ネットでCDなどを検索しているとやみくもに時間をとって、気が付いた時にはぐったりと疲れてしまっている自分がそこにあり、ほとほとイヤになるものです。
「気が付いたら」というのは誇張ではなく、見ている間はかなり集中しているので時間経過に対する意識が薄くなっているのでしょうが、だからこそ無意識に無理をしてしまいちょっと恐い気がします。
目や神経は疲れ、体を動かさないぶん血流が悪くなっているようだし腰も疲れ、文字通りぐったりです。
それでも思わぬ発見をしたときなどは小躍りしたくなるほど嬉しかったりするのですが、たまにそんな経験があるばっかりに、また懲りもせずに見てしまい、そして疲れて終わりということのほうが多いわけです。
実際は発見なんてそんなにざらにあるものではないのですが。
その思わぬ発見というのとはちょっと違いますが、一応発見してびっくりしたのは、マロニエ君の部屋の「今年聴いたショパン(No.23)」であまりのひどさについ批判してしまったバレンボイムのショパンについてです。
今年の2月ごろ、ショパン生誕200年を記念してワルシャワで行われた一連のコンサートの中のバレンボイムのリサイタルには好みの問題を超越してそのあまりな演奏に驚いた次第でしたが、なんとそれがそのままDVDとして商品化され、今月下旬に発売されることを発見し、唖然としました。
内容の説明が重ね重ねのびっくりで「繊細で色彩感溢れるバレンボイムのピアニズムが凝縮された演奏。解釈は濃厚なロマンティシズムに溢れ、深みがあり、まさに巨匠の風格。ライヴの高揚感も加わり、観客を魅了するブリリアントな演奏を堪能することができる映像です。」ですと!
演奏の評価は主観に左右されるのをいいことに、あまりにも現実からかけ離れた表現だと思います。
どんなものにも大筋での優劣というのは厳然とあるのであって、良いものは個々の好みを超越して存在するし、逆もまた同様というのが芸術の世界であるはずです。
もちろん今どきのことですから、このイベントの計画段階からビジネスがガッチリと組み込まれ、版権を得た企業とは主催者・出演者とも厳格な契約が結ばれたはず。演奏の出来映えがどのようなものであっても、明確なアクシデントでも起きない限り予定された商品化は実行されるのかもしれませんが、だから商業主義などと言われてしまうのでしょう。
昔の芸術的道義に溢れたアーティストは、苦労して収録された録音に対してもなかなか発売のゴーサインを出さず、数年を経てやっと発売、あるいはお蔵入りというようなことはよくあることで、それだけ自分の芸術に対して責任を持っていたということです。
「これぞ巨匠の芸!」というサブタイトルも空虚に響くばかりです。