に、才能あふれるピアニストの身にそのような不幸が襲いかかるという現実は、あまりに残酷で見ちゃいられないものでした。

それにしても、1940年代の南米といえば、アルゲリッチ、バレンボイム、ゲルバー、フレイレなど、とてつもないピアニストが続々と登場してきたのはどういうわけだろうと思います。
さらに世代の枠を外せば、アラウやボレット、フリッター、モンテーロ、作曲家でもヴィラ=ロボスやナザレーなど、挙げていたらキリがないほどで、ひょっとすると北米より音楽の大物は多いのかもしれません。

映画に戻ると、使われるピアノもよく時代考証されており、ずいぶんたくさんの古いピアノが出てきたのは、楽器を楽しむ側面からいっても見どころの多い映画でした。
戦前のベヒシュタインや、いかにもマルティンスが若いころのニューヨーク・スタインウェイなど、ピアノのチョイスもほとんど違和感なく楽しめるものだったことは見事だったと思います。
ほかにもフッペルや名前のわからないピアノがあれこれ出てきて、これだけ多くの珍しいピアノが出てくるという点においても貴重な映画だろうと思います。

「ほとんど」と書いたのは、一度だけ、時代もモデルもおかしなタイミングでヤマハが出てきたのは、ほかが見事だっただけに残念でした。
それにしても「マイ・バッハ」ってどういう意図のタイトルなんだか、いまだにわかりません。

おもいで

このところまた腰が痛みだし、パソコンの前に座る時間がを減らさざるを得ず、書き込みが少なくなりました。

安静にしようと、ある随筆を読んでいると、半ば詩のようにやわらかに語られる言葉の中から、昔の情景が自然と目の前に広がってくることが何度かあり、そのたびに遠い昔に連れ戻されるようでした。
幼いころの光景がふわふわとよみがえるのは、なつかしさもあるけれど、どこかもの悲しいのはなぜでしょう…。

生まれてはじめてピアノの先生のところに行った頃のこと。
いわゆる街の先生で、親がなぜその先生につけたのかなど幼稚園の私にはまったくわかりませんでしたが、とくにピアノをさせようというような意思があったとは思えないし、子供の足でも歩いて10分ほどのところにあるというぐらいの、ごく単純な理由だったに違いありません。

先生宅は古い木造の2階建てで、ギィギィときしむ階段を登ると、グランドピアノが二階の板敷きの二間をまたいで前後の足をかけるように置かれていて、後ろ足のほうの床は階段部分にかぶっており、子供心にも不安を覚えたものです。

女の先生で、使われた教本のタイトルは思い出せないけれど、子供の目にもやたらと子供向けの、1ページに音符が一つか二つ大きく書いてあり、ページが進むごとに音符の数が少しずつ増えていくようなもので、これがもう救いようがないほどおもしろくなくて、おそらく1〜2ヶ月通ったあたりで我慢の限界。

私がいやがると、ことさら自由な感性で生きていた父は「いやならやめればいい」と言い出し、母もすんなり「そうね」と同調し、あっけなく止めてしまいました。
それでも誰から強制されるでもなく危なっかしい手つきでレコードを回してはよく聞いていたし、自己流で鍵盤に触れることはやっていたのはピアノは嫌いじゃなかったからだと思います。
自己流で少しずつあれこれ弾くマネごとのようなことをしながら、めちゃくちゃな指使いでエリーゼのためにぐらいを弾けるようになったことは我ながら笑ってしまいます。

コンサートにもよく連れられていったこともあってか、ついに自分から「ピアノを習いたい」と志願したのです。
しかし、それはすでに小学校5年生ぐらいのことで、これがいかにも遅すぎました。

ならばと連れて行かれたのが、泣く子も黙る、超スパルタ音楽院でした。
といっても、あえて厳しいところに入れようというような教育熱からではなく、院長先生と我が家とはちょっとした御縁があったし、ほかにあてもなかったからで、なにごともそんな程度の理由で物事が片付いていく時代でした。

当時、日本のピアノ教育会は井口基成氏がいわば天下人で、他には安川、永井等々いろいろとあったようですが、なにしろ井口先生にはカリスマ性があり、夫人や妹さんまでピアノ教育者として名を馳せた一族で、さらには桐朋の音楽科設立にも寄与した事もあって、当時は他を寄せ付けぬ威光がありました。

…でもそれは東京の話でしょ?と思いがちですが、福岡の院長は基成氏の直弟子たる猛女(先生)で、ご主人が実業家であったこともありそのための音楽院まで作って、飛行機が高名な先生たちをどんどん輸送しました。
まるでドラえもんのどこでもドアのように、そこはまさに井口系のピアノ道場だったのです。

というわけで、そんな環境は私に向いているわけがありません。
それでろくに練習もせず、あれこれと策を弄して逃げまわる数年間を送ったことは過去にも書いたことですが、身近に接する芸大/芸高/桐朋などを受験する生徒の腕前は大したものだったし、発表会ではなんと九州交響楽団が共演することもあり、いま思えば貴重な経験になったとは思っています。

ピアノ受難

パリ・オリンピックが閉幕しました。

パリ大会の開会式・閉会式では、ピアノが様々に登場したようですが、その使われ方には疑問の残るものが多かったように思います。

開会式での激しい雨にさらされてびしょ濡れのピアノが複数あったことはすでに書きましたが、閉会式では、今度はピアノとピアニストが宙吊りにされ、垂直のまま演奏するという驚きの光景を見せられることに。
以前も、フランスでは空中でピアノを弾くという奇想天外なパフォーマンスを動画を見た覚えがありましたが、もともとフランスという国はそういうイカれたことが好きなのか?!?

さらに驚いたことには、今回のオリンピックではピアノを燃やしてしまうパフォーマンスもあったのだそうで、もうそこに至っては見たくもないので動画を探してもいません。
中には「カッコいい」という意見もあるようですが、非難の声も相当あがっているようです。

「開会式では雨に濡れ燃やされたピアノ、閉会式では吊り下げられたり、ピアノの使い方がおかしい」
「ピアノに対して恨みでもあるんか?」
「ひどい」「ピアノがかわいそう」といった意見もネット上にちらほら出ていました。

ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』の場面を揶揄したり、マリー・アントワネットの首が出たりと、かなり過激な試みも恐れることなく挑戦するという意欲は買うとしても、いささかやり過ぎでは?と思う面が多すぎたののかもしれません。

そもそも、芸術の都として名高いパリで、ピアノという楽器に対してあのような非文化的な扱いをすること自体が、個人的にはその見識のほどを疑ってしまうものがありました。
これが、文化の何たるかもまるで解さないような、成金の野蛮国の所業ならともかく、なにしろパリですからね。
パリにはピアノに関する歴史でもプレイエルがあり、ショパンやドビュッシーが住み暮らし、ロンやコルトーやフランソワがいた街であったことを考えると、やはり今回の振る舞いは納得がいきません。

最後の吊り上げ演奏では、単純な疑問も残ります。グランドピアノの構造は水平であってはじめて機能するもの。
これを縦に吊るした(しかも鍵盤が下)というのは、少しでもグランドのアクションの構造を知る人なら、演奏するのは常識では不可能なはず。

ということは、音源は別にあって、空中で弾いているマネだけしていることも大いにありそうで、これを口パクというのかアテレコというのか適確な言葉はわからないけれど、あまりに意表をつくハデな演出ばかりでは虚しいです。

フランスに限ったことではないけれど、とにかくハデなことをやって注目を集めさえすれば、それが正義という価値観があまりに中心になりすぎていて、まさに炎上商法ですね。
そんなことをしなくても、パリの輝きは世界中が知っていると思いますけどね。

競技や審判に関することでも非難される事柄がずいぶんと多かったようで、今どきのスポーツが純粋公正でさわやかなものとはもとより思っていないけれど、それにしえもマイナス面も数多かったように感じました。

ちなみに宙吊りにされたピアノはヤマハでしたね。

まさか!

偶然をもうひとつ。
録画設定しているTV番組は、視る機会のほうがはるかに少ないから溜まっていく一方で、HDの容量確保のためときどき整理が必要で、タイトルだけ見て消したり、ときに少し見てみたり。

『新・美の巨人』6月22日放送分は、建築界のノーベル賞といわれる「プリツカー賞」をとった山本理顕氏が手がけた横浜市立子安小学校が採り上げられていました。

建築のことはよくわからないけれど、見るのはとても面白い。
ここは全校生徒が1000人を超える大きな学校で、それを前提とした機能的な建築のようでした。
体育館に集合というと、全校生徒はわずか10分ほどで体育館に集まる事ができる由、これはL字型をした校舎に抱かれるように体育館があり、二方向から最短距離で体育館と繋がれているためだとか。

学校の体育館といえばステージがあり、ステージにはピアノがあるのがごく当たり前。
この時も舞台の下手のほうにカバーのかかったグランドピアノらしきものがあって、それは小さく画面の端に数秒しか映らないのに、悲しい習性でついチェックをしてしまいます。

一般的に日本の公立の小学校ならばヤマハかカワイ以外はあり得ないという先入観があり、ほとんど関心は寄せていなかったところ、足の形状に「ん?」と目が行きました。
足の下部には金色の薄い受け皿のようなものが嵌めこまれており、そのすぐ下がキャスター。

これはヤマハでもカワイでもないし、強いて言うならベヒシュタインとベーゼンドルファーですが、足の形状はあきらかにベーゼンとは違うし、ベヒシュタインならペダルから斜めに伸びるペダルの突かい棒が太い木製ですが、それは細い金属製のようで、そこからこれしかないと考えられたのは「ディアパソン」でした。

全体のサイズはほぼ210cmクラスで、おそらくDR500だろうと思いました。
このサイズの大橋デザインモデルが廃盤になったあとに出た、カワイのRX-6ベースに一本張りにされたモデルで、高音側の外板のカーブが始まる位置がかなり後方であることからも、そのように推察できました。

実はこれ、個人的にものすごく好きなピアノで、根っからのファンにしてみれば「カワイを流用したもので、真のディアパソンではない!」ということになるかもしれません。
ところが、大橋モデルとは違った包容力とまろやかで美しい音色、大人っぽい落ち着きを兼ね備えた、きわめて魅力的なピアノで、もしかしたら個人的には一番好きなディアパソンかもしれません。
しかしこのサイズともなると、そうそう売れるものではなかったのか、早い時期にカタログから落とされた経緯のある、かなりレアなピアノだと思います。

何年も前、ディアパソンをイチオシ!するショップで、「実は一台だけ本社に残っている未使用のDR500があって、ご希望なら販売可能です。」といわれて、かなり心がざわついたことがありますが、さすがに衝動買いするわけにもいかず諦めるしかありませんでした。
ピアノが手に持てるほどのサイズで、お値段も一桁違えば買っていたでしょうけど…。

そんなレアなピアノが、まさか公立の小学校にある!というのも、かなりレアケースだと思いました。
番組で紹介された建築も大変なものだったけれど、思いがけなくピアノのほうに気持ちが向いてしまい、どういう経緯でそういうことになったのか、あれこれ考えを巡らせてしまいました。
勝手にディアパソンのDR500だと決めてかかって書いていますが、もし間違っていたらとんだ赤っ恥ですが!

