窮屈になる時代

コンサートに行く頻度はめっきり減りましたが、その理由はいろいろあるけれど、ざっくりした理由としては、聴いてみたい演奏家の激減、演奏スタイルの変化により結果が見えていてワクワク感がない、地方公演での演奏の質、残響ばかり強くて音が混濁するホール、などがあります。

…が、そればかりでなく、コンサート会場に流れる空気も、昔の自由な、楽しい雰囲気は失われ、最近はますます悪い方向に強化される方向だと聞きます。

例えばホールに行くと、いまどきの人手不足というのに、エントランス前後から多くの職員があちこちに立って、お客さんを案内するという名のもと、実は厳しく行動は監視され、なにか見張られているような気配を感じます。

座席に行くにも、その経路さえも関係者からやんわり管理されているのか、なんとなく自由にウロチョロできない雰囲気。
ようやく座席につくと、こんどは「開園に際しまして…」のたぐいの注意放送が降り注ぎます。

録音/撮影はダメ、携帯電話の電源を切る、演奏中の出入りはダメ、花束を渡すのもダメ、プログラムなどの紙類は落とすと周囲のご迷惑になるから注意しろ、など、次から次です。
内容的には当然のことではあるけれど、せっかくこれからいい音楽を聞こうという期待に身をおいているのに、頭の上を流れるアナウンスは、あれもダメこれもダメのダメダメづくしで、まるでこちらがコンサートのマナーを知らない野蛮人のようで、しかもそれが何度も何度も無遠慮に繰り返されます。

ようやく注意が終わったかと思ったら、次は「ただいまロビーで☓☓のCDを発売しております」「終演後はサイン会を予定しております」「どうぞ本日の記念に…」と一転して商売の話に切り替わり、これがまた何度もしつこくてイヤになります。

お手洗いに行くにも、楽屋へ通じるルートなど、いかめしい制服のガードマンが棒立ちで、何様でもあるまいにと思うし、ことほどさようにその息苦しさといったら、なにげに不快感を感じるのみ。

主催者側、ホール側にしてみれば、もちろん言い分はいくらでもあるのでしょうが、アナウンスはじめ流れる空気がどこか高圧的で、チケットを買って楽しみに来たはずの気分はこういうことから少しずつ息苦しくなり、それがが積み重なるうちに楽しい気持ちは減退して、不愉快になっていきます。

だいたい、入り口から入っても、何人ものスタッフから「いらっしゃいませ」帰りは「ありがとうございました」を言われるけれど、飛行機やホテルじゃあるまいし、こっちは音楽を聴きに来て、終わっから帰っているだけであって、そこにいちいちそん挨拶は無用だし、どこかなんだか鬱陶しくて仕方なく、もうすこしサッパリできないものかと思います。

いまどきなので、万一に備えてのトラブル対策というか、外形的な安全を張り巡らせているだけで、来場者のためというより自分達のためという印象しかありません。
時代も変わり、客層も変わったといえば、そのひとことで終わりますが、なんだか福袋の行列と大差ない扱いを受けているような…。

窮屈になる時代」への6件のフィードバック

  1. 現在はそのような場所にまでリスク管理が徹底的になされているとは…高揚感も演奏が始まる前に白けてしまいますね。

    最初から最後まで注意喚起と監視で来場者は疲れる一方で、リラックスどころかいつまでもモヤモヤしたものが残りそうですね。思わず目も耳も背けたくなるばかりです。
    軍隊じゃあるまいし少しの自由な雰囲気も与えられないのかとツッコミを入れたくなりました。

    自分達の身を守ることもある程度は必要ではありますが、もう少し節度を持って対応してほしいし、何よりせっかくお金を払って楽しみに出向かれた来場者の心情にもっと寄り添ってほしいものだと思いました。

  2. 私もうすうす感じていましたし、最近ある人がコンサートに期待を込めて行ったところ、やはりアナウンスや規制が過剰なことにすっかり疲れて、いやな気持ちで帰ってきたとか。
    演奏そのものは悪くなかったようですが、コンサートは行く側にとってはそもそも前後も含めた精神的な流れがあることだから、規制や縛りがあまり前に出過ぎると、雰囲気が台無しになる可能性はありますね。
    演奏中は静かにして周りに迷惑をかけないことは当前ですが、だからといって大きなホールじゅうが息を殺し、咳払いひとつもできないような緊張と静寂を求めるのも、ちょっとどうなんだろうと思います。
    これには海外の演奏家は感激するようですが、聴衆の一人になることは修行ではないのだから、もうすこし肩の力を抜いた自然な空気感が成立しないものかと思います。
    ついでにい言うと、過度に綺麗なキラキラづくしのホールなども、個人的にはどこかしっくりきません。

  3. 状況を想像するだけで窮屈ですね。
    私が住んでいる地域は全体的にゆるいので、たまに名の知れたピアニストの演奏会などに言っても、「撮影禁止」と「携帯電話の電源オフ」がサラッと流れる程度で、演奏中以外は和やかな雰囲気です。
    思えば、これは会場側が客の常識に委ねるという信頼が根底にあってのことかもしれません。
    先回りしてあれこれ規制されると、やはりうんざりするでしょうね。

    ホールについては、聴く人の感覚的なものなのか、新しい施設の方が音の響きがいいとは限らないように思います。
    興味ある演奏家が来るお知らせを見た際に、ホールによって行くのを躊躇することもあれば、「そこなら行く!」とスケジュールの調整にかかることもあり、聴き手とホールの相性は意外にも大きな要素になるものかもしれません。

    • ホールも楽器のうちですから、会場の響きは大事ですね。
      ただ普通に、ほどよく響いてくれればいいのですが、やたら残響が強くて収束性のない響きだと、とくにピアノはぐちゃぐちゃになってもうたまりません。
      落ち着いて演奏に耳を傾けるには、どちらかというと使い込んだ感じの、素朴だけれど文化の香りのする会場が好みです。

  4. おっしゃる通り、自分もただ音楽を聴きに来るのに興醒めな付随物が多過ぎると感じることがあります。

    思うにIT技術全般の発達により、撮影録画の投稿はもちろん観客同士のトラブルなども簡単に拡められ、場合によっては運営側の責任も問われるようになってしまったことで、明に暗にあの手この手でリスクを潰し保身を図っているようにみえます。

    これを機会にネットを漁ってみたところ、コンサートホールで実際に働いている方のブログを発見して色々と現場の御苦労の一端を読ませて頂きましたが、演奏会では自分が遭遇していない所で本当に様々な方がいらっしゃるようで、マナーやそれ以前の「常識の範囲」で互いを思いやり、演奏を楽しむというのは実は思っていた以上に高度な事なのかもしれないとため息が出てしまいました。

    • 「あるある」のお話だろうと思いました。
      そもそも、何かというと責任の大半を管理者や組織に押し付けすぎる傾向が強すぎるようにも感じます。
      それじゃたまらないから責任回避の方策を張り巡らせ、アリバイ作りにも余念がなくなり、雰囲気はどんどん悪化するという悪循環でしょうね。
      それでも注意喚起は、開演直前に一度でいいのではないかと思います。
      「互いを思いやる」「お互い様」の精神は激減しましたね。

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