映画でのピアノ演奏

『クララ・シューマン 愛の協奏曲』(2008年ドイツ、フランス、ハンガリー合作)という映画を観ました。

クララ・シューマン役はマルティナ・ケデックで、『マーサの幸せレシピ』以来二度目に見ましたが、危なげのない美貌と、長身の体格からくるしっかりとした存在感は相変わらずでした。

シューマンを題材にした映画では、昔はなんと言ってもキャサリン・ヘップバーンの『愛の調べ』が有名でしたが、たしか80年代にも『哀愁のトロイメライ』というのがあって、この映画にはなんとギドン・クレーメルがパガニーニの役でわずかですが出演して、実際にヴァイオリンを弾くシーンがありました。
これらはいずれもロベルトとクララの結婚に至る一連の騒動を中心に描いたものですが、今回の映画はシューマン夫妻のもとにブラームスが現れて、その後シューマンが亡くなるまでを描いた映画でした。

冒頭、シューマンのピアノ協奏曲ではじまり、最後はブラームスのピアノ協奏曲第1番で終わるというところに、クララの愛の対象の移ろいが象徴されているようです。

新しい試みだと思ったのは、通常、俳優がピアノを弾くときは上半身のみを写し、手のアップではピアニストのそれに入れ換えるという手法が、映画のピアノ演奏シーンの半ば常識でしたが、今回の作品では、クララ役のマルティナ・ケデックが弾いているように、すべて上半身と手先を切り離さない映像になっていました。
それはいいのですが、その指先の動きがかなり滅茶苦茶で、よほどピアノに縁がないような人なら違和感なく見られるのかもしれませんが、ちょっとでもわかる人なら、あれは却って逆効果のような気もしました。

それも、カメラが顔から入って手先へ移動するという撮り方などを何度もしているため、ただ鍵盤の上でぐしゃぐしゃと指を動かしているだけの手をアップにされても、見ているほうは興ざめしてしまいます。
ピアノの弾けない俳優の動きというのは、どんな名優でも音楽と身体の動きが一致せず、いかにも取って付けたようになり、このあたりが音楽映画のむずかしいところだと改めて思います。

ピアノが弾ける俳優に、ピアノを弾く役をやってほしいものです。
そういえば、つい先日最終回を迎えた『ゲゲゲの女房』の主役の松下奈緒さんは、東京音大出身のピアニストでもあるそうでびっくりしました。
残念ながらゲゲゲでピアノを弾くシーンはありませんでしたが。

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