家族の一員

少し前のこと、民放TVで都市部から遥か遠い、隔絶した山中などで生活する人たちを訪ねて、その生活に密着するという番組があり、あまりのすごさにびっくりして、つい最後まで見てしまいました。
ほかに『ポツンと…』という番組もあるようですが、それとは違う3時間ほどの特集番組でした。

いずれも、自然の中の隔絶された自然の中で暮らす人たちで、中には、山深い集落もない文字通りの一軒家で、小さな子供が何人もいつ一家であったり、高齢でも一人暮らしをする人まで、その逞しさときたら想像を絶するものばかりです。
中には代々の家を守るためという方もおられたけれど、都会生活を投げうって、あえてそんな場所での暮らしを意義あるものとし、自ら選択した人たちの何組か紹介されました。

共通しているのは、どの方もやせ我慢や演技でなく活き活きして、日々の生活のために体を動かし汗をかきながら充実した暮らしを送っておられるように見えました。
電気や水(山の湧き水であったり)はあるけれど、食べ物(とくに野菜)は基本的に大半が自給自足で、みなさん土を耕し、種を蒔き、多種多様な野菜を育てておられ、鶏や牛や山羊などもいれば、同時に子育てまでこなすという忙しさ。

朝から絶え間なく体を動かし、薪をおこして食事を作り、風呂を沸かし、日が落ちれば眠りにつくというもので、とうてい真似のできるものではないけれど、生きるということの本源のようなものに触れた気がしたことも事実でした。
それに、なんとはなしに心地よかったのが、ここではスマホもネットもSNSもなく、俗世の瑣末なことや競争社会のストレスなどの要素がまったくないので、それだけでも不思議な安堵みたいなものを感じてしまいました。

私は自他ともに認める「田舎の生活は無理派」で、運動嫌いで、夜行性で、虫が嫌いで、エアコン依存症で、そういう要素満載なのですが、それでも田舎の生活の魅力というものも、できる人にとっては一理あるんだな…と思わせられました。
なにかにつけて、現代人が当たり前だと思っている便利とは真逆の世界だけれども、旬の野菜だのなんだのと、身近にあるものはどれも新鮮で、大量で、ある種贅沢で、勝手な部分だけはやけに羨ましく感じました。

みなさんいずれも心が広く、自然な笑顔が耐えず、こせこせしたところがなく、わざとらしさのない普通の優しみや安心感があって、考えさせられるところが非常に多かったことは、まったく意外なことでした。

最後に紹介されたのは関東から大分県南部の山の中へやってきたという一家。
山の中腹に佇むまさに一軒家で、その家を自力で修繕しながら生活を始めてようやく一ヶ月というところでした。

家の中は作業のための廃材やらなにやらでごった返していましたが、なんとその片隅の床の上には茶色の杢目のグランドピアノが、後ろ向きに置かれていて、まさかピアノがあるなんて思いもしなかったこともあり、「おお!」っと目を奪われたのはいうまでもありません。

これから床をどうする、お味噌を仕込む、畑に行くなど、あれこれの説明のところどころに、チラチラとそのピアノの一部が写り込むのですが、どういうピアノかはまったくわからずにじりじりしました。
ただ、そこにはどことなく日本のピアノではない気配を感じ、ますます気になって仕方がありません。

ピアノのフォルムが全体にとても細身というか華奢で、枯れた感じさえあり、どちらかというとメタボ体型の日本のピアノではない気もするから、輸入物か、あるいは過去のメーカーのピアノか、もう番組そっちのけでピアノにばかり意識が向きました。

後半、ついに!ピアノが紹介される場面となり、それによれば、ご主人の趣味のためここまで運んできたものだそうで、ついに蓋が開いて演奏が始まりました。
自作の曲で、2歳に満たない一人娘のために作ったという曲を弾かれましたが、ついに最後まで鍵盤蓋のロゴは一切わかりませんでした。

もしやブリュートナー?とも思っていたけれど、腕木の形状が違うし、あれこれの記憶の断片をつなぎあわせた末、おそらくあれはザウターではないか?というのが私の結論でした。確証はありませんが、たぶん。

都会での生活はすべて捨て去ったとのことですが、ピアノは捨てられなかったようで、そーだろうねーと思いました。

…だからなに?といわれたら二の句が告げられませんが、ただそれだけです、ハイ。

オリンピック

パリ五輪が始まりました。

開会式当日はすでに曇天で、やがて晴れてくるのかなぁと思ったらとんでもない、ほどなくして無情にも雨粒が落ちはじめ、さらに時間が経つほどにそれは強く激しいものとなってしまいました。

そんな状況にもめげることなく、ダンスをはじめ渾身のパフォーマンスに打ち込む大勢の人たちが気の毒なほどの猛烈な雨足。
この雨のせいかどうかはわからないけれど、選手たちの乗る船もときに心配になるほど大きく上下に揺れるのがあったり、いやはや、これは大変なことになったようだと思いました。

ダンスや動きがキレッキレで激しいだけに、いつ転倒するのかとハラハラしましたが、ほとんどそういうこともなく、みなさん大したものだなあと感心させられました。

こんな場合にもついつい目が行くのはピアノで、はじめの頃(雨が降り出す直前)、レディー・ガガが歌って弾いていたのはスタインウェイのBかCで、閉めた大屋根の上に譜面台が置かれていましたが、サイドのロゴは黒いテープのようなもので隠されていました。
だれもが知っている、ルイ・ヴィトンのケースなどはあんなに露わに映しても、ピアノのロゴは隠すんだ…と思いました。

この日のピアノネタで最大のものは、フランス人ピアニストのアレクサンドル・カントロフ(2019年のチャイコフスキーで優勝)のソロでした。
ピアノは激しい雨が叩きつける場所に置かれ、大屋根は閉じられているものの、その上部には大粒の水たまりが無数のアメーバのように広がり、カントロフ自身も後には引けないと覚悟を決めているようで雨を浴びながら弾いており、曲はまさかのラヴェルの「水の戯れ」。戯れどころかずぶ濡れで、これにはもう笑うに笑えず、身を捩るような気持ちになりました。

音はしっかり出ていたけれど、普通サイズのグランドで、あれだけ強い雨の中、しかも大屋根を閉じた状態で、あんなにまともな音がでているとはとても思えず、おそらく音源は別にあったのだろうと思いました。
これだけのピアニストに弾かせておいて、手元は一切映らなかったのも不自然で、やはりいろいろ事情がありそうでした。

ちなみに、これほどの大雨でびしょびしょにされたピアノはどこのメーカーかとずいぶん観察しましたが、残念ながらそれを突き止めることはできませんでした。
細部からも特定には至らず、まさかのダミーでは?などと勘ぐったり。

翌日からはさっそく競技が本格化したようですが、はじめに目にしたのは柔道で、選手であれ審判であれ一人の日本人もいないのに「はじめ!」とか「まて!」とかいうのは、なんだか奇妙な感じがするものですね。
フランスでの柔道人気は昔から根強いものがあるらしく、なんと日本よりも競技人口が多いというのは驚きですし、柔道人気はフランスだけでなく世界的で、あのプーチン大統領も黒帯の有段者というのですから、どこがそんなにいいのやら…。

かく言いつつ、我が身を振り返ればヘンなフランス車に30年も乗っているし、フランスの文物もロシア音楽も大好きなので、そこはお互い様というところでしょうか?

ブッフビンダー

先日のEテレ、クラシック音楽館は前半がブラームスのピアノ協奏曲第1番でした。
ピアノはルドルフ・ブッフビンダー、指揮はファビオ・ルイージ/NHK交響楽団。

ブッフビンダーはウィーンを拠点とするピアニストで現在70代の後半。
ドイツ系音楽のスペシャリストとして数えられる人ですが、個人的には特に強い印象をもった記憶はあまりなく、いわゆる「中堅」という言葉がこれほどピッタリくる人はないイメージです。

際立った魅力も感じないがイヤミもないというところで、ウィーン系のピアニストというと、ティル・フェルナーとか近いところではヴンダーといった名前が浮かびますが、いずれも自身の個性表出より音楽への奉仕に重きをおくタイプの人で、そこがウィーン流なのか?とも思います。

とくにフェルナーの細部に至るまで神経のかよった端正な演奏は舌を巻くところで、様式感を重んじつつ、そこにあふれる清潔な美しさは印象的。

ブッフビンダーはウィーン系でもまた趣が異なりますし、そもそもウィーン系なのかどうかもわからない。
CDなど何枚かは持っているけれど購入当時に幾度か聴いただけで、自分にとってさほど重要な存在にならないまま、以降は手に取ることもほとんどなくなってしまいました。

氏のプロフィールや得意なレパートリーから期待するような、構造感とか折り目正しさというわけでもないし、その音楽には感覚重視の印象もあり、どこか線の細さを感じます。

よって、やはり「中堅」としか思えないのだけれど、最近ではお歳も重ねられたこともあるのか、いつしか「巨匠」へと格上げされているようです。

今回のブラームスでは、テンポが速めで、そうすることでこの長大な作品をまとまりよく聴かせられるということもあるのかもしれないけれど、もう少ししっとりじっくり聴きたい派には、いささか性急で肌理の粗さが目立ちました。

この作品は長いだけでなく結構な技巧を要するところへ、このテンポ設定も重なったのか、あまり上質な演奏とは思えないものになってしまったのはとても残念でした。
キズのない演奏が大事などとは思いませんが、そういう不備を補って余りある何か大事なものが聴こえてこなかった…というのが私の印象。

さらに追い打ちをかけたのが、最近の機能性抜群のN響の乱れのない演奏で、ピアノとオケがとりわけ対等密接な関係性をもつこの作品においては、ソリストの弱点が否応なく暴かれてしまうようで皮肉な対照でもありました。

そういうことをしばし忘れて楽しめたのは第2楽章。
夢見るような美しい世界の広がりは陶酔的で、そういう趣味の良い叙情美はブラームスの独壇場となるのもしばしば。
この緩徐楽章ではさしものブッフビンダーもほぼ適正なテンポで弾いてくれましたし、時おり特定のバスを深く響かせてくるあたりは、この作品をよく知っているらしいことを感じさせるところではありました。

そして、第2楽章が終わって第3楽章に入る間の取り方は、この曲を聴くときにいつも注目してしまうポイントですが、ほんの一息間を置くだけで、その集中と余韻を切れさせぬところで、決然とピアノのソロが鳴り出したのはホッとさせられました。

ここで、本当の休息をとってしまって、客席からゴホゴホ咳払いなどが出てくるのは、この作品においては適当とは思われませんから。

稼ぐか芸術か

少し前のこと、民放の音楽長寿番組で、立て続けに現代日本を代表する世代のピアニストたちが様々出演されました。
どの方の演奏も指さばきは安定し、なにかが決定的に悪いわけではないけれど、良いとも思わない、いつものスタイルでした。

年齢も経歴も必ずしも同じではないのに、不思議なほど肌触りやあとに残る印象が似ているあたり、まさに大同小異という言葉を思い起こします。

楽譜通りにそつなく弾けているけれど、耳を凝らすと、それぞれに肝心な点でおかしなことをやっている。
わかりやすく云うと、ツボにハマらず、ピントはずれ、歌うべきところで歌うことなく、素通りするかと思うと、思わぬところで意味不明な間をとったり。

指は確かだから、さも完成されているように見えても、作品と演奏者が特別親密な関係になったときだけに発酵する濃密さみたいなものはなく、その場だけ笑顔をかわして会話しているような、ひどく他人行儀なウソっぽさを感じます。
現代人がお得意の、良好な関係の演技をしているだけといった印象。

よって、そつのない演奏に終始し、魅力的な演奏で酔わせてくれることもない。

これが演奏における現代様式なのかとおもうと、気分が自分の中のどこの引き出しに収まることができずに彷徨い、慢性的な倦怠感のようなものに包まれます。

たとえば、いまやモーツァルトの世界的名手のように言われる人などもおいでのようだけれど、何度聴いてみても私にはとてもそのような価値ある演奏とは思えず、そもそも芸術性というものが感じられません。

指もよく動くし、譜読みも早く何でも弾けるのだろうから、むかしならさしずめナクソスレーベル御用達のピアニストぐらいで?

聴く側が演奏に触れるときに期待するものは、作品そのものの世界に浸ってみたいということの他に、演奏者ごとの表現や問いかけに接してみたい、美しさにハッとさせられたい、慰めと悦びで満たされたい、あるいは激しく打ちのめされ翻弄されたいというような思いがあるのですが、この世代の演奏からはほとんど受け取った覚えがない。

なるほど天才なのかもしれないけれど、どれも一様に軽く、小動物の戯れのようで有難味がなく、作品が生きあがってくるとは言い難い。
モーツァルトならやっぱり内田光子のほうが断然好きだなぁと思ったり。

モーツァルトといえば、別の、話題の多い二人のピアニストが出演して、2台のピアノのためのソナタの第3楽章を弾かれましたが、これにもまたかなり唖然とさせられました。

最終楽章というのは、大半はテンポも速く生き生きとして、それまで旅してきた各楽章の意味を引き継いで、まとめるようでもあるし祝祭的でもあるし後片付け的な意味もあるもので、この曲もまさにそういう作りです。

ところが、楽しく浮き立つような要素は私の耳には皆無であったばかりか、ふてぶてしいまでに落ち着き払い、まるで別の曲の第一楽章を聞いているようでした。

もうすこし踏み込んで言うと、作品に対して気持ちが入っていないことが見えてしまっており、曲の表情付けから何からすべてが外形的作為的、ただ人気に慢心し、聴衆を軽く見て、番組の予定をこなしている不誠実なタレントのように見えました。
もしかしたら、ろくに練習もせず、間に合わせ的に本番で弾いたといわれても驚きませんし、この人達ならそれも可能なのでしょう。

終わったら楽屋で着替えて、お付や関係者と次の事務連絡をして、出待ちのファンに対応することもなく、待ち受けるハイヤーにサッと乗ってホールを後にするんだろうなという光景が目に浮かぶようでした。

