ピアノが出てくるという予告に反応して、NHKの『心の糸』というドラマを録画していました。
ところが、内容はてんでマロニエ君の好みではなく、実はまだ最後まで見通してもいません。
主人公の男の子は母親と二人暮らしですが、ピアノが上手く、もっか芸大を目指す高校生で、狭い借家にグランドピアノを置いて練習に励んでいます。
母親はろうあ者で、聞くことも話すこともできないのですが、息子の練習中、床にそっと手を当てて、その振動で息子の弾くピアノを感じ取っています。
母親は息子を立派なピアニストに育てるという一念で、障害者であるにもかかわらず、必死に海産物の工場で身を粉にして働いており、暮らしは決して恵まれてはいません。
そんな中、主人公がピアノのレッスンに行った折、いかにもというツンツンした感じの女の先生が自分のリサイタルのチケットを強制的に買わせるため、各生徒に振り分けているのですが、彼には「(事情を配慮して)普通よりも少なくしてあるから安心して…」といいながら、一枚4000円のチケットをそれでも15枚!渡されます。
主人公はチケット代6万円を先生に払わなくてはならなくなって困り果て、ただでさえ苦労の絶えない母親にそのことを言い出せず、ついアルバイトの募集広告などにも目が止まります。
ところが次の週、主人公がレッスンを休んだために、生徒の身を案じてではなく渡したチケットの件がどうなったかが気になって彼の自宅へ問い合わせのファックスを送り付けます。
それがもとでチケット代が必要なこともレッスンをサボってしまったことも、いっぺんに母親にバレてしまうというシーンがありました。
マロニエ君には、ピアノの先生の悪い面というのが、世間一般でこういうふうに捉えられ、ドラマであるぶん多少の誇張をもって描かれているように思いました。
まあ、これはいささか極端だとは思いますし、リサイタルをするほど「弾ける先生」もめったにいないものですが、それでもある種の核心は突いているように思えました。
しょうもないリサイタルをするような人は、普段だいたい先生をしていて、慢性的に不満を抱え、自己愛と自己顕示欲が強く、人の気持ちも、物事の道理も、社会常識もろくにわからない人物が珍しくなく、発想は常に一方的で、物事を「お互い様」という力学で判断することのできない自己中人間が多いわけです。
リサイタルをするとなれば、自分と関わりのある人間は当然来るものと算段し、そこには基本的に感謝の気持ちも申し訳ないという心遣いもありません。
ピアノが弾けて、生徒の先生で、リサイタルをするのだからエライというわけでしょう。
自分は極力お金は使わず人の為に何かをするということがないのに、他人が自分のためにお金を出したりタダ働きするのは当然という感覚。
そういう社会性の欠落した人物が他人に容赦なく迷惑をかけるという役どころとして、ピアノの先生が起用されたところにプロデューサーの的を得た思惑が感じられ、思わず笑ってしまいました。