気骨あるピアニスト

昨日、ブログに書いた「ピアノの本」ですが、処分する前にパラパラとめくってみると、ちょっとした文言が目にとまりました。

ピアニストの小川典子さんによる文章で、英国のマレー・マクラハランというピアニストを紹介しているものでしたが、注目すべきはマクラハランが恩師に言われたという言葉でした。
「気骨あるピアニストを目指すなら、コンクールには一切出場しないことだ。」
なるほど!と思いました。
彼はその教えを忠実に守り、地道な努力によって骨太なピアニストに成長したらしく、いまや世界で活躍しながら、地元の音楽学院の教授をつとめ、CDもすでに40タイトル以上に達しているようです。

現代ではピアニストを志すものがコンクールに出場するのはごく当たり前であって、それに値する実力がありながら、一切出場しない正道を進むのは、よほどの勇気と決断の要る事だろうと思います。
率直に言うなら、コンクールは一攫千金的な側面があって、世界の有名コンクールともなれば、優勝すれば一夜にして有名人になることができる上、ステージチャンスは舞い込み、経歴としても単純・明快・確実だから、コンサートピアニストを目指すほどの人は当然のように出場するのだと思います。

中にはコンクール中毒のような人までいて、世界各地のコンクールにとにかく出場することが生き甲斐みたいな人までいるのです。
どんなに指は達者でも、こういう人は決して本物のピアニストにはなれないでしょうね。

いっぽう、コンクール経験なしでピアニストを目指すのは生半可ことではありませんが、でもそれが可能なら、もちろんそのほうが演奏家として本物だとマロニエ君も理屈抜きに、直感的に思います。
コンクール歴がなければ、自分を飾る肩書きもなく、より純粋に優れた演奏だけが勝負であり、その蓄積によって遠い道のりを一歩一歩前進するしかありませんからね。ここが「気骨」だろうと思いますが。
真っ先に思い浮かぶのはエフゲーニ・キーシンで、彼はこれといったコンクール歴のないまま、現代最高のピアニストの一人に数えられるまでに上りつめた希有な一人でしょう。

コンクール歴のない人の演奏は、どこか昔の巨匠にも通じる、一種の人間くささ、誠実さ、魂の純潔、芸術家として必要なストイシズムをもっていて、そういうところからぎゅっと搾りとるように汲み出された音楽が、我々聴く者の心を打つのだろうと思います。
その点、コンクール出身者は、素晴らしい人もありますが、おおむね難しい受験に合格した勝利者という印象です。

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