昔の演奏家は、根を詰めて作品と対峙し、納得した時だけステージに上げるというようなことをやっていましたから、好みはあるにせよ、いちおうは聴く価値のあるものでした。

でも、今そんなことをしていたら、ライバルにどんどん仕事を取られるし、極限まで突き詰めた演奏をしてもしなくても、大半の人にはどうせわからない、芸術家として苦しみに喘ぎながらごく一部の理解者に賞賛されることより、演奏タレントと割りきって忙しく飛び回り、拍手とギャラにまみれるほうが、楽しいし時代の価値にも合っているんでしょうね。

あるある

ピアノには関係ないのですが、現代どこででも遭遇する、あるあるな景色。
先週、クルマの整備でとあるショップに行ったときのこと、1時間ほどの作業の間、併設された待合室で過ごすことに。

そこにはテーブルとイスが、窓に寄せて二セット置かれています。
厳密にいうと、奥には一人用の緊急用みたいな小さなテーブルがあるにはあるけれど、実質的には二つのテーブルと考えて良い設えです。

そこへ入室したとき、すでにお店のスタッフと一人のお客さんが向き合って話し中で、その隣のテーブルが空いていたので座ろうとすると、そのイスに女性用らしきバッグが置かれていて、すぐ脇のキッズスペースでは小さな子がひとりで遊んでいました。
とっさに母親はちょっと席を外しているだけで、二組のお客さんがいるらしいと理解して、やむなく一番奥の小さなテーブルの方へ行って腰掛けましたが、なんとなく落ち着かない席だし、すぐ横では至近距離で人の話し声がしているなど、もってきた本を取り出して読む気にもなれません。

やがて、そのお母さんらしき人が戻ってきましたが、イスに座ることなくキッズスペースで子どもと遊ぶばかりで、バッグはそのまま。
なんとなく、釈然としないものはあったけれど、先客だし仕方ないかと思っていましたが、30分ほどたった頃でしょうか、「領収書は?」とか「次回までには…」などという言葉になり、となりは終わって帰りそうな雰囲気になりました。

そしてついに「ありがとうございました」という言葉とともに、イスから立ち上がったので、空いたらそちらへ移動しようと思っていたら、なんたることか、その後ろの女性と子供もその人の連れ(つまり家族)だったようで、いっぺんに私一人になりました。

普通なら、夫婦と幼児の3人が4人用のテーブルを二つも使う必要はなく、そこへ別の人間が入ってきた時点で、自分のバッグぐらいちょっと引き取って、場所を譲るものだと思いますが、そんな気配はこれっぽっちもありませんでした。
話し中のテーブル(4人がけ)にも空きイスはあったのだから、そちらにちょっと置き換えればいいだけのことですが、状況はまったく動く気配もなく、おまけに横柄さも悪意も見受けられませんから、さらにやりきれないものが残ります。

いま、こういうことがあまりにも多い気がします。
譲り合いの精神とか、お互い様の気持ちとか、そういうものがまったく欠落しているだけで、きっと普通の善人だろうと思われます。
こういうちょっとしたことで、他者へ迷惑やストレスを発生させていることを、もう少し意識するようになってほしいものですが…たぶん無理でしょうね。

ゴミの収集員にむけて袋に「いつもありがとう」と書くとか、海外でのスポーツ観戦の後、みんなできれいに掃除してゴミを持ち帰り、そっと折り鶴を置いていくといった行動に世界が大絶賛!…なんて話も聞きますが、本当に大事なことはもっと手前にあるように思えて、なんだかフーッと大きく深呼吸したくなります。

タブーとの戦い

このところ、更新のエネルギーがふっつり消えて、いろいろなことに迷っています。

ここはピアノを主軸にしたブログだから、単純にピアノおよびそれに連なることを書けばいいのですが、心情としてはなかなかそういう感じにも行かないときがあったりして、あれこれ考えさせられてしまいます。

昔は「たかだか個人ブログ」だからと気軽に考えていましたが、今は個人においても思いもよらないルールが求められ、そう無邪気には構えていられないようで、いちいち慎重にならざるを得ません。

少し大袈裟にいうなら、心の求めるまま、関心の命ずるままに書くと、そのほとんどはアウトの領域に入ってしまいます。
あるいは一生活者であればピアノ以外のことにも無関心ではいられず、以前はそういう時は素直に書いていましたが、そうすることが正しいのかどうかも、最近はよくわからないのです。
また、内容としても、どこまで踏み込んでいいのかいけないのか…といった見極めに多くのエネルギーをさいて、以前よりも言葉や表現にも数倍気を使うようになりました。

世の中は際限なく変化して、価値観や、ルールや、新常識といったものが猛スピードで変容していくから、こちらも時代の空気を嗅ぎ取りながらついて行かなくてはならないし、下手をすると、どんなことから槍玉に上がって不愉快な奈落へ落ち込むかもわからないので、その匙加減が非常に難しくなりました。

以前なら、自分が何ほどの人物でもあるまいし、ただ個人的に思ったことを個人的文章として書くのは、よほど過激なことや社会正義に反しないことであれば構わないだろうと判断していましたが、ネットというものがいよいよ怪物化してきた今日では、どこまでがボーダーラインなのか、正直言ってもうわかりません。

このところ世界で起こっている様々な出来事、プ氏が引き起した侵略戦争、隣国の脅威、北部にある異様な小国、パとイの争い、欧州の混乱、国内でも片づかない永田町の問題、東京都議選等々、そのつど思うことはいろいろあるけれど、それらはピアノとは関係ないし、そもそもそれを考えとしてまとめて文章にするほどの知見もないし、だいいち今どきはタブー(もしくはその可能性がある)とされるものがあまりに多すぎて窒息しそうになります。

もちろん一小市民のささやかな感じ方として書くことはアリかもしれませんが、そんな駄文拙文をわざわざネットに挙げる価値があるとも思えないし、あれこれと考えているうちに、ぽかんと空白地帯が生まれたように感じているこの頃です。

…と、ここまで書いてみたら、少し区切りがついた気もするので、また少しずつ書いてみようかと思います。

生産国の曖昧

3月2日にアップした拙文「共通化-追記」の終わりに、「いつの日か、スタインウェイもどこ製か伏せらてわからなくなる日がくるのかも?といった想像さえしてしまうこの頃です。」と書いたばかりですが、その杞憂はすでに到来しているのでは?…という疑念に駆られる事がありました。

YouTubeでスタインウェイ&サンズ東京を訪ねる動画は複数いろいろ存在しますが、その中に「…ん?」と思うシルエットが映りました。
これまでは、ニューヨーク製(NY)とハンブルク製(HB)を見分けるのはわけもないことで、特殊モデルは別として、近代のレギュラーモデルではそれを見誤ることはありませんでした。

ところが、最近の共通化によって、従来の違いはほぼなくなり、HBスタイルに覆い尽くされてしまいました。
かろうじて残るいくつかの違いのひとつが、大屋根を開けた時のシルエットですが、これは前屋根を開ける(折り曲げる)位置と面積の違いによるもので、その結果はNYのほうが狭くスマートなのが特徴でした。
ちなみにヤマハのコンサートグランドが、ステージ上で鈍重に見えるのも、ほぼ同じ理由からです。

言葉だけではわかりにくいので、図を作ってみました。

AとB、実は奥行きも形状もまったく同じですが、違いは前屋根部分をどこで切り分けているか、それによるカタチと面積のみ。
前屋根の面積が狭いのがA、広いのがBで、たったこれだけのことでピアノのフォルムは大きく違って見えるのです。
感じ方は人それぞれだと思いますが、私はAのほうがスマートで美しく、Bはややボテッとした重い印象となり、ファッションでいうなら、手足が長く見える着こなしと、そうではない場合の、2つの例のように見えませんか?
繰り返しますが、両方とも原形はまったく同じ寸法・形状です。

前置きが長くなりましたが、動画の店舗に並ぶピアノは、手前右のBから大きさ順に並んでいて、奥にあるのがOもしくはMだと思われますが、その大屋根の形がNYの比率のように見えたのです。
しかも上記のように、現在はNYもHB仕様のルックスになっているので、パッと見だけではわかりません。

動画出演者は店員さんと会話をしながらあれこれのモデルを試しますが、なぜかそのピアノには行き当たらないあたり、偶然かもしれないけれど、それがよけい疑念を膨らます要因の一つになりました。
実際には、購入を検討するお客さんには生産国は告知されるのかもしれないから、ここでなにかを断定することはできませんが、以前よりもずっと曖昧になっていることは間違いないような気配です。

いずれにしろ、スタインウェイ級の新品ピアノを買う人にとって、その生産国がドイツかアメリカかは、「どうでもいいこと…ではないだろう」と思うのです。
ジャーナリズム的にいうなら「知る権利の問題」というところでしょうか?

現代のピアノ生産においては、多くのメーカーで生産国の問題はかなりグレーな領域のようで、それはますます加速していくようですが、「iPhoneは中国製です、それが何か?」みたいに開き直りもピアノではできないのでしょうね。

クラコヴィアク

BSのクラシック倶楽部録画から『歴史的楽器が奏でるショパンの調べ〜名ピアニストたちと18世紀オーケストラ〜』を視聴。
2024年3月11日、東京オペラシティ・コンサートホール、ピアノは川口成彦/トマシュ・リッテル。

ショパンはオーケストラ付きの作品として、2つの協奏曲以外には、ラ・チ・ダレム変奏曲op.2、ポーランド民謡による幻想曲op.13、クラコヴィアクop.14、アンダンテ・スピアナートと華麗な大ポロネーズop.22があるのみ。
いずれも初期の作品で、20歳前に書かれていますが、すでにショパンの作風は見事に確立されているのは信じ難いほどで、歴史に残る天才とは恐ろしいものだと思います。

現在は、残念なことに協奏曲以外はめったなことでは演奏機会がありません。
op.22はピアノソロとして演奏されるし、op.2はやはりソロでブルース・リウがショパンコンクールで弾いたのが記憶に新しいところですが、op.13とop.14は演奏機会はめったにありません。

録音も少なく、私のイチオシはクラウディオ・アラウのもので、生演奏では未だ聴く機会に恵まれていません。
op.13とop.14は演奏時間もほぼ同じで、作品内容としても個人的には双璧だと思うのですが、それでもなんとなくop.14のほうが一段高い評価であるような印象。
随所に美しいノクターン的な要素があるop.13より、活気あるロンド形式のop.14のほうが演奏映えするのかもしれませんが、いずれも非常にショパンらしい魅力的な作品だと思います。

今回はop.13を川口さん、op.14をトマシュ・リッテルさんが演奏されましたが、リッテルさんによるクラコヴィアクが大変素晴らしかったことが印象的で感銘を受けました。
ピアノはタイトルが示すようにフォルテピアノが使われ、現代のパワフルかつ洗練されたピアノに慣らされている耳には、どうしてもやや頼りなく感じることがあるのも正直なところですが、リッテルさんの演奏はそのようなことをすっかり忘れさせるほど濃密で、躍動し、新しい発見がありました。
さらにいうなら、ショパンへの敬意と注意深さも終始途絶えることがなく、作品と演奏が一体のものとなり、聴く悦びを堪能させてくれるものでした。

あらためて感じたことですが、良い演奏というのは作品に対する表現のピントが合っており、すべてが意味をもった言葉となって、こちらの全身へ流れ込んでくるような心地よさがある。

もちろん事前にしっかりと準備されているだろうし、細部も細かく検討されたものでしょうが、さらに本番では霊感を失わず、今そこで音楽が生まれてくるような反応があり、それがさらに次の反応へと繋がって、まるで音符が自分の意志で動き出しているかのように感じました。
聴衆をこの状態に引っ張りこむことができるかどうか、それが演奏家の真の実力ではないかと思います。

最近は、クリアで正確だけど感動できない演奏が主流となっているので、若い世代にも稀にこういう人がいるのかと、久しぶりの満足を得た思いでした。

残り時間は18世紀オーケストラによるモーツァルトの40番でしたが、古楽オーケストラの活き活きした軽快な演奏はわかるのですが、私個人としては昔から抵抗を感じるのは、そこここでしばしば繰り返される強烈なクレッシェンドやアクセントで、あれがどうにも脅迫的で、当時は本当にそういう演奏だったのかなぁ?と思ってしまいます。

顔のない処罰

いまやネットがこの世を支配している勢いですが、思いがけないことに遭遇したので、少し長くなりますが、皆様へのご参考になればという意味も含めて書くことに。

実は、この先使う予定のない家財品などがあり知人に相談したところ、買い取りは価格的に不利なので△△△(有名なフリマサイト)での売却を奨められました。
しかし、△△△はこれまで利用経験もなく躊躇するところもあったのですが、家の中の不要品などなんでも気軽に、しかも「きわめて簡単に」出品できるのだそうで、そちらに疎い私としては、この際よい機会かもと思いアドバイスに従う決断をしました。

