磨きの作業中は、技術者さんとあれこれ雑談する機会にもなりました。
とくに印象に残った話など。
むかしは国内大手のピアノメーカーでも、会社が一丸となって「いいピアノ」を作ろうと云う気概と情熱にあふれていたころがあって、今では考えられないような良質な材料を惜しげも無く使うなど、高い理想を掲げて制作されていたとのことでした。
時代的に云うと、1960年代あたりからのようです。
技術者として、その時代のピアノに触れて感じることは、作り手の熱意が直に伝わってくるとのこと。
「三つ子の魂百までと言われるとおり、いかに志をもって制作され、丁寧に調整を施されて出荷されるまでが大事で、それがピアノの一生を決める」というものでした。
カメラなどでもそうだと聞きますが、昔の逸品には作った職人の手間ひまや息吹が感じられて、工芸としての価値や重みもある。
本物だけが持ち得るもので、価値あるものすべてに通底するようです。
時代も移ろい、あらゆることが変化したいま、ピアノづくりだけがそんなにピュアな精神を保っているはずはありませんが、少なくともそういう時代があったこと知るだけでも大事だし、自分で触れるなりして正しくその価値を評価すべきだと思いますが、ピアノはなぜか冷遇され、なかなか再評価の風が吹きません。
たとえば有名なフリマサイトなどにもピアノは多数出品されていますが、そこでは製造年の新しいものが人気で高値で取引されるのに対し、上記の時代のピアノとなると、それがどんなに贅を尽くされた最高級クラスのものであっても、古いというだけで敬遠され、驚くばかりに安く値付けされてしまい、それでもなかなか買い手がつかないのが現実のようです。
ピアノの価値基準というのはなかなか判断が難しいところがあることも否定できませんが、それにしてもそのあまりの不当評価にはやるせないものを感じます。
まるでクルマのように年式と走行距離とコンディションで…といいたいところですが、実はクルマのほうが熱心なファンが多いせいか旧き佳き時代のものは、とくに近年は価値が見直されています。
いったんその風が吹くと、「こんなものが?」と思うようなものまで連動して価格高騰しています。
古くて希少というだけで、ほとんど見るべきもののない中古車なんぞに比べたら、この時代のピアノは比較にならないほどの高い価値があると思うのですが、悲しいかな市場がまったく反応しない。
もしUPで50〜100万円ぐらいの予算があるなら、新しいというだけでペラペラの「合成ピアノ」を買うより、佳き時代の名品を買ってリニューアルして使ったほうが、どれだけ豊かで実り多いピアノライフが送れるだろう…と思います。
尤も、いまピアノを買う人は、仮に子供にピアノを習わせるというような動機だとすると、その子が成長して独り立ちすると弾く人がいなくなる、あるいは大人になって趣味でピアノを買う人も、その当人が弾かなくなったらたちまちジャマモノ扱いとなり処分されるなど、せいぜい20年ぐらいしか使われないケースが多いのかもしれず、家の中でもピアノを弾くのは特殊な存在で、なかなか生活に自然に根付く存在とはならないようです。
現実はそうだとしても、でもしかし、はじめから使う期間のおしりを切って、それに見合ったものでよいというのも、あまりに寂しい気がするし、だったらいっそピアノなんかやらなくてもいいのでは?
