ヨーロッパにお住まいの方から、面白い情報を寄せていただきました。
今どきはどこの国にも売買サイトがあるのは当たり前でしょうが、そこに出品されているピアノはというと、日本とはまるで異なるものが次から次へと出てきて、面白いといったらありません。
その中に、ドイツの伝統ある有名メーカーのグランドで、「ピンも弦も交換されているのに数ヶ月経っても売れない」のがあるらしいとのことで、私もさっそく直に見せていただきました。
お値段は日本円で80万円くらいと、望外の価格でもあるため、あまり細かいことを言い立てるのもどうかとは思いつつ、率直にいうと、一枚目の写真から早くも怪しい気配が漂っているようでした。
ロゴやフレーム、ピン板、譜面台、外装にいたるものまで、多くの部分は違和感にあふれ、本当にそのメーカーのピアノかどうかも疑わしい感じを受けたのです。
100年以上経過しているとはいえ、メジャーブランドのグランドがこんな値段で売られていること自体、どこかおかしいような気もしましたが、その方も興味本位とのことで、とくに購入を検討されているわけではないらしく、あまり真剣に観察する必要もないため却って面白いくらいでした。
ついでにほかも見渡してみると、さすがは本場だけあって多種多様の珍しいピアノがひしめき、音楽文化の歴史と裾野の広さとが如実に窺えました。
これを時間をかけ丁寧にウォッチすれば、中には掘り出し物といえるものもありそうですが、玉石混交であることも否めず、購入となればかなりの眼力が必要だろうと思います。
とくに古いピアノの場合、素人判断で安易に購入してしまうのはかなりの危険を伴うと思っておいたほうがよさそうですが、同時にヒリヒリするようなスリルもありそうで、つい引き寄せられていくのも正直なところ。
もし私みたいな人間がそんな地にいたらどんな目に遭うやら、考えただけでも恐ろしくなります。
日本の中古ピアノ市場といえば、大半がヤマハとカワイで一向におもしろ味がないのに対し、当たり前ですがヨーロッパの土台が違うというか、見ているだけでもわくわくで、それこそため息の出るような美しいピアノから粗大ごみのようなものまで、まさに宝探し気分です。
なんといっても楽しいのは、日本では絶対にあり得ないようなブランドのピアノがかなり意外なお値段ででていたりしますが、同時にかなり危なそうな雰囲気のものもあったりで、免疫のないマニアにとってはかなりの危険地帯でもあると思います。
日本と違って、騙されるときも思いっきりスッパリやられそうです。
腰の加減で、もっかほんの短時間しか椅子に座れないこともあり、ブログの更新もおぼつきませんが、快復したときじっくり見るのが楽しみです。
変に修理してめちゃくちゃな状態になってしまった修復失敗ピアノがあちらにはたくさんあるようですね。日本と比較すると技術者の腕のピンキリっぷりが激しいからなのかもしれないですが、なんとももったいないなぁと思ってしまいます。
それはもったいないですねぇ。
たしかに日本の技術者の仕事は丁寧で、平均点は高そうです。
あちらの修理の動画などを見ていると、中には「荒いなぁ…」と思うこともありました。
まがい物のピアノがあるとしたら穏やかではないですね。少し気になりネットを見てみますと、楽器の偽造品が出回るようになった経緯を考察したサイトがありました。
そこに書かれていた内容によると、1800年代終わりから1930年代頃、ドイツ/オーストリア製のピアノに絶大な信頼が寄せられていた一方で、イタリア北部にはピアノの部品・生産工場が幾多も存在していたそうで、ドイツのメーカーが中身は全てイタリアの部品を用いる例があったり、イタリア産ピアノにドイツ風の名前をつけて「ドイツ製」としてピアノ店や一般の人々に売る悪徳商人がいたり、さらには偽のレーベルをつけて販売する等のケースが見られたようです。(質は優れているものも多かったらしいですが・・・)
今回おっしゃっているピアノは100年以上前のドイツ有名メーカー製ということでしたので、あくまでも一つの可能性として、あの時代にイタリアで生産されたピアノということもあり得るのかなと思いました。
そんなサイトがあるとは驚きですね。
19世紀の終わりから第二次大戦前までは、まさにピアノの黄金時代ですから、時代的にも納得がいきます。
イタリアのパーツを使っていたとか、偽りの名前をつけるとか、なんだか100年前から人は同じようなことをやっていたのだな…と思うと呆れます。
まがい物がそれほど作られたとは、裏を返せば、それだけドイツ系ピアノには高い需要があったということでしょうね。
不思議なのは、イタリアは音楽発祥の地といわれ、ピアノ発祥の国でもあるのに、これという目ぼしいピアノブランドが育たず、近年ようやくファツィオリが遅ればせながらその地位を主張している感があるところで、なぜイタリアにはピアノブランドが興らなかったのか?と思います。
以前、海外から日本に仕入れたスタインウェイの荷を解いてみると果たしてニセモノで、ひと騒ぎになったものの純粋に楽器としてみればそう悪いものではなかったという話を聞いたことがあり、騙すからには、あまりデタラメなものではバレるから、一定の品質は有していたのかもしれませんね。
今回目にしたのはミラノ大学の文献でしたが、ミラノはイタリアの北方に位置してますので、あの辺りでは上に挙げたようなピアノの実例が今でも幾分残っているのでしょうね。
これは想像ですが、当時、恐らくイタリアのピアノ職人の多くはいいピアノを作ることに情熱を注いでいたのではないかと思います。ただ、ヴァイオリンなどいくつかの楽器は別として、ピアノについてはドイツ・オーストリアのメーカーの方がマーケティング戦略に長けていたのかもしれません。
確か、以前マロニエさんのブログの中でもベーゼンドルファーが販売促進にかなり力を入れていたと書かれていたような・・・。(記憶違いでしたらすみません)
今回の文献によると、イタリアではピアノがなかなか売れないと嘆く職人たちは、イメージを変えるために一つのピアノで名前を変えてころころ付け替える苦肉の策を取ったりしていたようです。中には自分の名前(メーカー名)を入れるだけの自信を持てない職人さんもいたとか・・・。
こんな状況の下、悪徳商人と共謀する生産者が生まれ、勝手にドイツの商標を掲げて売りつけたり、名のあるドイツメーカーのロゴをつけるといった事態に発展していったのでしょうね。
今日の日本のピアノメーカーのように、一度マーケットを確立すると絶対的な信者が増え、一方でそこに入りきれなかったメーカーは質の如何に関わらず淘汰されてしまうということかもしれません。今回の話はなんだかやりきれないものを感じました。
ずいぶん前のことを覚えていたくださって恐縮です。
昔のベーゼンドルファーの手段を選ばぬ猛烈な販売攻勢は、今日の同社の優雅なイメージとはかけ離れたものだったことを雑誌の特集記事に書かれており、私もかなり驚いたものでした。
結局は、ドイツのモノ作りに優れたパワーが、ヨーロッパでの確乎たる地位を築いたということかもしれませんね。
とはいえ、どんな理由があろうと、ニセモノづくりはいただけませんが…。