一昨日書いたロート製薬のスタインウェイとピアノ同好会が紹介された同じページには、もう一つの微笑ましい文章が記されていました。
音大を出たわけでもない、ピアノがさして上手いわけでもない普通のサラリーマンが、友人がグランドピアノを買って喜んでいる姿を見てどうにも羨ましくなり、酒もタバコもやらないその人は、ついにS社のA型を買ったというのです。
果たしてピアノが来てからというもの、家に帰るのが楽しくなり、購入から2年後には結婚されたもののピアノはもちろん一緒で、いまは奥さんが昼間弾いているのが「ちょっとずるいな」という気がするという、ほのぼのとしたいかにも幸福感にあふれた話でした。
実はマロニエ君もこのところ、ピアノ購入を検討している知人の話を聞きながら、ピアノを買うということには、たとえ人の事であってもなんともいえない楽しさと華やぎがあり、そこから漏れてくる空気をクンクンと犬みたいに嗅いでは楽しませてもらっているところです。
ピアノが購入者のもとにやってくるということは、昔の嫁入り行列ではないですが、なんともお目出度い人生上の慶事のように思います。
これがもしヴァイオリンやフルートだったらどうなんだろうと想像してみますが、なんとなく少しニュアンスが違うように感じてしまうのは、マロニエ君がピアノ好きという理由だけではないようにも思うのですが。
ピアノを買うというのは生活の質までも変えてしまうような、きわめて情緒的な要素が強くこもっていて、なにか特別な事のような気がします。
例えば新しい立派なホールが落成しても、そこにピアノが納入されてはじめて、ホールに命が吹き込まれ、魂が込められるような気がするのはマロニエ君だけでしょうか?
ましてや一般人でピアノを購入するというのは一大イベントです。
とりわけ最近は電子ピアノという便利な機械が普及しているので、その前段階を踏み越えてついに本物のピアノを手にするというのは、まるで一人家族が増えるのにも似た心の高ぶりがあっても不思議ではないように思います。
これから共に過ごす長い年月、音楽という何物にも代え難い喜びを一緒に楽しむいわば伴侶も同然ですから、さまざまな予想を巡らせつつあれこれと検討してみるだけで心躍ような気持になるはずです。
それにつられて、マロニエ君も無性にピアノが買いたくなって困ってしまいます。