2024年4月21日、フジコ・ヘミングさんが亡くなられました。
生前、年齢は公表されなかったけれど、92歳だったと知って驚きました。
このピアニストについては、擁護派と批判派が真っ二つであったことが印象的で、日本の音楽界で好みがこれほど分かれたピアニストは珍しいでしょう。
フジコさんは、ピアノだけでなく、生き様のすべてを自分の感性で染め上げた方でしたが、ツッコミどころも満載でした。
批判派の言い分もわかるところはあるけれど、普段あまり自分の意見を示さないような人まで、フジコとなると気色ばんで容赦ない口調となるのはいささか面食らったものです。
好みや感じ方だからそれも自由ですが、ならば他のピアニストに対しても、それぐらいはっきり自分の感想や意見を持ってほしいと思ったり。
なぜそんなに好みが分かれたのか。
第一には演奏のテクニック(主には指のメカニック)のことが大きいようで、ピアニストとしてステージで演奏するような腕ではないというのが主な言い分のようでした。
たったひとつのドキュメント番組によって、突如世間の注目を集めるところとなり、いらいCDもコンサートも売上は記録破りで、その人気ぶりは、一部の人達には容認できないものだったようです。
もちろんプロのピアニストにとっての技術は不可欠で、それなくしては成り立たないものですが、フジコさんのピアノはそれを承知でも聴いてみる価値があったと思うし、美しい音、とろみのある表現、さらにそこからフジコさんお好みの文化の世界が切れ目なく広がっていることを、感じる人は感じたに違いなく、私もその一人でした。
好みが分かれたもうひとつは、世間の基準に従わず、おもねらず、びくつくことなく、誰がなんと言おうと自分流を貫いて平然としているその様子が、ある種の人達には快く映らなかったのでは?
きっかけはたしかにNHKのドキュメント番組でしたが、私の見るところ、それ以降はご本人の実力でしょう。
ピアノはもとより、絵画、服飾、動物愛など、稀有な芸術家としての総合力で立ち位置を得た方だと思います。
フジコさんの手から紡がれるスローで孤独なピアノには人の体温があり、なにか心に届いてくる不思議な魅力があって、それが多くの人達に受け入れられたのだと思います。
実際の演奏会にも行ったことがありますが、たしかに技術の弱さでハラハラすることもあったけれど、同時に「美しいなぁ〜」「ピアノっていいなぁ〜」と思う部分がいくつもあり、これはなかなか得難いことだし、結果的にそんなに悪い印象は持っていません。
難曲をことも無げに弾くばかりが正義じゃないと、技術偏重の世界に一石を投じたような意義は「あった」と私は思っています。
久々にマロニエくんの部屋を訪れて、気分良く拝読。フジコさんもフジコさんの音楽も、マロニエくんがその印象をまるごと統合的に語っているところを好ましく思いました。
私もあのNHKドキュメンタリーを偶然みた一人で、あの独善的思考回路に唖然としたものでした。しかしながら、魔法使いが煙にまくようなピアノにおまじないをかけられたような不思議なビアノは、あとにも先にもフジコさんだけ。
小澤さんもですが、フジコさんも地球規模での混沌としたこの音楽界で、一番良い時期に亡くなった方です。
おっしゃるように、この日本で“技術偏重の世界に一石を投じる”大仕事=徹底した自己表現に、私は今も頭が下がります。
たしかに魔法使いのようで、フジコさんの後に続く人は見当たりませんね。
それが真の個性というものかもしれません。
いつも楽しく読ませていただいてます。
フジコ・ヘミングさんのピアノについておっしゃること、わかる気がします。歳を重ねるにつれて、惹かれる音や心にスッと入る音楽は技術だけで生み出されたものではないと感じます。
プロともなると自分の生き様や感性を貫いて表現するのは勇気のいることだと思いますが、その資質を持った人こそが芸術家というに値するのかもしれませんね。
おっしゃる通りだと思います。
あの演奏を技術面から批判するのは容易いけれど、芸術家としての真贋を見極める検証が手薄だった気がします。
高度な演奏のエリート、超一流の演奏技術者はいくらでもいますが、芸術家と思える人は少ないですね。
こんにちは。わたしが聴きに行ったフジコさんのコンサートではショパンの協奏曲第一番でしたが、ピアノソロの出だしのフォルテから非常に音が弱くハラハラしました。でも、その雰囲気や音色から感じることは多く、常日頃彼女が主張する内容(ぶっ壊れそうなカンパネラだっていいじゃないの、人間が弾くんだから、的な)に妙に納得したものでした。マロニエさんがよく仰る、「人間離れした完璧なコントロールで難曲も平気で弾くけども、なにか魅力に乏しい現代の演奏家」とは対極にいた独特なピアニストだと思いました。
心の裡が本物で満たされた人の演奏は、多少トラブっても、やがてそれが伝わってくる転換点があり、埋め合わせされますね。
傷だらけの演奏でいいというつもりは毛頭ありませんが、ピアノの世界では、技術の傷にはえらく厳しいけれど、芸術上の傷にはユルユルなところが不思議です。
10年前に母とリサイタルに行きました。
母はフジコさんの音色が好きで、同い年でもあり戦前のフジコさんのことを存じていたようです。
ラ・カンパネラは昨今の若いピアニストは作品に忠実に演奏されていますが、これでもかの超絶技巧にはうんざりしています。
フジコさんの鐘の音色は演奏の度に音色が変わる所がすごいです。
私はフジコさんの「ため息」が一番好みです。
「超絶技巧」「うんざり」「音色」というワードには、思わず反応してしまい、まるで新たなネタをいただいたような気がしています。
まったく同感で、「ため息」はよかったですね。
リストと超絶技巧は切っても切れないセット物のようになっていますが、リストこそ穏やかで慈しむようにゆったり弾いたら、まったく違う世界が現れるような気がするのですが…。
いつも興味深く拝見させて頂いております。
ポリーニに続き、大好きなピアニストのフジコさんも亡くなってしまい、大変寂しいです。フジコさんがコンサートで演奏されたシューベルトの即興曲3番が、素晴らしすぎて忘れられません。死、神、舞い降りる天使を感じさせる神々しい演奏でした。
今の若いピアニストさん、指がよく回る器用な人だなという印象で、上手だとは思いますが、何度も聴きたいとは思いません。
フジコさんのような情緒に溢れる演奏をされる方はおられないですね… ミスはされますが、あれだけの演奏ができるのは、やはり基本的な技術はできておられたのではと思いますが、批判が多かったのは売れっ子だった彼女への嫉妬でしょうか。マロニエさまがおっしゃるとおり、コンサートが亡くなるまで盛況だったのは、彼女の実力と圧倒的な存在感だと思います。真の芸術家でした。
ピアニストもずいぶん亡くなりましたね。
ウゴルスキ、フレイレなど非常に惜しい人でしたし、ニコラ・アンゲリッシュやラルク・フォースなどは突然のことでびっくりでした。
そういう意味ではフジコさんやメナヘム・プレスラーは、最後までよく頑張られた方でしたね。
上手い若手がどんどん出てくるのは素晴らしいことですが、オリンピック選手みたいなピアニストが多く、芸術家と思える人は間違いなく減っている気がします。