平均の功罪

いろいろなCDを聴いていると感じることも様々ですが、昔のほうがすぐれていると感じる点はたくさんあるわけで、とくに演奏家の音楽に対する純粋な情熱、芸術家としての在り方、真摯で個性にあふれた大胆な演奏などは、圧倒的に過去の演奏家に軍配が上がると思います。
とりわけこれはと思わせる巨大な芸術家が20世紀まではたしかにいたことです。

現代の演奏家は、ミスのないクリアな演奏で難曲でもスムーズに弾きこなすのは大したものですが、情報の氾濫した複雑な社会に生きる故か、個性の面ではスケールが小さく、まるでニュースキャスターのトークを聞くような演奏をするので、どこか計算ずくのようで、聴く側も生々しい感動が薄くなるわけです。

現代のほうが圧倒的に優れているのは、CDの場合まずなによりもその平均的な録音技術で、この分野の発達は途方もないものがあるように思います。だからといって、ではそれがすべて音楽的であるかといえば、必ずしもそうではないのが芸術の難しいところで、ものによっては昔の録音のほうにえもいわれぬ味わいのある録音があったりする場合もあります。

そうはいっても、やはり単純な意味での音は細かな響きまで捉えて臨場感があり、透明感や広がり感、分離などにも優れ、平均して断然きれいになったと思います。しかしオーディオの専門家に言わせると、LPのほうが音の情報量は多かったなどとも言われるようで、そのあたりの次元になるとマロニエ君にはもうわかりませんが、単純な意味ではやはり美しくリアルな音が収録されるようになったと言えると思います。

現代が優れていると思うのはもうひとつ、使用ピアノの状態と調整です。
潜在的な楽器の能力としては、昔のピアノのほうにほれぼれするような逸物が多数あり、その点では現代のピアノはピアニストと同じで機械的な性能は上がっていても、音に太さや深みがなく、いささか固い人工美といった趣がありますが、昔の録音に聴くピアノの音にはまさに気品あるふくよかな音色であったり、荘厳な鐘の音がこちらへ迫ってくるような低音の鳴りがあったり、あるいはこのピアノは生き物では?と感じるような名器があったりと思わず唸ってしまうことがよくあります。

そのかわりにひどいものもあり、中にはなんでこんなピアノを使ったのだろうかと思わず頭を捻ってしまうようなヘンテコな楽器もかなりありました。とにかく演奏も録音も楽器もバラツキというのはたしかに多かったと思います。

現代にはそういうバラツキが極めて少ないわけです。
ピアノも精度が上がって楽器の均質性に優れ、コンサートグランドを納入するような場所は管理もよくなり、ピアノ技術者の仕事も平均的なレベルがうんと上がったように思います。
平均点が上がったということは、ピアニストが難曲でもとりあえず弾きこなすようになったのと同様ですが、技術者の場合は職人であって芸術家ではないので、こちらは平均点が上がることは素晴らしいことだと思います。

逆にピアニストはこれでは困るのですが、時代の流れが必然によって産み落とす現象というのは、すべてをひっくるめて顕れてくるものですから、なかなかすべてに都合よくというわけにはいかないようですね。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です