先日のEテレ、クラシック音楽館は前半がブラームスのピアノ協奏曲第1番でした。
ピアノはルドルフ・ブッフビンダー、指揮はファビオ・ルイージ/NHK交響楽団。
ブッフビンダーはウィーンを拠点とするピアニストで現在70代の後半。
ドイツ系音楽のスペシャリストとして数えられる人ですが、個人的には特に強い印象をもった記憶はあまりなく、いわゆる「中堅」という言葉がこれほどピッタリくる人はないイメージです。
際立った魅力も感じないがイヤミもないというところで、ウィーン系のピアニストというと、ティル・フェルナーとか近いところではヴンダーといった名前が浮かびますが、いずれも自身の個性表出より音楽への奉仕に重きをおくタイプの人で、そこがウィーン流なのか?とも思います。
とくにフェルナーの細部に至るまで神経のかよった端正な演奏は舌を巻くところで、様式感を重んじつつ、そこにあふれる清潔な美しさは印象的。
ブッフビンダーはウィーン系でもまた趣が異なりますし、そもそもウィーン系なのかどうかもわからない。
CDなど何枚かは持っているけれど購入当時に幾度か聴いただけで、自分にとってさほど重要な存在にならないまま、以降は手に取ることもほとんどなくなってしまいました。
氏のプロフィールや得意なレパートリーから期待するような、構造感とか折り目正しさというわけでもないし、その音楽には感覚重視の印象もあり、どこか線の細さを感じます。
よって、やはり「中堅」としか思えないのだけれど、最近ではお歳も重ねられたこともあるのか、いつしか「巨匠」へと格上げされているようです。
今回のブラームスでは、テンポが速めで、そうすることでこの長大な作品をまとまりよく聴かせられるということもあるのかもしれないけれど、もう少ししっとりじっくり聴きたい派には、いささか性急で肌理の粗さが目立ちました。
この作品は長いだけでなく結構な技巧を要するところへ、このテンポ設定も重なったのか、あまり上質な演奏とは思えないものになってしまったのはとても残念でした。
キズのない演奏が大事などとは思いませんが、そういう不備を補って余りある何か大事なものが聴こえてこなかった…というのが私の印象。
さらに追い打ちをかけたのが、最近の機能性抜群のN響の乱れのない演奏で、ピアノとオケがとりわけ対等密接な関係性をもつこの作品においては、ソリストの弱点が否応なく暴かれてしまうようで皮肉な対照でもありました。
そういうことをしばし忘れて楽しめたのは第2楽章。
夢見るような美しい世界の広がりは陶酔的で、そういう趣味の良い叙情美はブラームスの独壇場となるのもしばしば。
この緩徐楽章ではさしものブッフビンダーもほぼ適正なテンポで弾いてくれましたし、時おり特定のバスを深く響かせてくるあたりは、この作品をよく知っているらしいことを感じさせるところではありました。
そして、第2楽章が終わって第3楽章に入る間の取り方は、この曲を聴くときにいつも注目してしまうポイントですが、ほんの一息間を置くだけで、その集中と余韻を切れさせぬところで、決然とピアノのソロが鳴り出したのはホッとさせられました。
ここで、本当の休息をとってしまって、客席からゴホゴホ咳払いなどが出てくるのは、この作品においては適当とは思われませんから。
私も先日、観ました。
ブッフビンダーは、若い頃より若くなったように思います。
モーツァルト協奏曲をウィーンフィルとの競演での弾き振りが有名ですね。
特に20番のニ短調では、2楽章から3楽章に入る間は今回の演奏ともお見事です。
インタビューで、嫌いな言葉は「円熟」とおっしゃっていましたし、年齢を重ねると音楽が自由になったそうで、なるほどそれでテンポも自由になったのでしょうね。
N響はキレが良くなりソリストとしっかり競演された演奏をされていましたが、やはりパワーはウィーンフィルにはまだまだかなわないと感じました。
N響はコンマスが交代してから音色の張りと、所々ピシッと決まっった演奏になりましたね。
ずいぶん前ですが、舘野泉さんも「今の僕は、若い頃よりむしろ情熱的な演奏になった」というような意味のことを言われたことがあり、お歳を重ねられた方は、ときどきこの手の発言をされますね。
N響もウィーン・フィルと比べられたら嬉しいでしょう!
むかしはもっと官僚的な演奏でしたから、最近のほうがしなやかになってきた感じも受けていますが、なんというか…あと一歩というものも感じます。