晩年のポリーニ

1990年頃をすぎたあたりからか、向かうところ敵なし、鉄壁の歩みを続けていたポリーニの演奏に、少しずつ小さな傷や乱れが入るようになり、21世紀になるとそれはより顕著になったように思います。

はじめに「あれ?」と思ったのは、アバドの指揮で二度目のベートヴェンのピアノ協奏曲全曲が出たときで、それまでのポリーニには当たり前だった、張りつめた集中力や攻め込みのようなものが薄くなり、全体にひとまわり筋肉が落ちたような印象をもったときからでした。
人間ですから肉体的に衰えるのは当然ですが、それに代わる内的円熟の兆しのようなものが見当たらないことが、よけいそれを際立たせた気がします。

年を追うごとに焦るような咳き込むようなところが目立ちはじめ、お得意の構造感は少しずつ形が崩れていきました。
30〜40代で見せたあの孤高の完成度と、それを支える信じ難いピアニズムの融合を知る者にとって、それは口に出すのも憚られるような深刻さがありました。
巷の論評には、円熟期に入ったポリーニの新しい境地であるというような修辞も見受けられたけれど、私にはかなり苦しいこじつけのようにしか思えなかった。

晩年はショパンのノクターンのような作品においても、かつてのように一音たりとも忽せにはしない冷徹に統御された演奏ではなく、思いがけないところで意味不明のフォルテが飛び出したり、あるいは急にテンポが変わるような弾き方になるなど、かなりの戸惑いもありました。

先日、Eテレのクラシック音楽館で放映された特集でも、2002年のバルトーク1番(ブーレーズ指揮)などはその徴候がすこし出ているし、最後に置かれたベートーヴェン、2019年お気に入りのヘラクレスザールで演奏したop.111の第2楽章などは、曲のもつ深遠なものと演奏がまるで噛み合っていないようにしか思えませんでした。
ふと思い出したのが19歳のポリーニで、数十年にわたる栄光の旅の果てに、そこへ戻ってきたのかもしれません。

ポリーニの演奏の変化を「視覚」として捉えることができたのは椅子の高さでした。
若いころは、普通のコンサートベンチでも座面が高すぎ、彼が使う椅子はいつも足が数センチ切り落とされた、異様なほど低いものでしたが、年月とともにその座面が上がっていきました。
後年は必ずと言っていいほどピアノはファブリーニのスタインウェイ、椅子はランザーニ社の赤いラインの入ったベンチでしたが、その座面はパンタグラフの骨組みが露出するほど高く上げて弾くようになってしまったのは、見ていて悲しくなる変化でした。

とはいえ、ポリーニがとてつもない空前のピアニストであったことは誰がなんと言おうと間違いありません。
コンサートでは毎回熱狂の渦で、なかなかアンコールには応じないものの、やむを得ず、ついにピアノの前に座ったら、いきなりショパンのバラードの第1番だったりと、帰り道は全身から湯気が立つような、そんな経験をさせてくれる特別なピアニストでした。

「時代の寵児」という言葉がありますが、ポリーニは自ら時代を作った人だったと思います。
その黄金期は思ったよりは短かったけれど。

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