このところ、BSのクラシック倶楽部その他で、立て続けにアレクサンダー・ガジェヴの演奏に接しました。
日本では前回ショパンコンクールで、反田さんと2位を分け合ったピアニストというほうがわかりやすいかもしれません。
東京音大を訪ねて学生たちとの対話をしたり、主には同校ホールでの演奏会の様子が収録され、放送は2回に及ぶものでした。
プログラムもずいぶんと狙いのあるもののような雰囲気で、意欲を示した取り組みだったと思われますが、何をどう聴いたらいいのかもうひとつ掴めなかった…というのが個人的に正直なところ。
リスト編曲のベートーヴェン交響曲第7番の第二楽章とか、リストの葬送、スクリャービンのエチュードや黒ミサ、コリリャーノのオスティナートによる幻想曲、ベートーヴェンのエロイカ変奏曲、さらにはショパンのプレリュードから数曲を通常とは逆方向に並べて弾くなど、あれこれと風変わりなものでした。
全体にほの暗い、死の気配を滲ませたようなものだったのかもしれません。
ただ曲を弾くだけのピアニストではないんだぞという、アーティストとしての思索やテーマ性が込められているようでしたが、鈍感な私には音楽的に何をどのように言いたかったのかよくわからなかったし、学生さんたちとの会話も、こう言っては申し訳ないけれどごくありきたりなものにしか思えませんでした。
これとは別に、N響との共演で、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番も聴きました。
ガジェヴの演奏については、全体に曲のフォルムがすっきりしており、一定のセンスのある人だとは思うけれど、どれを聴いても一様に彫りの深さが感じられず、もっぱら軽いテイストのピアニストという印象です。
今どきの基準でいうと、とりたてて技巧的というわけでもないし、そうかといって個性的とか、深いオリジナリティや芸術性で勝負しているわけでもなく、要するにこの人でないと、という印象が残らないのは惜しい気がします。
イタリア人で風貌の点からしても、いかにも深沈型の哲学者のような感じに見えますが、おもいのほかあっさりしていて、あえて云うなら軽い水彩画のような演奏のようにも思います。
とくに気にかかる点としては、音楽では随所に存在する転調や和声や表情が切り替わるポイントというか、部位の取扱いで、明暗や景色を変えるなど、曲中の場面転換に対しての注意深さがあまりなく、いつもそのままススッと通過してしまうところに、どうにも物足りないものを覚えます。
こういう要所は音楽を聴く上での大事なツボであるのに、それがとくにマーキングされないままあっけなく通過してしまうのが、信号のない交差点を速度を落とさず走り去るみたいで、これはどの曲を聞いている場合にも共通して感じるところでした。
また、折々にかなり情熱的な弾き方をすることもあるにもかかわらず、終わってみると、さほど情熱的な演奏に接したような気分が残らず、むしろ淡白な印象だけになってしまうあたりは、なんとも不思議でなりません。
どんなに熱っぽく弾いても、結果的にそういうものしか残らないというのは、要するにこの人の本質が淡白な良さにあるということかもしれません。
本当におしゃれな人は、どんなに泥臭くふるまっても、どこかおしゃれなところが顔を覗かせてしまうように。
ガジェヴは、2015年に浜松コンクールで優勝しており、その時からのご縁なのかどうかしらないけれど、ショパン・コンクールのときも私の記憶違いでなければシゲルカワイを弾いていて、その後来日してTVなどに出演した折にもスタジオでSKを弾いていたけれど、今回はいずれもスタインウェイでした。
ほかならぬSKの祖国である日本であるだけに、なんだか不思議でしたが、宗旨変えしたのか、たまたまなのか、はたまた別な事情があるのか…。