練習の迷い

日本で最も有名な女性ピアニストがよく使う言葉に『練習は決して貴方を裏切りません!』という格言めいたものがありますが、マロニエ君にしてみれば必ずしもそうではない場合もあるのだということがわかりました。

昨日はピアノサークルの定例会があったのですが、そこで演奏するための曲を、最近ときどき練習をしていたのですが、これまでそれなりに弾いてきたつもりの曲というのは、あらためてきちんと練習し直してみると、いろんなところが気になりはじめたり、これまでちょっとした思い違いをしていたことがわかったり、とかくいろんなチェック項目が出てくるものです。

これがぽつぽつ出てくると、当然それらを考慮し修正しての練習──厳密にいうなら新たな練習になりますが、そのせいで普通に弾けていたところまで壊れてくる事が往々にしてあり、結局、練習前よりも全体がガタガタになっていってしまいます。
より滑らかに、より確かに、より美しく弾くための練習のはずだったものが、かえって寝た子を起こしてしまうような結果となり、混乱しはじめると、もうとめどがありません。
単純に言うと、練習すればするほど自信がなくなっていくわけです。
自信が無くなるということは、弾けていた部分を弾くことにも新たな不安がつきまといはじめるわけで、こうなると何のための練習かといった感じで、ただもう気持ばかりが焦ります。

それはひとつにはこういうことだろうと思います。
もともとの練習がキッチリ正確に出来ていないまま、それで何となく仕上がっていたものが、新たにちょっと真面目に練習することで、未解決の問題点などが洗い出されてしまい、その修正作業にエネルギーを費やすことになるのでしょう。

いや、しかし、そればかりではありません。
練習って、やっているとだんだん上達して自信がつくその裏に、だんだん自信をなくすという逆の一面が潜んでいるのだと思います。
抽象化され感覚化されていたものが、練習によって再び具体化され分解されてしまうとも言えるような気がします。
さらには、音楽はこれで終わりというものがない世界だから、たとえ下手な素人でも音楽的に精査して踏み込んでいくと問題は次から次に出てくるわけです。
はああ、とりあえず定例会が終わってやれやれというところです。

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