モネ展

一昨日は北九州市で開催中のモネ展にいきました。
その日その時間が指定されるコンサートと違って、美術館の催しは日程に余裕があるのが裏目に出て、過去に何度か行かずじまいになってしまったものがありますので、残り一週間となったのを潮に腰を上げました。

会場の北九州市立美術館はマロニエ君の好きな美術館のひとつで、磯崎新の設計による山の傾斜を上手く利用したモダンな美術館ですが、30年以上前の開館当時は、福岡市は小さな県立美術館のみで福岡市美術館ができる数年前だったこともあり、子供心になんとも羨ましい気がしたのを覚えています。

日曜だったこともあり大変な人出で、展覧会そのものはいちおう楽しめましたが、実をいうと期待はずれな部分もありました。
というのは、マロニエ君はてっきりモネ展とばかり思っていたら、実際は「モネとジヴェルニーの画家たち」というもので、モネと、彼を慕ってジヴェルニーに集まった多くの画家たちの、いわばグループ展覧会でした。

それならそれで、もちろん構わないのですが、あちこちで見かけるポスターやチラシ、あるいは新聞広告などはモネという字ばかりがあまりにも大書されてモネというインパクトだけが一人歩きし、ジヴェルニーの画家たちという文字はその数分の一のサイズで、しかも見落とすことを狙ったかのような地味な色でしかないので、あれではモネ展と思うのもやむを得ないというか、いささか良心的でない広告の打ち方だと思います。
会場の入口付近には「来場者数6万人突破」などと書かれていましたが、こういう内容をじゅうぶん承知の上で来た人が、はたしてどれぐらいいたのかと思ってしまいます。
最近はちょっとでも油断していると、うっかりこの手でやられてしまうのは嫌な風潮ですね。

驚いたのはモネ以外の画家達の作品が、どれもモネの画風をひたすら手本としてあまりに酷似しており、これらを見たモネ自身はどう感じていたのだろうかと思いました。それはとくにアメリカの画家に多く、アメリカは音楽でもそうですが、芸術面では基本的にヨーロッパ・コンプレックスが強く、オリジナリティの薄い傾向があるようです。

そんな中で見るモネの作品は、むしろこの画風の張本人であるぶん自由奔放で躍動的にさえ感じ、有名な「つみわら(日没)」などもマチエールやタッチは予想を覆すほど大胆で、むしろ荒々しく感じるほどのものであったことは大変意外でした。
基本的にはもちろん素晴らしいとは思いましたが、マロニエ君にとっては全体として不思議に実物の感激というのがあまりなく、むしろ画集などの印刷物で見るほうが圧縮感があり、どこかありがたいもののように見えるのはどうしたわけだろうと思いました。
普通ならば実物でこそ得られる感激や充実があり、それらは印刷物ではとうてい表現できない凄味があるものなんですが。

それと、全体的に作品の質がもうひとつで、これという圧倒的な作品が少なかったように感じました。
展示作品数も思ったよりも少なく、いささか宣伝過多のような印象は免れません。
とくにモネ本人の作品はこれだけモネの名を前面に掲げていながらわずか11点にすぎず、それも最上級の作とはいいかねるものでしたから、いろいろと制約はあるのかもしれませんが、もう少し全体を上質なものにまとめて欲しいというのが偽らざる印象でした。
それでなくともモネは多作でも有名な画家なのに…。

年明けには九州国立博物館で始まるゴッホ展も、こういう経験をするとちょっと心配になりますし、同じころ、北九州では「琳派・若冲と雅の世界展」というのがはじまるようですが、事前調査が必要な気がしてきました。

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