知人の店で開く音楽家の誕生会のために、ドビュッシーのCDを集めていると、全体の中でピアノ曲の占める割合がひじょうに高いことにあらためて注目させられました。
ピアノ以外の器楽曲といっても、室内楽のごく一部などを除いて、ピアノの関係しない曲はほとんど存在しませんし、残りの多くはピアノのために書かれた作品となります。
有名ないくつかの管弦楽曲やオペラを例外として、あとは歌曲を含めてほとんどピアノを必要とする作品ばかりなんですね。これはうすうす感じてはいましたが、あらためて作品一覧を見てみるとそれがはっきりとわかり、ドビュッシーからピアノを外すと、「牧神の午後」の周辺以外ではほとんどドビュッシーは成り立たなくなるとも言えそうです。
そういう意味ではショパンほどではないにしろ、ドビュッシーもピアノの人だったようです。
ドビュッシーとショパンは作曲技法からなにから、あらゆる要素は異なるものばかりですが、それでもマロニエ君の独断でいえば、どこかこの二人には不思議に共通したものを感じます。
ピアノを中心とした作品を書き、それまでに誰も成し遂げなかった前人未踏の新しい世界を作り上げたという、通り一遍のことでは済まされないなにか。それが何であるか、いまはまだわかりませんが。
ドビュッシーはショパンの死後13年を経て生まれていますから、この二人は同じパリを舞台にしながら同時代には生きていません。文献によると、ドビュッシーは生涯に数十というとてつもない数のオペラの計画をしては頓挫し、完成したのは「ペレアスとメリザンド」たった一曲だったのですから、そこにはいろいろな事情や曲折があったにせよ、やはりこの人は本質的に大作とかオーケストラ向きの作曲家ではなかったということかもしれません。
もちろん、遺された管弦楽曲の幾つかは音楽歴史上に輝く傑作であることに間違いありませんが、私見ながら中にはけっこうつまらないものもありますから。