まずはアカウントを作りで、銀行口座から運転免許証などの身分証明、さらには顔の撮影などまであるのは驚きました。
運転免許証は表と裏を写真に撮って送るだけでなく、動画でゆっくりと指示通りに免許証の角度を変えながら厚みまで見せなければならないし、顔も動画で正面から左右、笑顔まで撮らせるという念の入れようで、いささか驚きましたがなんとか終了。
自分なりに商品の区別したいという考えがあって、別の端末からもうひとつアカウントを作ることにしたため、また同じ手続きを繰り返し、とくに問題なく終わりました。

さっそく出品してみようとアイテムの写真を撮り、価格を決め、簡単な説明などを書いて、いざ出品しようと最後のボタンをタップしますが、最後の最後で先に進めない。
何度やってもダメで、はじめはわけがわからず、どこか自分の手順が間違っているのかもと思うなど、ずいぶんいろいろ試しましたが、なにをどうやっても出品できません。
翌日になってようやくわかったことは、なんと△△△側から利用制限(使えなくする措置)がかけられていたわけですが、その理由は一切示されず、いきなり真っ暗闇に放り込まれたようでした。

どう対処したらいいのかもわからず、知人にも聞きましたがすぐにはわからないし、電話の受付は一切ないこともこの時知り、なぜ利用制限をかけられたのか、八方塞がりで気分は最悪となりました。
制限をかけるのであれば、せめてその理由を告げるのは当然だろうと私は思うのですが、一切なく、ずいぶん傲慢なやり方で、これではただ個人情報を持って行かれただけじゃないか!と思いました。

そうこうするうちに、「一人につきアカウントはひとつという規定がある」ということがわかり、それでハネられているとしか考えられません。
詳しく見れば、そういう事もどこかに書かれているのかもしれませんが、現実的に細かい同意事項のたぐいを、隅々まで一字一句キッチリ目を通す人がどれだけいるか?と思います。
そういう規定があるのなら、2つ目のアカウントを作る過程で、そういう警告が出るとか、手続きが進めないようになっていればいいものを、そういうことは一切ないまますべてが終了したあとに、いきなりバタンとドアを閉められるのは、まるで囮捜査にでも引っかかったようでした。

これを打開するにはアプリ内から問い合わせするしかなく、そこに行き当たるだけでも一苦労でしたが、ようやく該当するページから事情説明の文章を添えて利用制限解除の申請をしたら、すぐに自動返信らしきものが来て、そこには次のように書かれていました。
申請を受け付けました、一週間経っても解除されない場合はそれで終了となり、その理由には答えない、と。

ずいぶん一方的な言い分に心底おどろきましたが、ともかく待ってみるより手立てがなく、心に不愉快なものを抱えた毎日を過ごすハメに。しかし、一週間を過ぎても10日過ぎても解除になることはありませんでした。
ネットの情報によれば、こうなると制限は無期限とみなされ(つまり重罪?)、ほぼ永久に解除されることはないという扱いだそうで、こちらにしてみれば取引のひとつもやっていないのに、これはいささか度が過ぎやしないかと思いました。

知人もずいぶんと骨を折ってくれて、ついにどこからか探し出してきてくれた打開策は、なんと「詫び状を書く」というものでした。
そこには例文があり、これこれしかじかの事情があったこと、もとより悪意はなく、△△△利用を楽しみにしていた自分は大変悲しい思いをしていること、今後気をつける旨の約束、くわえて謝罪の文言が記され、それでも「必ず解除されるわけではありません」という但し書きがついていました。

本来なら「誰がそんなことするか!」と思うけれど、この頃になると相手はもしやAIではないか?という気もしはじめており、だとするならAI相手に意地を張っても仕方ないと思い、最後の手段としてそれに沿うような詫び状を書いて送りました。
すると、なんたることか、送信から数時間後に「解除」の連絡が来たのです!

このような規約の背景には、悪辣なことをする輩や、違法行為、犯罪に繋がるような事案への対策という意味もあることだろうとは思いますし、それはわかります。
だとしても、もう少し穏当なやり方というのはあるはずで、問答無用で処罰的に切り捨てる前に、最低限の説明とステップを踏むべきだと思います。
それがネットだ!今どきだ!というのなら、今どきは、相手に少しでもストレスを与える行為を☓☓ハラスメントなどと名前をつけて厳しく糾弾される時代となっているのだから、△△△のこの強権的なやり方は何かのハラスメントではないのか?と思いました。

なんとか解除にはなったものの、受けたストレスというか心の疲労はかなりのものに積み上がり、現在はまだ出品する気力がわかないでいます。

ディアパソンUP

大屋根の磨きの最中、技術者さんのスマホにはしばしば電話が入るので、その度に作業は中断を余儀なくされますが、すぐ側なのでいやでも話し声が耳に入ります。

どうやら、電話の主は新たにピアノを買うべくお悩み中らしく、数台の候補があるようで、モデル名からそれらはディアパソンのUPのようでした。
この技術者さんはとくにディアパソンに通じておられることもあり、モデルごとの特徴などを丁寧に説明されていますが、なにぶん中古のことなので、現物を見ないではそれ以上はなんともいえないと繰り返し言われています。

話の様子ではその音源はYouTubeにあるらしいのですが、「そんなものじゃわかりません」「答えられません」「現物を見て判断されるしかありませんよ」といったことを何度も言われており、至極尤もなお話です。

サイズや色などから、精一杯の説明をされていましたが、終わりのない会話にだんだん疲れられたのか、ようやく話が済むと深い溜息をつかれました。
おおよそのことはわかったので、ちょっと話を向けてみるとまさにそのとおりでした。
「私でよかったら夜その動画見てみましょうか?」というと、それはありがたいとばかりに折り返して電話されて、電話機を渡されて私もその方と話をして、その夜さっそく見てみることになりました。

それは関西の有名なピアノ店で、なんとディアパソンのUPだけが一気に4台も紹介されているものでした。
1台は猫足の125cm、残る3台は132cmですが、ほとんど黒に見える杢目で枠飾りのついたタイプが2台と、もう一台はプレーンなスタイルのマホガニーのピアノでした。
4台とも状態も悪く無い(ように思える)ピアノで、あとは予算と見た目の好みで選ばれたらいいのでは?と思い、その旨を技術者さんに伝えました。

強いて言うなら、125cmはそれ自体のバランスはいいと思ったものの、3台の132cmに囲まれてしまうと、どうしてもひとまわりスケールの小ささがわかってしまうのは、致し方ないところがありました。
ただし、それはあくまで比較するからであって、125cmも普通にいいピアノだと思ったし、さらに132cmに共通しているのは、あきらかに余裕があり、広がりのようなものを備えているなぁと感じるところでした。

ちなみに、以前から思っていたことですが、ディアパソンのUPの中でもこの黒い杢目+角窓のモデルは、色合いスタイルともに重厚なアンティーク調でえもいわれぬ風格があり、なかなか魅力的な一台だと思っていましたが、あらためて目にして「やっぱりいいなぁ!」と思いました。
さらにこの2台、見た目はまったく同じですが、一台はアグラフ仕様でもう一台は普通のタイプというのも面白い違いでした。

音の差は、個体の差なのか、アグラフの効果なのかはわからなかったけれど、アグラフ仕様のほうが若干ですが音の腰が座っているように感じましたが…大差ではなく、なにしろ動画での判断なので、それ以上のことはいえません。
現物に触ったら印象も多少違ってくるかもしれませんが、最近ではネットで見ただけで中古ピアノを買う方も少なくないのだそうで、良し悪しの問題ではなく、そういう時代になったということのようです。

動画とはいえ、ディアパソンの中古UPを4台同時比較というのは初めてだったこともあり、とても面白い経験でした。

佳き時代の名品

磨きの作業中は、技術者さんとあれこれ雑談する機会にもなりました。

とくに印象に残った話など。
むかしは国内大手のピアノメーカーでも、会社が一丸となって「いいピアノ」を作ろうと云う気概と情熱にあふれていたころがあって、今では考えられないような良質な材料を惜しげも無く使うなど、高い理想を掲げて制作されていたとのことでした。
時代的に云うと、1960年代あたりからのようです。

技術者として、その時代のピアノに触れて感じることは、作り手の熱意が直に伝わってくるとのこと。
「三つ子の魂百までと言われるとおり、いかに志をもって制作され、丁寧に調整を施されて出荷されるまでが大事で、それがピアノの一生を決める」というものでした。

カメラなどでもそうだと聞きますが、昔の逸品には作った職人の手間ひまや息吹が感じられて、工芸としての価値や重みもある。
本物だけが持ち得るもので、価値あるものすべてに通底するようです。

時代も移ろい、あらゆることが変化したいま、ピアノづくりだけがそんなにピュアな精神を保っているはずはありませんが、少なくともそういう時代があったこと知るだけでも大事だし、自分で触れるなりして正しくその価値を評価すべきだと思いますが、ピアノはなぜか冷遇され、なかなか再評価の風が吹きません。

たとえば有名なフリマサイトなどにもピアノは多数出品されていますが、そこでは製造年の新しいものが人気で高値で取引されるのに対し、上記の時代のピアノとなると、それがどんなに贅を尽くされた最高級クラスのものであっても、古いというだけで敬遠され、驚くばかりに安く値付けされてしまい、それでもなかなか買い手がつかないのが現実のようです。

ピアノの価値基準というのはなかなか判断が難しいところがあることも否定できませんが、それにしてもそのあまりの不当評価にはやるせないものを感じます。
まるでクルマのように年式と走行距離とコンディションで…といいたいところですが、実はクルマのほうが熱心なファンが多いせいか旧き佳き時代のものは、とくに近年は価値が見直されています。
いったんその風が吹くと、「こんなものが?」と思うようなものまで連動して価格高騰しています。
古くて希少というだけで、ほとんど見るべきもののない中古車なんぞに比べたら、この時代のピアノは比較にならないほどの高い価値があると思うのですが、悲しいかな市場がまったく反応しない。

もしUPで50〜100万円ぐらいの予算があるなら、新しいというだけでペラペラの「合成ピアノ」を買うより、佳き時代の名品を買ってリニューアルして使ったほうが、どれだけ豊かで実り多いピアノライフが送れるだろう…と思います。

尤も、いまピアノを買う人は、仮に子供にピアノを習わせるというような動機だとすると、その子が成長して独り立ちすると弾く人がいなくなる、あるいは大人になって趣味でピアノを買う人も、その当人が弾かなくなったらたちまちジャマモノ扱いとなり処分されるなど、せいぜい20年ぐらいしか使われないケースが多いのかもしれず、家の中でもピアノを弾くのは特殊な存在で、なかなか生活に自然に根付く存在とはならないようです。

現実はそうだとしても、でもしかし、はじめから使う期間のおしりを切って、それに見合ったものでよいというのも、あまりに寂しい気がするし、だったらいっそピアノなんかやらなくてもいいのでは?

