天才と家族

昨年のクライバーンコンクールに優勝して以来、辻井伸行さんの人気はますます上がり、彼を取り扱ったドキュメンタリー番組など、もう何本見たことか、その数さえはっきり覚えられないほどです。
最近に限っても、NHKの番組でショパンの軌跡を辿ってマヨルカ島に行くものや、民放ではクライバーンコンクールの優勝者としてアメリカに再上陸し、コンサートに明け暮れる彼の様子などが放映されました。

マロニエ君も辻井伸行と聞くとつい見てしまうわけですが、その一番の理由は彼のあの衒いのない、その名の通りのびのびと我が道を歩み、心底から湧き出てくる希有な音楽の作り手だからだと思います。
すこしも見せつけてやろうという邪心がなく、いきいきと輝く清純そのもののような音楽を耳にできることは、ピアニスト辻井伸行を聴く上で最大の魅力だと思います。

人間的魅力にもあふれ、全盲という大変なハンディがあるにも関わらず、むしろ健常者よりも明るく快活で、良い意味で前向きなところは、むしろこちらのほうが反省させられてしまうことしばしばです。
会話の端々にも彼の人柄のすばらしさが表れ、そしてなによりとてもカワイイ人だと思います。
また彼は、ピアノはもちろんのこと、話す日本語も、非常にまともな美しい日本語である点も、彼の話を聞くときの心地よさになっているように思います。
間違いだらけの日本語が大手を振って氾濫する中で、こういう若い人の口から発せられる、正しい美しい日本語を聞くと、失いかけたものがまだ残っていいるというかすかな希望の念と、一時的にせよホッとする気分になるものです。

その点では彼のお母さんは大変苦労されたとは思いますが、やはり出自が元アナウンサーということもあり、この世界の人達に共通する独特な調子のトークで、いつでも人に聞かせるよう鮮やかに話をされるのが、彼の作り出す音楽の世界とは、ちょっと雰囲気が違うような気もします。

また彼が演奏家として独り立ちしつつある現在、お母さんの付き添いを辞退し、そこには長年自分に付きっきりだったお母さんにはこれまでになかった自分の時間を持ってもらいたいとの気持ちがあるのだそうで、なんとも彼らしい麗しいことだと思っていました。
ところが、やはり今風だなあと思ってしまったのは、息子の付添の手が離れたぶん、ゆっくりと自分の時間を楽しんでいらっしゃるのかと思いきや、今度は自分が主役となって子育てなどをテーマとする講演活動のため演壇に立ち、東奔西走しているという事実にはちょっと戸惑いを感じてしまいます。

元アナウンサーの母上殿にしてみれば、マイクを前に大勢の人に向かって話しをするのは、いわば本能なのかもしれませんし、あるいはよほど仕事がお好きなのかもしれません。
すでにこのお母さんの執筆による本もマロニエ君の知る限りでも2冊出版されていますし、その手際の良さには感心するばかりです。

ちょっとでもチャンスがあれば、それを逞しくビジネスに繋ぐのが現代では最善の価値なのだろうかと思います。
辻井伸行のあの明るい人柄と、その音楽的天分、そしてなによりも彼が紡ぎ出し、歌い上げる輝く音楽のために、身内としてなすべきことはなんだろうかと、つい考えてしまうのはマロニエ君だけでしょうか。

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