ピアニストは世襲?

最新号のクラシック音楽関連の雑誌は、どれもほとんどショパンコンクールを巻頭で特集しています。
どれか一冊は買おうと思って見くらべてみた結果、その名にかけて力の入った特集を組んだと見えて、雑誌ショパンの12月号が最も読み応えがありそうなので、これを買いました。

音楽の友はややおざなりな感じがするし、先月のスタインウェイ特集で印象を良くしていたモーストリー・クラシックは、予想に反して先月ほど充実した特集とは思えなかったので、いずれも立ち読みだけにしました。

ショパンコンクールの結果についてはいまさらどうこう言うつもりはありませんが、ファイナリストのひとりひとりへのインタビューを読んでいると、ちょっと気になる発言がありました。
今回は2位が2人いるのですが、そのうちのひとり、ロシアのルーカス・ゲニューシャスの発言です。

『いろいろな演奏会のお話もいただけて、自分の求めていたものが得られました。僕はこのコンクールに1位をとるためにきたわけでも、膨大な演奏会契約が欲しくてきたわけでもありませんから。それに「2位」のほうが、もしかしたら音楽業界ではより魅力的な位置かもしれない。』

──???
3つの発言はすべてが矛盾しているように感じますし、それなら自分の求めているものとはなんなのでしょう? しかも2位という結果が出たあとから「1位をとるためにきたわけではない」というようなことを未練がましく言うあたりが、こちらからすればいかにも見苦しい。
「膨大な演奏会契約が欲しくてきたわけでもありません」と言ったかと思うと、「2位のほうが、もしかしたら音楽業界ではより魅力的な位置かも」などと、次々に妙なことを言う青年です。

現代では、個々の演奏家が自らの修行とか音楽芸術に没頭することより、わずか20歳の若さで、こういう建前&業界人のようなことを平然と口にすることも珍しくはないのかもしれません。氾濫する情報をもとに手堅いプランを練り、したたかに自分の進む道を計算しているみたいで、あまりいい気はしませんでした。
すでに今後の自分を音楽ビジネスのタレントとして捉えているのか、若いのになんとも抜け目ないというか、こういう言葉を聞くと、すでにこの人のピアノを聴いてみたいという気が起きなくなってしまいます。

実はこの人、かのヴェラ・ゴルノスターエヴァ(モスクワ音楽院の有名な教授)の孫なのだそうで、本人曰く『僕がピアノをはじめたのは、本当に自然の流れでした。親類縁者、過去までさかのぼって見まわして、家族の90%が音楽家です。たぶん、音楽家でないのは今は2人しかいないかな。この状況になると、音楽家にならないほうが難しい。』と自信満々に言っていますが、サーカスの一座じゃあるまいし、マロニエ君は過去の経験から、こういうたぐいの出身の人というのをあまり信用していません。
代々音楽一家というようなところから出てきた人というのは、一見いかにもサラブレットのようですが、実は意外に大した人はいないものです。

これは政治家や俳優でも二世三世というのがもうひとつダメなのと同じ事のような気がします。
たしかに環境の力によって、人よりも優れた教育を早期に効率的に受けるチャンスも多いので、才能があればそこそこには育つのですが、本物の音楽家や天才というのは(ようするに芸術家は)、どこから出てくるかわからない、いってみれば存在そのものが奇跡的なものなのです。
つまり、とくだんの理由や必然性もないところから突然変異のようにして姿を現す本物の才能というのは、やはりそのスケールがまるで違うというのがマロニエ君の見解です。
音楽一家だの政治家一家だのというのは、ほとんど場合、親を追い越すこともできません。

まあそれが通用するのはせいぜい梨園ぐらいなものでしょうが、こちらもいま騒がしいようですね。

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