磨き作業に参加-2

二日目はバフ研磨で、電動工具を使うため、私はさすがに遠慮しましたが、何枚もの円形の布をバウムクーヘンのように重ねた部分が高速回転し、そこにコンパウンドの塊のようなもの(名前を失念しました)を当てながら、端から丁寧に磨いていくと、少しずつ艶らしきものが現れてきます。

バフがけは熟練を要する作業で、バフの当て方とか力の加減、動かす方向によって仕上がりを左右するので、見ているぶんには面白かったけれど、集中力を要する大変な作業で、大屋根は面積も広いため時間もかかります。

ひと通りバフ研磨が終わったところで、方々から角度を変えながら仕上がりをチェックし、少しでも磨き足りないところや、磨き目のムラなどがあるとすぐに修正が入って、そういうことが延々と繰り返されます。

これが終わるとピカピカですが、さらにここから極細コンパウンドによる鏡面磨きとなり、ここでは手作業となるため大いに手伝いました。

最後にピアノ本体に取り付けて完成ですが、2日間にわたって12時間ほどかかり、ヘトヘトに疲れましたが、そのぶん普段できない、貴重な経験をさせてもらいました。

これまで「外観だけ磨いて、中の整備はそれほどでもない」などと軽口を叩いていましたが、GPにしろUPにしろ、使用感のあるピアノの外観をきれいに変身させるまでには、実は相当な人手を経ていることが身をもってわかりました。

外観を磨くことをどこかで「ごまかし」のように思う部分もありましたが、これもれっきとした手作業の世界とわかりました。
プロと呼ばれる人たちの作業の丁寧さと、そのための集中と忍耐力には頭が下がります。

素人はワザ云々の前に、何時間でも黙々と同じことをやり続けるだけの忍耐力さえないわけで、やはりプロの仕事というのはすごいものだとあらためて知りました。

学びの多い、貴重な二日間でした。

↑バフ研磨が終わった段階。
ここからコンパウンドによる鏡面磨きと、まだまだ作業は続きます。

磨き作業に参加-1

ある技術者さんとの話の成り行きから、大屋根が傷だらけになったGPの塗装の磨きをお手伝いしてみることになりました。

中古ピアノを取り扱うお店に行くと、かなり古いピアノでも外観は新品のようにピカピカに磨き上げられているのを目にすることがありますが、これは一般人が真似できるような次元のものではないから、その磨き術には強く興味を覚えるところでした。
それをほんの一部でも垣間見る、いいチャンスが到来したわけです。

そのピアノの傷とくすみはかなりのもので、長年カバーもないまま上に物が置かれたりの繰り返しで、素人目にもコンパウンド等で磨いてどうこうなるような生やさしいものではありませんでした。

まず慎重に大屋根を外し、作業スペースに広げられたビニールシート上に移動、さらには大屋根じたいも前後バラバラにされ、小さなゴムパーツなども外しますが、これだけでもかなり手間のかかる作業で、この時点からすでに大変さを予感。

ペーパー(紙やすり)を硬いスポンジにあてがい、水や石鹸を含ませながら表面を削っていきますが、技術者さんが言われるには決して円を描いたりせず、決まった方向にだけ直線的に磨くようにとのこと。

これがいきなりの重労働で、墨汁のような黒い汁がそれらじゅうにあふれるし、準備していたビニールの使い捨て手袋など、あっけなく破れてしまってものの役にも立ちません。

さらに、ペーパーは荒いものから目の細いものへと、順次変えながらひたすらこれを続けます。
おしゃべりはできるけど、手は休められないという作業です。

途中休憩以外はこれだけで数時間を費やし、不慣れな私の疲れ具合も考慮されたのか、残りは後日に持ち越されました。

この時点で、表面はニューヨークスタインウェイのヘアライン仕上げのようになり、個人的にはこれが一番いいなあ…と思うほど雰囲気はガラリと変わってしまいました。

─続く─

窮屈になる時代

コンサートに行く頻度はめっきり減りましたが、その理由はいろいろあるけれど、ざっくりした理由としては、聴いてみたい演奏家の激減、演奏スタイルの変化により結果が見えていてワクワク感がない、地方公演での演奏の質、残響ばかり強くて音が混濁するホール、などがあります。

…が、そればかりでなく、コンサート会場に流れる空気も、昔の自由な、楽しい雰囲気は失われ、最近はますます悪い方向に強化される方向だと聞きます。

例えばホールに行くと、いまどきの人手不足というのに、エントランス前後から多くの職員があちこちに立って、お客さんを案内するという名のもと、実は厳しく行動は監視され、なにか見張られているような気配を感じます。

座席に行くにも、その経路さえも関係者からやんわり管理されているのか、なんとなく自由にウロチョロできない雰囲気。
ようやく座席につくと、こんどは「開園に際しまして…」のたぐいの注意放送が降り注ぎます。

録音/撮影はダメ、携帯電話の電源を切る、演奏中の出入りはダメ、花束を渡すのもダメ、プログラムなどの紙類は落とすと周囲のご迷惑になるから注意しろ、など、次から次です。
内容的には当然のことではあるけれど、せっかくこれからいい音楽を聞こうという期待に身をおいているのに、頭の上を流れるアナウンスは、あれもダメこれもダメのダメダメづくしで、まるでこちらがコンサートのマナーを知らない野蛮人のようで、しかもそれが何度も何度も無遠慮に繰り返されます。

ようやく注意が終わったかと思ったら、次は「ただいまロビーで☓☓のCDを発売しております」「終演後はサイン会を予定しております」「どうぞ本日の記念に…」と一転して商売の話に切り替わり、これがまた何度もしつこくてイヤになります。

お手洗いに行くにも、楽屋へ通じるルートなど、いかめしい制服のガードマンが棒立ちで、何様でもあるまいにと思うし、ことほどさようにその息苦しさといったら、なにげに不快感を感じるのみ。

主催者側、ホール側にしてみれば、もちろん言い分はいくらでもあるのでしょうが、アナウンスはじめ流れる空気がどこか高圧的で、チケットを買って楽しみに来たはずの気分はこういうことから少しずつ息苦しくなり、それがが積み重なるうちに楽しい気持ちは減退して、不愉快になっていきます。

だいたい、入り口から入っても、何人ものスタッフから「いらっしゃいませ」帰りは「ありがとうございました」を言われるけれど、飛行機やホテルじゃあるまいし、こっちは音楽を聴きに来て、終わっから帰っているだけであって、そこにいちいちそん挨拶は無用だし、どこかなんだか鬱陶しくて仕方なく、もうすこしサッパリできないものかと思います。

いまどきなので、万一に備えてのトラブル対策というか、外形的な安全を張り巡らせているだけで、来場者のためというより自分達のためという印象しかありません。
時代も変わり、客層も変わったといえば、そのひとことで終わりますが、なんだか福袋の行列と大差ない扱いを受けているような…。

ヤマハの価値-追記

一部の高級機のことはわからないけれど、ヤマハピアノの中核をなすのは世界の頂点に君臨する量産ピアノで、その高い信頼性や工作精度の確かさはもはや世界の認識。
ヤマハはピアノ界のトヨタといって間違いありません。

とりわけアクションの精度の高さは、他の追随を許さぬものがあり、一説によれば「二位がないほど世界一」なんだとか。
そのためヤマハのアクションを使っているヨーロッパメーカーも存在するらしく、到底かなわないものは、それ自体を使ったほうが得策だという発想でしょう。

ヤマハのアクション技術の高さについては、多くの技術者さんが口をそろえて言われるところで、これについては批判の声を聞いたことがありません。
しかもそれは大量生産品であるとなると二重の驚きでもありますが、よくよく考えてみれば、その高いクオリティは最高級の機械による大量生産だからこそ成し遂げられたことかもしれない…とも思うことがあります。

手作り手作業が価値をもつピアノの世界ですが、手作業なら何でも良いというものでもなく、精度がものをいうパーツなど、高度な機械から生み出されるほうが好ましい部分も確実にある筈で、ヤマハのアクションはまさにその賜物だろうと思います。
その意味で、ヤマハはピアノ生産の新たな地平を切り拓いた偉大なメーカーと思います。

ただ、個人的な好みで云うと、このピアノも他で弾いたGPも同様ですが、アクションという複雑な構造をおよそ感じさせない軽やかなタッチは「弾きやす過ぎて、弾きにくい」とへんな言葉ですが、そう感じるのも事実です。
個人的にはもう少ししっとりした抵抗(重いという意味ではなく)や、弾いている実感が伴うがほうが好みではあります。

良心的な価格、高い品質、パワー、信頼感という点においては、これに勝るピアノはないのではないかと思いました。
しかもそれは西洋音楽の歴史もない、東洋のメーカーから生み出されたのですから、ヤマハの出現はピアノ界にとっては黒船だったことでしょう。

ショパン・コンクールの公式ピアノになったときも「はじめは我々も懐疑的だった」といっていましたが、カワイともどもよくぞそれを突破したものだと思います。

ヤマハの価値

ヤマハのUPピアノを落ち着いて弾く機会がありました。
1996年製のUX300で、X支柱、アグラフ仕様、サイズは131cm、トーンエスケープという譜面台を手前に引き出すタイプで、その両端には縦に木目があしわれた、現在もYUS5として続いているおなじみのスタイル。

ヤマハは子供の頃から20年以上お世話になったので、私の体の深いところにはその経験が残っているようで、眠っていたものがよみがえって懐かしく感じるところが多々ありました。
どのメーカーにも言えることですが、サイズや形状(GPかUPか)や製造年が違っても、ブランドの個性は綿々と引き継がれるものらしく、これは考えてみればきわめて不思議な事だなぁと思います。
いわばピアノのDNAみたいなものでしょうか?

以前、有名ショップでスタインウェイのUPを触らせてもらったとき、あまりにもスタインウェイの音だったことは想像以上で、かなり衝撃的だった記憶があります。

ヤマハに戻ると、やはりGPでもUPでも、そこに通底するものは同じ肌触りであることをまざまざと感じます。
もちろん、各モデルや個々の状態で違いがあるのは当然ですが、ここで言いたいことは、そこに吹きこまれたメーカー独特の世界や手触り、スピリットが同じだということでしょうか。
こういうことをひっくるめて「ブランド」というかもしれません。

ヤマハでなによりも感じるのは、健康な骨格に恵まれたアスリートのような頼もしさと、全音域にわたるヤマハらしいバランスでしょうか。
どの音域も互いの連携がとれており、中音以上での華やかな輝き、低音の太い迫力などいずれもぬかりなく、さらによく出来たアクションに支えられてタッチも軽快、どこをみても死角のない製品で素直に大したものだと思います。

音にはガツっとくる迫力があり、労せずしてよく鳴ってくれますが、あまりに奏者に向けて音が盛大に向けられてくるあたり、これは慣れないと少し戸惑いました。
逆にこれが普通になってしまうと、他のピアノでは物足りなさを感じてしまうのではないか?と心配になるほど。
人間の感覚は、かなりの部分が相対的だから、濃い味付けに慣れている人が薄味の料理を食すと、食べた気がしないようなものかもしれません。

いずれにしても、量産ピアノでこれだけ活気があって、バラつきのない高品質が維持され、耐久力にも整備性にも優れる(らしい)というのは驚くほかはなく、ヤマハが世界を制したのも納得です。

同曲異奏

BSのクラシック倶楽部では、内容がしばしば再放送となることがあります。
CDならば繰り返し聴くけれど、録画のほとんどは消してしまうので、この再放送はちょうどよい感じの「もう一度視聴してみる機会」となっています。

過日は、小林愛実さんとリシャール=アムランさんのショパンが立て続けに再放送されました。
両者ともにショパン・コンクールの上位入賞者ですが、今回は偶然なのか2日連続でおふたりの24のプレリュードを聴けたのは興味深い比較となりました。

小林さんは先のショパン・コンクールでもこの作品を弾かれていますが、今回の演奏はコンクール直前に日本で収録されたもので、ほぼ同じような演奏だと感じました。

隅々までよく仕上げられていることは痛いほど伝わりますが、それは「磨き上げられた」というよりは「徹底したコンクール対策」というほうが強く前に出た印象でした。
チリひとつなく、張りつめたような緊張感、すべてがコントロールされているのはすごいなとは思うものの、聴いている側も息がつまってクタクタに疲れます。
なんとしても上位入賞を果たすという強烈な意気込みというか、日本的な精神芸を見せられるようでした。

コンクール終了後の総括として、優れていた演奏のひとつに彼女のプレリュードが入っていたことは驚きで、こういう演奏が今のショパン・コンクールでは評価されるのか?と驚いたし、反田氏も「彼女のプレリュードは素晴らしかったと思う」とわざわざ言っていたことなど、個人的には目を白黒させられるばかり。

翌日のリシャール=アムランは、見事なまでにすべてが違っていました。
全体にも、細部にも、ほどよい情感とバランス感覚がなめらかに行き渡っており、とにかく自然で安定感があるし、それでいて注意深くショパンの世界は尊重され守られいるのは、さすがでした。
ピアニストが作品を通じて呼吸しているとき、演奏は心地よい音楽となり聞くものを悦びに誘われます。

私見ですが、このop.28は各曲が独立したかたちにはなっているけれど、全体を一つの作品としてとらえることが通例化し、多くのピアニストがそういうアプローチをしているよう感じます。
各曲は見えない糸で繋がった、ショパンの音の回廊のような作品だから、各曲とその間合いをどう取り扱うかは演奏者の任意に委ねられていると感じます。

小林さんの場合、その間合いがあまりに長いため、次の曲との関係性や呼吸感が切れてしまいます。
一曲一曲、一音一音を大切にするあまりか、息を止めんばかりの集中は、どうしても重くなり、丁寧な演奏とはこういうことなのか?と考えさせられてしまいます。

小林愛実さんという才能あふれるピアニストは、以前はもっと天真爛漫に元気よく弾かれていたように思いますが、現在のそれはまるで別人の振る舞いのように感じることがあります。
ご本人の成長と円熟によるものかもしれないけれど、どこか演出され制御された感じが拭えず、私は音楽はもうすこし本音で語ってほしいなと思うタイプなので、建前はもう結構ですから「ぶっちゃけ」でしゃべってくださいと言いたくなります。

ピンの根元

チューニングピンを磨いてみたら、意外にきれいになったことで味をしめ「だったらここも…」と欲が出て、その下のフレーム部分のホコリなどをもう少しきれいにしたくなりました。

