行商ピアニスト

現在読んでいる様々なピアニストの事が書かれた本の中に、日本人で国際的に活躍する女性ピアニストのある時期のスケジュールに関する記述があって驚きました。

まあ敢えてピアニストの名前は伏せておきますが、たとえばこんな具合です。
イギリスから北欧に移動し、レコーディングでドビュッシーの12の練習曲他を録音してすぐに帰国、ただちに数箇所でリサイタル、それが済むと別の場所で今度はジャズピニストと共演、再びイギリスに戻りさる夏期講習の講師を務め、さらに友人ピニストと2台のピアノのコンサートに出演、そして再び帰国。翌日ただちに夜遅くまで軽井沢の音楽祭のリハーサル、さらに翌日の本番ではリストのロ短調ソナタを弾いて、終演早々に東京に戻り、翌日再びヨーロッパへ。今度は北欧のオーケストラとラヴェルのコンチェルトを弾く──といったものでした。

本人曰く、イギリスと日本との往復が激しく、だいたい一年のうち一ヶ月は飛行機の中で過ごしているんじゃないかということです(これって自慢なのか?とつい思いましたが)。
ともかく、たった一人で年中旅に明け暮れ、ホテルとホールを往復して、終わればまた別の場所に向かうことの繰り返し。
日本人で国際コンクールに上位入賞しても、こういう生活に耐えられない人はヨーロッパに留まって活動はしていないということでしたが、それが普通でしょうね。

これを可能にするにはピアノの才能は当然としても、体力、精神力、孤独に対する強さなど、まるで音楽家というより軍人のような資質が求められるようです。
体も健康で、神経も強靱で図太く、こまかいことにいちいち一喜一憂するようではとても間に合いません。

しかし、マロニエ君はこれが最先端で活躍する政治家やビジネスマンならともかくも、ピアニストという点が非常にひっかかりました。こういう苛酷な生活を可能にするような逞しき神経の持ち主が、はたして、もろく儚い音楽を感動的に人に聴かせることができるのか、繊細の極致とも呼ぶべき音楽作品を鋭敏な感受性を通して音に変換し、演奏として満足のいくものに達成できるのかどうか。

実はこのピアニストはずいぶん前に私的な演奏会があってたまたま招かれたので、たいへんな至近距離で聴いたことがありますが、それはもうまったくマロニエ君の好みとは懸け離れた、ラフでときに攻撃的な演奏で、小さな会場ですら聴き手とのコミュニケートがとれず、ひとり浮いたようにガンガン弾き進むだけの演奏でした。
演奏の合間のトークも手慣れたもので、なんだか日ごろから演奏とか音楽に対して抱いている、あるいは期待しているイメージとは程遠いものを感じて、そういう意味でとても印象に残っていましたので、この本を読んでこの人のことが書かれているところには妙に納得してしまいました。
但し文章の論調はこの女性を褒めているのですが、そこはまあ本人に取材して書いているのでやむを得ないことなのでしょう。

こういう事実を突きつけられると、ホロヴィッツ、ミケランジェリ、グールドのような傷つきやすい繊弱な神経をもった真の芸術家がコンサートを忌避してしまう心情のほうがよほど理解に易く、しかも困ったことに聴きたいのはこういう人達の演奏なのですから皮肉です。

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