子供の頃、家にあったヤマハのアップライトは木のやさしみのようなものが感じられて好きでした。
今の音はどちらかと言うと苦手ですので、あれは思い出の中で美化されたものだったのかと少し寂しくなることがありましたが、今回のお話を伺って「ああ、そういうことだったんだ」と温かい気持ちになってます。
楽器は表現力のポテンシャルが求められるところかと思いますが、個人的には音が素朴な形で心に馴染むかどうかも同じくらい大切に思っています。
「製品」として組み立てられる楽器にはそこが欠けているような気がします。
今のヤマハを聞くと、音が耳の側を通り過ぎて身体に入り込む感覚をあまり覚えないのは、何かそういうところからきてるのかもしれません。
以前書いたかもしれませんが、同じピアノ工房で同じ技術者さんが仕上げたU3が2台、売り物として並べられていたことがありました。
1960年代のものと1980年代のもので、私は断然古いほうが好みでしたが、技術者さんは数で耳が馴れてしまっているのか、新しい方が好みといわれたときには、目が点になりました。
後年のピアノはだんだんにファストフードみたいな味になっている気がします。
ピアノにおいては良い物が正しく評価されないのは悲しいですね。
1960年代に製造されたヤマハのピアノをちょくちょく弾いています。
ハンマーがシングルフェルトの時代で今の楽器と比較するとすっきり感は薄いですが、高次倍音が鳴りすぎない、一言で言うなら安心できる音なので、なんだかんだで気に入っていたりします。
逆にすっきりとした音の出る今の楽器の音は録音された音とよく似ていて、録音で音楽を聴く人にとっては耳なじみのある音であるのですが、音量を最大にした電子ピアノのように感じる側面もあり、弾いていて違和感のようなものを感じる時もあります。
しかし、世の中を見ていると新しい音のほうが好まれているようで、演奏する方もそれをイメージしたような音を出そうとするがために古い楽器は音が物足りないと思われがちで、この国でまだまだそういった楽器の価値が理解されるのには時間がかかりそうですね。
近年のピアノは、厳しいコストダウンの荒波の中で製造されたものなので、一見キラキラして整っていますが、人間の五感は正直で、しばらく弾いているとすぐに飽きてしまうし、気がつくと耳や脳が疲れてしまいます。
「録音された音」「音量を最大にした電子…」というのはなるほどと思いました。
いまや電子ピアノのような音が「きれいな音」として定着してしまったのか、本来のピアノのほうが逆にそういうテイストの音作りになってしまったと感じます。
それに慣れてしまうと、昔の好ましい本物の音さえ、ただ古臭くてダサいと感じてしまうのかもしれませんが、はやくフェイクに気づいてほしいものです。
世間のピアノ講師は「アコースティックピアノがいい」が口癖ですし、メーカーも「本格的にやるならアコースティックピアノ」と宣伝しているからこそ、余計音が虚ろに感じられますね。
最近カワイが電子ピアノと同じ外装を使ったアコースティックピアノを出して、色がきれいだからかじわじわ売れているようですが、インターネットに流れている動画を聴く限り音は本当に電子ピアノのようで…そこまで来たか…と思うと複雑な心境であります。
昨今、良い物、良い音色の構造を見分けられるのは、マニアな方か技術者の方が多いように感じられます。
私は構造にはあまり詳しくないのですが、五感に心地よい音色に出会う時は大抵、60、70年代のピアノで、特に高音にビビッときますね。
当時のピアノはモダンピアノより、どちらかと言うとピアノフォルテ寄りのような芳醇な感じかな?
アコピに飽きた若い方がエレピにいく傾向にあると聞きますが、やはりエレピに求める音はアコピに近いのを求めると、長いお付き合いの技術者の方が「ハー」と漏らしておりました。
人間の五感は進歩してるのか、はてまた退化してるのか?
環境がそうさせているのか?
お久しぶりです。
たしかに、すべてとはいいませんが、マニアのほうがよほどわかっていると思う事は…ありますね。
とくにピアニストは自分の楽器を持ち運びできず、先生と言われる人たちの大半は仕事の道具だったりで、いずれも「ピアノ=割り切るもの」というのが身について、良いものを追い求めることを忘れてしまっているのかもしれません。
昔のピアノの良さは、基本の信頼感と変な下味がついていないことではないか?と思います。
味は弾く人がつけるもので、シンプルな音がほしいときに、不必要にキラキラされると場違いな気がしたり…。
追伸 誤文
エレピに飽きた若い方がアコピにいく傾向にあると聞きますが、やはりアコピに求める音はエレピに近いのを求める。
テレコになり申し訳ありません。
↑あかぼしさん
狭くなるのでこちらから。
カワイの新機種、さっそく見てみましたが、あのサイズと軽やかな色あい、あの価格でアコースティック・ピアノとなれば売れるだろうなぁと思いました。
音は電子ピアノ風きれいさを目指したという感じですね。
大手エアラインのLCC対策みたいに、ENCSHU対策?
ENSCHU対策…価格帯としては圧倒的にカワイのほうが安価なのですが(どちらかというとヤマハのbシリーズへの対抗にも見えますが)、確かにあるかもですね。
ENSCHUはいろいろあって何度か弾かせていただいていますが、良くも悪くも凡庸で突き抜けた何かがないのが致命的な弱点ですね…ただインターネット時代に最適化された広報活動は圧倒的に大手2社と比較するとうまいなと感じてしまいます。
ENSCHUはやはりそうなんですね。
たしかにご案内のカワイの直接的なライバルはヤマハのbシリーズでしょうが、どうも最近はカワイのほうが勝ち星を上げているような印象もあります。
いずれもインドネシア産のようですが、最近は日本製と言ってもいろいろあるので、生産国に対する意識も以前よりは薄まっていることを自分の中に感じます。