パリ・オリンピックが閉幕しました。
パリ大会の開会式・閉会式では、ピアノが様々に登場したようですが、その使われ方には疑問の残るものが多かったように思います。
開会式での激しい雨にさらされてびしょ濡れのピアノが複数あったことはすでに書きましたが、閉会式では、今度はピアノとピアニストが宙吊りにされ、垂直のまま演奏するという驚きの光景を見せられることに。
以前も、フランスでは空中でピアノを弾くという奇想天外なパフォーマンスを動画を見た覚えがありましたが、もともとフランスという国はそういうイカれたことが好きなのか?!?
さらに驚いたことには、今回のオリンピックではピアノを燃やしてしまうパフォーマンスもあったのだそうで、もうそこに至っては見たくもないので動画を探してもいません。
中には「カッコいい」という意見もあるようですが、非難の声も相当あがっているようです。
「開会式では雨に濡れ燃やされたピアノ、閉会式では吊り下げられたり、ピアノの使い方がおかしい」
「ピアノに対して恨みでもあるんか?」
「ひどい」「ピアノがかわいそう」といった意見もネット上にちらほら出ていました。
ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』の場面を揶揄したり、マリー・アントワネットの首が出たりと、かなり過激な試みも恐れることなく挑戦するという意欲は買うとしても、いささかやり過ぎでは?と思う面が多すぎたののかもしれません。
そもそも、芸術の都として名高いパリで、ピアノという楽器に対してあのような非文化的な扱いをすること自体が、個人的にはその見識のほどを疑ってしまうものがありました。
これが、文化の何たるかもまるで解さないような、成金の野蛮国の所業ならともかく、なにしろパリですからね。
パリにはピアノに関する歴史でもプレイエルがあり、ショパンやドビュッシーが住み暮らし、ロンやコルトーやフランソワがいた街であったことを考えると、やはり今回の振る舞いは納得がいきません。
最後の吊り上げ演奏では、単純な疑問も残ります。グランドピアノの構造は水平であってはじめて機能するもの。
これを縦に吊るした(しかも鍵盤が下)というのは、少しでもグランドのアクションの構造を知る人なら、演奏するのは常識では不可能なはず。
ということは、音源は別にあって、空中で弾いているマネだけしていることも大いにありそうで、これを口パクというのかアテレコというのか適確な言葉はわからないけれど、あまりに意表をつくハデな演出ばかりでは虚しいです。
フランスに限ったことではないけれど、とにかくハデなことをやって注目を集めさえすれば、それが正義という価値観があまりに中心になりすぎていて、まさに炎上商法ですね。
そんなことをしなくても、パリの輝きは世界中が知っていると思いますけどね。
競技や審判に関することでも非難される事柄がずいぶんと多かったようで、今どきのスポーツが純粋公正でさわやかなものとはもとより思っていないけれど、それにしえもマイナス面も数多かったように感じました。
ちなみに宙吊りにされたピアノはヤマハでしたね。
「イマジン」の歌でピアノが燃えていたのはかなり不快でした。
フランス人の間でも「ピアノを燃やす演出に何の意味が?」とか、「マリー・アントワネットの首、燃えるピアノ・・・自分たちは地獄にいるの?」といった意見が見られたようです。
閉会式で吊り上げられたピアノはピアニスト当人のものだったようですね。演出のアイディアも本人から出たようで、人と違って目立つパフォーマンスをしたかったとか。
芸術家というよりエンターテイナーといったところでしょうか。
フランス人の間にも一連のピアノの扱いや演出には批判もあったんですね。
オリンピックなので派手なパフォーマンスはわかりますが、センスのフランスにしては、そのセンスが悪かったと思います。
以前も書いたかもしれませんが、むかしフランスのデュシャーブルというピアニストが、(公開演奏のあり方に疑問をもったとかなんとかで)引退すると宣言し、そのセレモニーとしてピアノをクレーンか何かで高く釣り上げ、一気に突き落として破壊してしまうということをやりました。
素晴らしいピアニストでファンだっただけに、その野蛮な振る舞いには幻滅しました。