しかし、ピンの付け根付近は「掃除不可」といわんばかりに弦が整然と張られており、そのわずか数ミリ下をかいくぐるようにして積もったホコリを取り除くのは相当な難題です。
おまけにフレームと弦の間は数ミリと非常に狭く、道具類を差し込む余地がないから、見れば見るほど心が折れそうになります。

除去したい汚れやホコリはすぐ目の前だというのに、弦が立ちはだかって手出しができないのは、もどかしいと言ったらありません。

その難易度はピン磨きどころではないし、無理をして万が一にも弦に損傷を与えるわけにもゆかず、古典的な方法ではあるけれど、綿棒を使ってみることに。

さっそくダイソーに行って、「普通サイズ」とさらに細い「赤ちゃん用」という二種類を購入。

作業をはじめたものの、思った以上に現場は複雑ではかどらず、作業は遅々として進みません。
進まない理由のひとつは、綿棒は思ったよりも先端の接地面積が小さく、なかなか面として広がらないから細いサインペンをコチョコチョ動かしているようなもの。

あたかもファイリングされたハンマーのようで、先はごくわずかしか当たらず、こんなことをやっていても埒があかないし、仕上がりも好ましいものにはなりそうにない。
そこで、包丁用の砥石に綿棒の先端を当ててこすって、先端をほぐし、細字から太字ぐらいに拡大したらいくらかマシになりました。

しかも弦の下は普通の綿棒では入らないので、ここでは細い赤ちゃん用がずいぶん役立ちました。

あまり根を詰めると腰や肩がやられそうで、少しずつ数日にわけての作業となりました。
とくに満足というほどでもなく、別の方法も考えみようと思っていましたが、良いアイデアも浮かばないし、日が経つとだんだん面倒くさくなりました。

いやはや…ピアノの内部掃除は大変です。

ロゴ

以前、May4569さんからいただいたコメントの中に、ピアノメーカーのロゴと音の関係に触れておられましたが、たしかにそうだな…と思いました。
人は「名前のような人間になる」というのをむかし聞いた覚えがありますが、ピアノもそうかもしれません。

たしかにスタインウェイ、ベーゼンドルファー、ベヒシュタイン、ヤマハ、ブリュートナーなど、多くのピアノではロゴがなんとはなしにその音や楽器の性格まで表しているように感じます。

中には、伝統的な美しいロゴが変更されて、味気ないものになったりすることもあり、非常に残念に思うことも。

昔のグロトリアンは、ほれぼれするほど美しいロゴだったものが、諸事情から変更になったことは仕方ないにしても、それがただ活字を並べただけの無味乾燥なものになっているのは、ピアノが素晴らしいだけに理解できないものがあります。

ブリュートナーも伝統の流麗な筆記体のものがあると思えば、ただの平凡なフォントのものもあるのは、いったいどういう区別なのやら、これまたよくわかりません。

スタイリッシュで目を引くと仰せのファツィオリは、まさにグッドデザインでさすがはイタリアだと思いますが、音とロゴが一致しているか?となると、私にはどこかしっくりこないものが残ります。
このあたりは各人の感じ方にもよりますが、個人的にはもっとあのロゴのような音であってほしいのです。

時代を反映して個性を出さないよう配慮されているようで、まさに今どきのコンテスタントの演奏のように、だれからも幅広く受け容れられて、アンチを生まないための用心深さを感じてしまうところがもどかしく残念です。
今どきはビジネスのことまで周到かつ分析的に考えるから、まさにコンクールと同じで、まんべんなく加点が得られるよう中庸に躾られているのでしょう。
イタリア的な奔放と豪奢を期待していると、やや肩透かしを喰らうようです。

シゲルカワイはピアノの素晴らしさに対して、ロゴはどうなんでしょう。
とくにスタインウェイのライラマークの位置に、ピアノの形をした枠の中にSKの文字が嵌めこまれたアレは何なのか、まるでわからないし、それが鍵盤蓋やサイドはもちろん、なんと突上棒の途中とか、椅子、譜面台にまで入っているのは…??

ベヒシュタインは、以前は笑わないドイツ人みたいな四角四面なゴチック体で、それが一回転して個性のようになっていましたが、最近のロゴは少し細身になり、ちょっとだけ今風になったというか、頑固なお父さんより息子のほうがフレンドリーになったような感じでしょうか。

ヤマハはまさにヤマハであって、海外に行った人が帰りの空港で鶴のマークを見ると安心するそうですが、同様にあのロゴの前に座ると心が落ち着く人も多いのかもしれません。

ピアノにとってのロゴはまさに顔のようなものだから、非常に大切なものだと思います。

廉価ピアノ

このままピアノ価格が値上げを繰り返して、手に入れることが難しくなればなるほど、中古や廉価なピアノが注目される可能性は高いでしょう。

ただ、始めからロープライス目的で作られるピアノに一抹の不安を覚える人は少なくない気がして、かくいう私もその一人なのですが、その不安は中古ピアノの比ではない予感がします(あくまで予感です)。

中古ピアノは根本が良いものであれば「直す」という道があるのに対し、材質や作りそれ自体に問題がある場合、打つ手がないからです。

今や有名ブランドの高級機種でも、部分的に木材以外の素材が使われていることは周知の事実として囁かれていることです。

それは天然資源の枯渇だなんだと表向きはいわれますが、個人的にはもっぱらコストではないかと考えています。

いま、木以外の素材が使われている部分というのは、いちおう直接音には影響しない、もしくは影響の少ない部分なのだろうとは信じたいところですが、その一線が守られているかさえ確かなことはわかりません。

譜面台や足やペダルユニットが天然木でなくてもいいとなれば、生産する側は都合がいいはずです。

当節、天然資源の枯渇だ地球環境だと言えばだれも反論できないし、いかにも納得の得られやすい話のように聞こえますが、建築資材や木を必要とするあまたの製品など、そのとてつもない消費規模に比べたら、たいした数でもないピアノのパーツが作れないほど、この世の木材が枯渇しているなどとは、私にはとても思えないのです。

ただ、天然木はピアノのパーツにするまでには水分除去から木工作業など、多くの手間ひまがかかるわけで、それを別の素材でガッチャンと型にはめて作って済むのなら、比較にならないほど低コスト、しかも製品として安定したものがいくらでもできるでしょう。

では直接音に関わる部分とはなにかといえば、響板、駒、フレーム、ボディ、フェルトや弦などということになりますが、躯体部分が透明な樹脂製のピアノがあるように、要は何を使ってもいちおうピアノにはなるし、セオリー通りの構造につくればそれなりのピアノの音は「出る」わけで、欧州では化学素材の響板の試作などもされているようです。
それをおもしろいと見る向きもあるかもしれませんが、真っ当なピアノがほしいと願う人にとっては疑心暗鬼が広がって怖い話でもあります。

また、粗悪なピアノ中には、ベニア合版の上に白っぽいいかにもな杢目のシールを貼って響板として使ったピアノもあるようで、裏を返せばそれでも音や音階はいちおう出るわけだから、闇は深いといいますか…ほとんどホラーですよね。

遠くなるピアノ

ネットを何気なく見ていると、思いがけない記事に出くわすことがありますが、読むなり気分が曇っていくようなものを目にしてしまいました。

ピアノの価格に関するもので、国内産のピアノは(すべてかどうかはともかく)毎年10%!もの値上げを繰り返しているという記述があり、まったく知らなかったので、単純に、素朴に、驚きました。
GDPの成長率も思うよう伸びないのに、毎年10%アップとはおだやかではない話です。

値上げの理由はいろいろあるようですが、需要の減少、熟練工の不足、天然資材の枯渇、物価上昇、賃金の値上がり、さらには長引く円安なども絡んでいるようで、もしかすると中国市場の極端な低迷なども影響しているかもしれません。
しかも、この「毎年値上げの方針」は、当分収まる気配がないというのですから深刻です。

以前であれば、日本人にとってピアノは国内メーカーのおかげもあり、その気になればなんとか手に入れられるものでしたが、それらも近ごろではずいぶんと立派なプライスとなり、さらにこの先そのような値上げが続いたら、時が経つほど縁遠い存在になる。

もし毎年10%の値上がりが続くと、5年後には手ごろなグランドでも400〜500万円、プレミアムモデルではその遥か上を行く価格となり、10年後には1000万円を越えるものも珍しくなくなるだろうとの予測までされており、開いた口がふさがりませんでした。

フェイクが横行するネットの世界、はじめは「まさか!」と思いつつ、K社の価格改定をみると確かに全機種がほぼそうになっているし、Y社も時期や値上げ幅にはばらつきはあるものの値上げ方向であることに変わりなく、この先、ピアノは文字通り高嶺の花になってしまうのか?
将来ピアノを買う(買い換える)という目標があっても、年々ピアノのほうが空高く離れていくようで、なんたることか!と思いました。

そこにあったアドバイスのひとつは、欲しい人は一日も早く購入すべき!というもの。
長期ローンを組んだとしても、毎年10%の値上がりよりはbetterというもので、反論できないシンプルな理屈でした。
個人的には新品に未練はないけれど、中古ピアノも新品と価格連動するから相場全体が上がっていくだろうし、なんとも息苦しい時代に突入したものです。

試しに電卓を打ってみたら、毎年10%ずつ高くなると5年後には1.6倍、10年後には2.6倍で、100万円は260万円に、300万円は780万円になるとわかり、クラクラしました。

何度も聴きたいか

最近はいろいろコメントを頂いて、ありがたいやら嬉しいやら。

少し前、近ごろのピアニストついて「指がよく回って、上手だなとは思いますが、何度も聴きたいとは思わない」という意味のことを仰っていました。
これはおおいに共感するところがあり、どれほど見事な指さばきであっても、それだけでは感動的な演奏とはならず、感動の不在は演奏家として、これこそ最大の、そして「決定的に残念」なところだと思うのです。

何度も聴きたい演奏は、聴いた人の心になにか深いものを残していくもの。
聴くことで、何かが呼び起こされたり、慰められたり、悦びになったり、なんらかの精神と結び合うところに音楽を聞く意味があるように思います。

楽器用語ふうに言うと「心が共振する演奏」ということになるのでしょうか?
一度聴いたら、それで終わってしまう演奏は、強いていうなら「消費」であり、どれほど体裁は整っていても人の感覚を揺り動かすパワーはありません。

フォーレ四重奏団という素晴らしく魅力的なピアノ四重奏団がありますが、その演奏を聴いたアルゲリッチは「何度も聴きたくなる演奏」と言ったそうで、これこそが演奏家に最も求められることであり、つまり最高の賛辞なんだと思いました。

今日のコンサート現場では、まずなによりもチケットが完売になることが評価の尺度でしょう。
どれほど芸術的な素晴らしい演奏をしても、人が集まらなければ意味がないというのも、きわめて現実的な問題ということは否定しません。

だからといって、コンクールに出て、武功を上げて、メディアに数多く露出して、なにより「売れる」ことに目的が絞られ、肝心の演奏は全体の一部のようになっているのを見ていると、やはり辛いものがあります。

演奏家も有名になったらなったで、世渡りというか人気商売の海を泳がされ、俗世のことに目配りができなければ置いて行かれるし、しかも演奏もしなくちゃいけないとなると大変だろうとは思います。
真の芸術家を目指すことより、まずは自分のマネージメントや有効な企画を打っていくことが大事で、それに長けた人や組織に付いて、指示通りに動くだけでも一苦労でしょう。

そうなると、ある種ナイーブな演奏とは似て非なるものになってしまうのも、やむなきところもあるだろうことは、世情に沿って考えたらわかるような気がしました。
そりゃあ、みなさん小粒にもなりますよ。

日常の中にあるもの

頂戴するコメントの中に、フジコさんの音の美しさに関して、御母上(大月投網子さん)から受け継がれたブリュートナーのことに触れられていたのは、大いに頷けるところでした。

感性の基礎を形成する幼少期から、自宅にそのようなピアノがあったということは、かなりの影響があっただろうと思われます(いつから大月家にあったものか、正確なところはわかりませんが)。

海外の優れたピアノは、とりわけ戦前のものは音そのものが美しいだけでなく、繊細なタッチや音楽性を知らず知らずのうちに引き出してくれるから、さほど意識せずとも美しいものを慈しむ習慣が身につくだろうと思います。
演奏者のタッチや気分の変化に、ピアノが敏感に音として反応してくるのは、弦楽器のボウイングにも通じるものがあるかもしれません。

一般的に雑なタッチで弾く人は、その人が育ってきた教育環境とか、使われた楽器も無関係ではない気がします。
誰がどんな弾き方をしても、それなりに鳴ってしまうピアノを「普通のピアノ」と思ってしまうと、音色への感覚が薄れ、ひいては音楽に対するスタンスまで変わってくるはず。

