庭木の憂鬱

庭に植木屋が入ると、だいたい予想よりもバッサリと、木々は無惨なほど短く切られてしまうものです。
子供の頃住んでいた家ではそれが甚だおもしろくないものとして目に映り、ひどく悲しい気分になったこともありましたが、それも遠い昔の話。
いまではそんな甘い情緒は見事に失い、180度考えが変わってしまいました。

植木を放っておくと止めどもなく枝は伸び、葉は生い茂って、秋の深まりと共に毎日山のように降り積もる落葉の掃除にエネルギーを費やさなくてはならなくなります。
実は今年の夏前も、植木屋にはよくよく思い切ってバッサリやってくれと頼んでいましたから、木々はしたたかに刈り込まれ、終わったときにはまるで骸骨が空に向かって逆立ちしているような姿になり、そこらがパッと明るく広くなったようでした。

ところが、それもしばらくのことで、夏になり、秋を迎えるこのごろでは、あのつんつる坊主はなんだったのかと思うほど新しい枝が八方に伸び、そこには夥しい葉が生い茂ってしまっています。

テレビに『なにこれ珍百景』とかいう番組があり、歩道のガードレールに街路樹の幹がまるで蛇のように巻き付きながら、そのまま成長を続けているという珍百景が紹介されましたが、我が家にもお隣との境目にあるフェンスに同様の事態が起こっており、つくづくと植物の物言わぬ怪物的なエネルギーには嫌気がさしています。

おまけに隣家には見上げるような大木が何本もあり、おかげで新緑の頃などは美しいことこの上ないのですが、その木から我が家へ落ちてくる木の実や落葉ときたら生半可な量ではありません。
たまにその実をついばみに、つがいの山鳩がきたりすると、いっときの情緒を味わったりすることはありますが、あくまで一瞬のこと。現実にもどればそんな悠長なことでは事は収まりません。
屋根は汚れ、雨樋はつまり、被害のほうがよほど甚大というべきでしょう。

地面のほうも問題で、木の根も年々勢力を増し、池の水面を泳ぐ龍の背のように地面をのたうち、いつ塀や壁が壊れるかと思うと気が気ではありません。
マンションにお住まいの方からは、わずかなりとも庭のあることを良いように言ってもらうことはあっても、こちらはそれどころではないばかばかしい戦いが続くようです。

これから冬にかけて、我が家のゴミの半分以上が枯葉の山となります。
しかもその半分以上はお隣から降ってくるいわば「よそのゴミ」なのですから、トホホです。

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