栄西と中世博多展

現在、福岡市博物館で開催されている『栄西と中世博多展』に行きました。
現在はあまり知られていませんが、博多は二千年の歴史をもつ我が国でも数少ない都市で、とりわけ11世紀には国際交流と貿易が隆盛を極め、中世博多の繁栄は佳境を迎えます。

この時期に日本の仏教史上に極めて大きな足跡を残したのが栄西(ようさい)です。
その最大のものは国際貿易で栄える博多を拠点にして、二度にわたって中国に渡り、厳しい修行の末に持ち帰ったのが「禅」だったそうです。
そして帰国後、この栄西によって、『扶桑最初禅窟』とされる聖福寺(しょうふくじ 福岡市博多区御供所町)が日本最初の禅寺として創建されました。
京都をはじめ、日本中にあまねく広がった禅宗の本格的な第一歩は、この聖福寺から始まったようです。
聖福寺周辺には現在でも実に40ほどの由緒ある大小の古刹が連なる独特のエリアで、行かれた方はご存じだと思いますが、博多の歴史の深さを静かに物語っている地域です。

親日家で有名なシラク元フランス共和国大統領が現役時代に日本を訪問した際、首脳会談など公式行事を終えて帰国の途につく最後の一日に福岡を訪れたことがありましたが、その目的は禅にも深い関心をもつシラク氏が、聖福寺の老師(高位の僧)に直接会いたいというたっての希望から実現されたものでした。

また意外に思われるのは、昔から我々日本人がごく自然に親しんでいるお茶の文化をはじめに日本にもたらしたのが、やはりこの栄西だったそうです。お茶ほど日本人の生活の中に深く根を下ろしているものもなく、様々な歴史の舞台にも登場し、わけても千利休はそれを芸術の域にまで高めた人物ですが、栄西がお茶をもたらしたのが約900年前で、利休はその500年後の人物ということになります。

聞くところによると「うどん」も博多が発祥の地といわれているようです。

そんな栄西と中世博多展でしたが、展覧会そのものは古文書や器類の展示が中心となり、期待していた仏像は大した数ではなく、正直あまりおもしろいものではありませんでした。
歴史的には貴重なものばかりなのでしょうが、夥しい量の古文書をどれだけ見せられても、学者でもない一般人にはそれほどの魅力は感じられませんでした。というか少なくともマロニエ君はそうでした。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です