昔は、多少叩くような弾き方をしてでも、難曲大曲をバンバン演奏できることが正義で、そこに秀でることに価値がありましたが、そうなってしまった原因のひとつに、使われた楽器の性質にも責任の一端があったかもしれません。

全体として、日本のピアノがとても素晴らしいことは誰もが認めるところですが、強いて弱点を挙げるとするなら、音色変化や歌心というか…表情が乏しく、曲になった時の収束感が薄い気がします。

ちなみに、戦前のブリュートナーの中には、フレームも厳かで絢爛たる装飾にあふれたモデルがあり、日々そういうピアノと接するだけでも、感性を刺激するところ大だと思います。
そんな幼少期から、波乱に満ちた数々の人生経験、孤独や絶望、そして晩年になって光が差し込んだフジコさん、だからその演奏には耳を傾けてみる値打ちがあったのだと思います。

写真は海外のサイトより一部を拝借しました

理由さまざま

フジコさんについての投稿にいくつものコメントをいただきましたが、やはりあの方には一時的な現象だけでは収まらない、継続的な人気が維持できるだけの魅力があったことを感じさせられました。

ブレーク早々、ラ・カンパネラが代表曲となり、そのCDもクラシックとしては桁違いの売れ行きであったことも話題でしたが、同業者はじめ少なくない層からの反感を買うことにもなり、言い方は不適当かもしれませんが「面白い現象だった」と思います。

コンサートでも、少なくともフジコさん登場以前に比べたら、あきらかにラ・カンパネラが多く弾かれるようになったと感じました。
もちろん、聴衆が好む曲だからという素直な動機もあったと思いますが、あきらかに「フジコのラ・カンパネラ」を意識して、ことさらにハイスピードで技巧的に弾いてみせるところに「これが本当のラ・カンパネラですよ!」というブームへの批判が透けて見えるようでした。

むろん、そんなことで怯むようなフジコさんではありませんでしたが。

フジコさんのピアノの特徴のひとつが、聴くものを誘う美しい音色だったと思います。
ご自身が語っていたところでは、「アタシの音がきれいだって言われるのは、指がこんなに太いでしょ、だからいい音がするのよ!」と両手をかざしながら言われていましたが、ただそれだけではない気がします。

フジコさんは聴覚にご不自由があったようで、そのことと関係があるのでは?と思うのです。
本能的か無意識かはわからないけれど、少しでも自分の出す音を捉えようとすることが、結果的に、通りのよい澄んだ音を生み出す誘因となったのではないか?という気がするのです…あくまで想像の域を出ませんが。

…それにしても、ラ・カンパネラがどうしてああも好まれるのか?
パガニーニによるキャッチーなメロディもあるだろうし、「ラ・カンパネラ」といういかにも華やいだ響きの名前とも無関係ではないかもしれません。
「ため息」もいいけれど、一般ウケするには「ラ・カンパネラ」のハレな感じには及ばないのでしょう。
ショパンの「幻想即興曲」も名前の力はあるはずで、即興曲第4番「幻想」ではダメだったのでは?

※写真は前回と併せて著作権フリーの画像からお借りしています。

新品とは?

少し前に書いた、「試弾は使用になる?」という疑問は自分の中にぼんやりあったのですが、大元になる経験を「そうだ、あれだった!」と突然思い出しました。

たしか5〜6年前のこと、ある輸入物の小型アップライトピアノを試弾したくて、やがてそれは岡山から東京まで広がりましたが、これという結論も出せずにいた時のことです。

ネットに関東のあるピアノ店で、同型の在庫をもっているところがありました。
そのピアノはすでに数年が経過しているらしく、その間にフェルトの色が新色に変わるなど、厳密には旧型といえるものでした。

数年間という短くはない期間、店舗に置かれていたということは、大事にされていたにしても、試弾も繰り返しされただろうし、お店の小さなコンサートなどでも使われることがあったようでした。
つまり楽器としての価値云々ではなく、商品としてみれば「旧型で長期在庫品」という事実を背負ったもので、こちらからみれば「新古品」というぐらいのイメージでした。

そういうことを踏まえて、価格などをごく普通に質問してみたつもりでしたが、返ってきたメールはえらく憤慨の様子で、およそ以下の様な主張を頂戴することに。
「そのピアノは発売された当初、自分が惚れ込んで仕入れたもので、一度も販売していない新品です!」
「入荷いらい、極めて大切に管理しており、しっかり整備もしている」
「今入ってきたものよりも熟成しており、最高の状態にあるにもかかわらず、そのようなことを聞かれたのは心外であり驚いた」
「このピアノの価値を理解される方に販売したいと考えています」というようなものでした。

驚いたのはこちらのほうで、「お気持ちを傷つけたのならお詫びします」と返信して、連絡を絶ちました。

人気のモデルで、中古も出たらすぐに売れてしまうのに、何年も買い手がつかないのはそういう訳かと苦笑いでした。
しかし、このことは結構なインパクトがあって、新品ピアノに対する定義を考えさせられるきっかけとなったのです。

入荷して一度も販売されていなければ、たとえ何年経過しても新品といえるのか?…と。

ピン磨き

新しいピアノ、あるいは弦を交換したピアノで目を引くものに、キラキラと眩しいチューニングピンがあります。
銀色に輝くピンの森は、目にも心地よいもの。

しかし、このピン周りのエリアは掃除がやっかい(というか不可能に近い)で、無数の弦が邪魔をしてなかなか手がつけられないため、どうしても汚れとホコリが年々堆積してしまいます。
そんな汚れなど、ピアノの音や本質には関係ないと言われてしまえばそうかもしれませんが、それでも、やはりきれいであることに越したことはありません。

我が家のグランドは30年ほど前のものですが、チューニングピンのキラキラする輝きはもはや失われ、全体にうっすらくすんでおり、新しいピアノのピンを見ると「わぁ…」となっていました。
そこはもうあきらめていた筈なのに、ボディをきれいにすると、どうしてもそのあたりが気になってくる。
いまさらですが、なんとかしたいという思いがついに抑えられなくなり、少しずつでも挑戦してみようという気になりました。

とはいえ、場所が場所だけにあまりヘンなことをするわけにもいきません。
クルマ磨きの経験から考えたのは、化学雑巾に某クリーナー(ココナッツオイル由来の天然成分による)をほんの少量ですが繊維にうすく染み込ませてからおそるおそる一本ずつ磨いてみることに…。

ところがピン同士の間隔が狭いため、周囲のピンがつねに指先に接触するのが邪魔だし痛いしで、作業がやりにくいといったらありません。
おまけに数が多いから(約230本?)、結構時間もかかってかなり疲れるので、休憩を挟みつつ数回に分けて磨き作業を続けたところ意外ときれいになりました。

サビや変質であればこうはいかないと思いますが、比較的順調に汚れが取り除けたということは、単純な汚れの蓄積だったのだろうと思います。
こんなことならもっと早くやればよかったと思いつつ、やり出すと、次なるターゲットが出てきてまた頭を悩ませます。

フジコ・ヘミング

2024年4月21日、フジコ・ヘミングさんが亡くなられました。
生前、年齢は公表されなかったけれど、92歳だったと知って驚きました。

このピアニストについては、擁護派と批判派が真っ二つであったことが印象的で、日本の音楽界で好みがこれほど分かれたピアニストは珍しいでしょう。
フジコさんは、ピアノだけでなく、生き様のすべてを自分の感性で染め上げた方でしたが、ツッコミどころも満載でした。

批判派の言い分もわかるところはあるけれど、普段あまり自分の意見を示さないような人まで、フジコとなると気色ばんで容赦ない口調となるのはいささか面食らったものです。
好みや感じ方だからそれも自由ですが、ならば他のピアニストに対しても、それぐらいはっきり自分の感想や意見を持ってほしいと思ったり。

なぜそんなに好みが分かれたのか。
第一には演奏のテクニック(主には指のメカニック)のことが大きいようで、ピアニストとしてステージで演奏するような腕ではないというのが主な言い分のようでした。

たったひとつのドキュメント番組によって、突如世間の注目を集めるところとなり、いらいCDもコンサートも売上は記録破りで、その人気ぶりは、一部の人達には容認できないものだったようです。

もちろんプロのピアニストにとっての技術は不可欠で、それなくしては成り立たないものですが、フジコさんのピアノはそれを承知でも聴いてみる価値があったと思うし、美しい音、とろみのある表現、さらにそこからフジコさんお好みの文化の世界が切れ目なく広がっていることを、感じる人は感じたに違いなく、私もその一人でした。

好みが分かれたもうひとつは、世間の基準に従わず、おもねらず、びくつくことなく、誰がなんと言おうと自分流を貫いて平然としているその様子が、ある種の人達には快く映らなかったのでは?

きっかけはたしかにNHKのドキュメント番組でしたが、私の見るところ、それ以降はご本人の実力でしょう。
ピアノはもとより、絵画、服飾、動物愛など、稀有な芸術家としての総合力で立ち位置を得た方だと思います。

フジコさんの手から紡がれるスローで孤独なピアノには人の体温があり、なにか心に届いてくる不思議な魅力があって、それが多くの人達に受け入れられたのだと思います。

実際の演奏会にも行ったことがありますが、たしかに技術の弱さでハラハラすることもあったけれど、同時に「美しいなぁ〜」「ピアノっていいなぁ〜」と思う部分がいくつもあり、これはなかなか得難いことだし、結果的にそんなに悪い印象は持っていません。

難曲をことも無げに弾くばかりが正義じゃないと、技術偏重の世界に一石を投じたような意義は「あった」と私は思っています。

調律の力

我が家のグランドは、これまで少々遠方から調律師の方に来ていただいていましたが、このところお呼びする暇もなく、さらにあまり弾かないことも重なって、つい間隔が空いてしまいました。
先日、気になっていた調律をようやく終えることができました。

今回は「試しに」といったら語弊があるけれど、比較的近くにお住まいのとても誠実な調律師さんがおられるので、その方にお願いすることに。
女性の方で、現在は女性のピアノ技術者さんも珍しい存在ではなくなりましたが、そうなる以前に修行を積まれた方です。

その方の師匠は地元ではかなりその名が轟いた方で、ご当人の真面目なお人柄とあいまって、しっかりと技術を積み上げておられ、これまでにも幾度かお願いしていました。
技術的にも奇抜なワザなどは一切使われない、ごまかしのない仕事をされ、まさに正攻法の調律を信条とされているようです。

その結果、今回は思わぬ発見がありました。
今回は時間の関係で整音はされず、ほとんどを丁寧な調律に費やされたのですが、その結果、ピアノは美しく整っただけでなく、予想以上に派手できらびやかな音になり、大げさにいうとホールのピアノみたいで、すっかり恐れをなしてしまうほどでした。

ということは、調律すれば、ピッチが上がって全体が整い、音の印象が明るくなるだけでなく、かなり華やかにもなるということを体験できたのかもしれません。
ある程度はわかっていたつもりでしたが、そこには想像をこえた効果があり、あらためて調律というものの効果というか、威力に驚ろかされることになりました。

これまでは、調律と併せて多少の整音作業が行われるので、音の角が丸められることで調律効果による華やかさはかなり抑えられ、ずいぶん相殺されていたんだということが、はっきりわかりました。

技術者の方にしてみれば、アナタ、いまごろそんなことで驚いているんですか?と一笑に付されるかもしれませんが、素人ですから、そうなんです。

ハノンが嫌いな理由

ピアノを楽器マニア的な側面からとらえると、通常の人にはないであろうバカバカしい、しかし大真面目な悩みなどが出てくるものです。
楽器と名のつくものは弾かれることで、さらによく鳴るように育っていくということは常識ですが、マニアはその一面ばかりを喜んでいるわけにもいかなかったりします。

弾けば弾いただけ、消耗品は文字通り消耗することも事実で、これはクルマが走るだけタイヤは減り、ダンパーやブッシュ類はヘタり、機械も傷んでいくのと同じです。
さらにその消耗はというと、常に全音域にわたって好ましく使いこなせるならともかく、いいとこ中級者レベルの弾き手では、低音域と高音域は弾かれる機会はかなり少ないのが現実。
つまり中音域の4〜5オクターブのあたりばかりが常用され、両端の音域は音を出すこともめったになく、そのぶんハンマーの摩耗にも偏りが現れます。

数少ない楽器好きな知人は、いちおう自身の練習もしてはいるものの「ハノンなどやりたくない」と言いますが、その理由が普通とはかなり異なっています。
ハノンが嫌われる一般的な理由は、退屈で、機械的な指訓練に辟易するというようなものですが、この人の場合は「ハノンは特定の音域の、しかも白鍵ばかり使うからハンマーの消耗が(とくに黒鍵と)均等ではなくなるのが気になってイヤだ」というわけで、実は私もまったく同感なのです。
だからといって、ハノンを全音域で、しかも半音階でやっていくわけにもいきません。

楽器マニアというのは、ピアノを道具として割り切ることができないから、ピアニストの弾き方ひとつでもピアノが傷みそうな演奏をする人は、それだけで体質的に好きになれないものがあります。
曲も同様で、シューベルトの魔王などは曲の好みはさておいて、あの終始続く激しいオクターブ連打が気になって仕方ないのです。

いつだったか、NHKの日本人作曲家によるピアノ特集のような番組の中で、2台ピアノとオーケストラの作品が採り上げられ、作曲者名などすっかり忘れましたが、なんと二人のピアニストは開始早々から特定の音だけを執拗に連打し続けるというものでした。
こういうものを見せられると拒絶反応ばかり湧き上がって、作品や演奏を楽しむどころではなく、楽器を傷めているようで、それに使われた2台のスタインウェイが気になって仕方ありませんでした。
仮にお店のショールームでこんな弾き方をしたら、間違いなく追い出されてしまうでしょう。

まあこれは極端としても、自分のピアノが他者に弾かれる場合も演奏の巧拙ではなく、ハンマーに過度な負担のかかるようなタッチを平気でする人には、口には出さないまでも「やめてー!」と心のなかで思ったりしています。

試弾は使用になる?

