ドッグイヤー

先の雑貨戦争のみならず、天神そのものの規模は年々拡大していくようですが、にもかかわらず書籍やCD店のようなカルチャーの分野に関しては、一昔前のほうがうんとレベルが高かったように思い起こされてしまうのは暗澹たる気分です。
何事も拡大発展していくときは気分も浮かれて嬉しく感じるものですが、後退するときの失望感はやり場のない虚しさがあるものです。

10年ぐらい前は今とはまるで違っていて、天神には大型書店があちこちに軒を並べていました。
丸善、紀伊国屋、八重洲ブックセンター、ジュンク堂、リブロ天神などがひしめき、それらを回るだけでも楽しいものでした。
ところがその後、数年のうちにつぎつぎにクローズしはじめ、現在残っているのはこの規模ではジュンク堂のみ。

書籍だけではありません。
CD店も一時はヤマハ、山野楽器、HMV、ヴァージンメガストア、タワーレコード、メディアセンター、文化堂など「今日はどこにしようかな…」といった状況でしたが、これも潮が引くように次々に撤退を重ね、残った店も売り場が大幅に縮小されてしまったりと、かつての面影はありません。
けっきょく現在ではマロニエ君の頼みの綱はタワーレコードしかありません。
その他の店はてんで種類が少なくて、ものの役に立たないからです。

追い打ちをかけるように、テレビなどで今さかんに言っていることは、これから先は電子書籍の時代になり、紙の本が姿を消すこともあるなどと、耳にするだけでも思わず嫌悪感を覚えるようなことを言っています。
ポイ捨てのフリーペーパーや雑誌ならまだしも、先人が残した至高の文学作品の数々を、液晶画面を操作しながら読むなんて、とてもじゃないですがそんな気にはなれません。

また、ある本を読んでいると、CDはあと5年ほどでなくなるのでは?というような兆候もすでにあるらしく、そんな時代、考えただけでもゾッと鳥肌が立ってしまいます。
そのうちピアノもiPadみたいなものを譜面立てにおいて、その液晶画面を見ながら練習するのでしょうか。

時代は進歩し、社会のあらゆる仕組みが猛スピードで刷新されて行くというのはわかっていても、それにしても現代の時間速度はドッグイヤーなどと揶揄されるように、あまりにドラスティックで早すぎ、どこか残酷な肌触りがあるように感じませんか?
紙の本がなくなり、CDがなくなるのは、マロニエ君には100年先でじゅうぶんです。

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