ピアノの劣化、あるいはパーツの消耗という点でいうと、クルマや電気製品などに比べたら、そのスピードは(使用頻度による差もある)はるかにゆるやかとは思いますが、それでも弾けば確実に消耗することも事実でしょう。

ピアノ店では、展示されているピアノは、お店の許可を得れば基本的にどれも試弾可能で、仮に一台の新品ピアノが数ヶ月から年単位で展示されたとしたら、その間にどれだけの人がどんな弾き方で試弾するのかわかりません。

どこかのタイミングでもし買い手が現れたとき、よほどの長期在庫品でもない限り、それは「新品」として扱われ、販売され、買う側もとくにその点を気にすることはないようです…今のところ。

しかしこれは、ピアノなど一部の商品に限った話で、クルマなどはひとたび試乗車として下ろしたら、その瞬間から「中古車」となり、価格もそれに見合ったものになるのが当たり前です。
もっとすごいのは家電などで、プラグを一度でもコンセントに差し込んで通電してしまうと、お店はもう新品として販売できなくなるのだそうで、新品というものはかくも厳しい条件を課されているのか!と驚いたものです。
これに比べたらピアノの新品の条件はゆるゆるです。

新品好きな日本人はとりわけ厳しいものがあるようで、どうかすると外箱のダンボールの傷みさえ嫌ったりしますが、そんな日本人でさえ、ピアノに関してはずいぶんと鷹揚だなあと思います。
ピアノにもし、クルマや家電のような新品の基準があったたなら、新品はほとんど存在しなくなるかもしれません。

クルマにはオドメーターがあるので、製造時から何キロ走行したかは一目瞭然です。
もし500kmでも走ったクルマを新車として販売しようものなら、それは裁判沙汰になるような事ですが、ピアノで同等の使用があってもまったく問題とはならない。
これは実用の点からもまったく問題ではないことが一番大きいし、そもそもどれだけ弾かれたなんて確かめようもないからでしょう。

仮にピアノの88鍵にそれぞれカウンターがあり、受けた全入力を記録することができるなら、人はそれを気にするようになり、弾かれた量が少ないほうが好まれるという実勢がうまれるかも。

幸い、今はまだそんなことにはなっていませんが、こんなくだらないことを考えるのも、時代の急激な変化によって、従来当たり前とされていたことが、ある日を境に許されない行為になったりすることが多いので、ついあれこれ想像を巡らせてしまいます。
ピアノという楽器の性質上、新品の試弾が全面禁止ということはないとしても、きわめて限られた時間とか、店側の監視つきとか、あれこれの条件がついて、少なくともお気の済むまでというわけには行かない制限は、今どきの新しい価値観に直面したとき、起こっても不思議じゃない気がします。

晩年のポリーニ

1990年頃をすぎたあたりからか、向かうところ敵なし、鉄壁の歩みを続けていたポリーニの演奏に、少しずつ小さな傷や乱れが入るようになり、21世紀になるとそれはより顕著になったように思います。

はじめに「あれ?」と思ったのは、アバドの指揮で二度目のベートヴェンのピアノ協奏曲全曲が出たときで、それまでのポリーニには当たり前だった、張りつめた集中力や攻め込みのようなものが薄くなり、全体にひとまわり筋肉が落ちたような印象をもったときからでした。
人間ですから肉体的に衰えるのは当然ですが、それに代わる内的円熟の兆しのようなものが見当たらないことが、よけいそれを際立たせた気がします。

年を追うごとに焦るような咳き込むようなところが目立ちはじめ、お得意の構造感は少しずつ形が崩れていきました。
30〜40代で見せたあの孤高の完成度と、それを支える信じ難いピアニズムの融合を知る者にとって、それは口に出すのも憚られるような深刻さがありました。
巷の論評には、円熟期に入ったポリーニの新しい境地であるというような修辞も見受けられたけれど、私にはかなり苦しいこじつけのようにしか思えなかった。

晩年はショパンのノクターンのような作品においても、かつてのように一音たりとも忽せにはしない冷徹に統御された演奏ではなく、思いがけないところで意味不明のフォルテが飛び出したり、あるいは急にテンポが変わるような弾き方になるなど、かなりの戸惑いもありました。

先日、Eテレのクラシック音楽館で放映された特集でも、2002年のバルトーク1番(ブーレーズ指揮)などはその徴候がすこし出ているし、最後に置かれたベートーヴェン、2019年お気に入りのヘラクレスザールで演奏したop.111の第2楽章などは、曲のもつ深遠なものと演奏がまるで噛み合っていないようにしか思えませんでした。
ふと思い出したのが19歳のポリーニで、数十年にわたる栄光の旅の果てに、そこへ戻ってきたのかもしれません。

ポリーニの演奏の変化を「視覚」として捉えることができたのは椅子の高さでした。
若いころは、普通のコンサートベンチでも座面が高すぎ、彼が使う椅子はいつも足が数センチ切り落とされた、異様なほど低いものでしたが、年月とともにその座面が上がっていきました。
後年は必ずと言っていいほどピアノはファブリーニのスタインウェイ、椅子はランザーニ社の赤いラインの入ったベンチでしたが、その座面はパンタグラフの骨組みが露出するほど高く上げて弾くようになってしまったのは、見ていて悲しくなる変化でした。

とはいえ、ポリーニがとてつもない空前のピアニストであったことは誰がなんと言おうと間違いありません。
コンサートでは毎回熱狂の渦で、なかなかアンコールには応じないものの、やむを得ず、ついにピアノの前に座ったら、いきなりショパンのバラードの第1番だったりと、帰り道は全身から湯気が立つような、そんな経験をさせてくれる特別なピアニストでした。

「時代の寵児」という言葉がありますが、ポリーニは自ら時代を作った人だったと思います。
その黄金期は思ったよりは短かったけれど。

初期のポリーニ

ポリーニの死去を機に、NHKでは1976年の来日公演からブラームスの協奏曲第一番がまず放送され、続いてクラシック音楽館の後半では初来日からの近年までの特集などが組まれました。
またYouTubeでも、これまで見なかった動画や音源が増えている気がします。

ポリーニといえば1960年のショパンコンクール優勝と、そこからさらなる研鑽のため約10年間公の場から遠ざかっていたことが必ずと言っていいほど語られますが、以前、何かでポリーニ自身の言葉として読んだことがあり、10年間公開演奏をしなかったというのは間違いとのことでした。
ピアノ以外のことも学びながら、それなりの演奏会(協奏曲を含む)はやっていたそうで「巷間伝わっているような10年間ではなかった」とはっきり語っていたのを覚えています。

私の手許にも、この時期に演奏した海賊版CDが数枚あるので、本人の言うとおりなのだろうと思います。
コンクール優勝時は19歳という年齢でもあり、少なくとも学業はじめ様々な学びの期間がしばらく続いていたことも事実でしょうから、そのような時を通常より長めに過ごしたのち、いよいよ国際舞台に出てきたんだろうと思います。

ショパンコンクール出場時のポリーニの演奏音源は、彼の名声のわりにこれまで少なく、ポロネーズの5番などは後年のポリーニとはかなり違っていて、まだ青い果実のようでした。
その他の演奏が(彼の死と関係があるのかどうかわからないけれど)かなりまとまった量ネットに出ていましたが、テクニックは際立っているものの、その音楽表現は19歳相応の学生っぽい感じが残っており、オファーのあるままに忙しくステージを駆け回っていたとしたら、果たしてあれほどの名声が得られたかどうか少し疑問に感じたりもしました。

なにしろ音楽の世界は早熟で、十代の中頃にして老成した演奏を聴かせる天才がいることを考えると、その面で19歳のポリーニはさほど天才的とは言い難いような印象でした。
そのことは本人も自覚していたのか、あるいは周りの賢明な判断だったのかはわかりませんが、この期間あってこそポリーニは若者から成熟した大人へと変貌を遂げ、そこからが私達がよく知るあのポリーニなんだろう…という気がします。

ダイヤは磨きとカットが命、ピアノは入念な出荷調整がその後を決定すると言われるように、19歳のポリーニはまだ磨かれる前の原石であったのかもしれません。

その研磨作業が完了したとき、満を持してペトルーシュカやショパンのエチュードがリリースされて世界は驚愕し、以降泣く子も黙るポリーニの快進撃となったことを考えると、ポリーニの魅力には幼さはあってはならないもので、だから彼が大人になるまで待つ必要があった10年間だったとも言えそうです。

ポリーニ思い出

2024年3月23日、ポリーニが亡くなったそうです。
20世紀後半、間違いなく、ピアニスト史に新たな水準を切り拓いた大ピアニストでした。

初来日のリサイタルは福岡でも行われましたが、当時ポリーニはまだ無名に近く、今のように海外の情報がリアルタイムで飛び交う時代でもないから、会場が明治生命ホールという小さなホールだったことは、その後の彼の輝かしいキャリアからすれば信じられない気がします。

シューベルトのさすらい人や、ショパンの24の前奏曲を弾きましたが、その圧倒的な演奏は子供だった私でさえ度肝を向かれるもので、それまでの大ピアニスト達の存在が一気に霞んでいくかのようでした。
当時のポリーニを初めて聴いた人の中には「食事が喉を通らなかった」「しばらくピアノに触れることもいやになった」といわしめるほどの強烈なもので、人生上の忘れがたい衝撃体験となってしまったのです。

その信じ難いテクニックと完成度の高い仕上がり、筋肉的なフォルテ、シルクのようなピアニッシモ、それでいて音色の美しさと全体にみなぎる格調高さなど、幾つもの要件を兼ね備えたポリーニは、たちまち既存のピアノ演奏の水準を書き換えました。
その後も、東京大阪など幾度となくポリーニの演奏会には行きましたが、ピアノはこれ以上ないほど充実して鳴り響き、まさに世界記録保持者の演奏現場に立ち会っているような、そんな独特な興奮を伴うものでした。

初来日は1974年だったと思いますが、それからのおよそ十数年間の演奏こそ、私はポリーニの絶頂期だったように思います。

もちろんリリースされるレコードはすべて買って、かたっぱしから聴き入りました。
ポリーニには事あるごとに「完璧」という言葉が使われましたが、その演奏はまさに建築か美術作品のようで、ピアノという枠には収まりきれないような強烈で圧倒的なものを撒き散らしていたように思います。
少なくともステージに居る限り、ポリーニはピアニストというより戦いに勝利するダビデのようでした。

ネットで調べると、初来日のリサイタルは東京・大阪・福岡の3ヶ所、福岡ではプログラム2でシューマンのクライスレリアーナを含むものになっていますが、実際にはさすらい人を弾いて、曲中なんども現れる下降するピアニシモのスケールに驚いたことを鮮明に覚えているので、おそらくは変更になったのだと思われます。

余談ですが、この時、最も恐れる先生から当日お達しがあって、客席から花束を渡してほしいとのこと。
この先生の言葉は、当時は断ることなど許されない事実上の命令であったので、我が家はあわてて花束を準備し、ショパンのプレリュードが終わって、いったん袖に下がったポリーニが再びステージに現れたとき、意を決して座席を立ってステージへ近づいて渡しました。

汗だくで無表情なポリーニが、ほのかな笑顔のようなそうでもないような感じで受け取ってくれましたが、握手は決してこちらから求めてはならないと母から言われていたので、それはナシで終わりましたが、今となってはいい思い出です。
翌日、空港まで見送りに行かれた先生が、ポリーニ夫妻は貴方が渡した花束を飛行機に乗る時も持っていたと仰って、後日その写真をくださいました。