時流

昨日、とあるショッピングモールに行きました。
ここは福岡のドーム球場の前に位置する中規模の商業施設で、オープンしたての頃は、従来型モールとは一味違う新しい仕立てという感じがありましたが、普段あまり用がないことと腰痛で動けなかったことも重なって、おそらく一年ぶりだったと思います。

立体駐車場から繋がる橋をわたり、モール内3Fに入った瞬間、アッというほど多くのお店の顔ぶれが相当変わってしまっていることに目が点になりました。
単に別の店舗に交代しているというだけでなく、あたりは思い切りよく子供向けの施設などになって、ガラスの中で子どもたちが飛んだりはねたりしていて、それを親御さん達が外からゆったり眺めていたりで、そういう施設がぐんと増えており、併せて子供向けの大手店舗が大きなスペースをしめていたりと、以前とは打って変わったその雰囲気には少なからずショックを受けました。

2F1Fは、まだいくらか以前の姿を留めてはいたけれど、それでもどことなく活気を失っていることを、肌で感じてしまいます。
こうなると悪循環で、いち客の立場で云わせてもらうと、自分に直接関係あるなしにかかわらず、そこに足を向けるには全体的な印象とか雰囲気というのはとても大事ですが、正直いって、今後はよほどのことがない限り行くことはないだろうと思いました。

こうして、はじめは色とりどりに、賑やかに軒を連ねていた店舗は時を経て櫛の歯が欠けるように消えてゆき、オープン時にみなぎっていた全体の調子が崩れていくんだろうと思います。
とくにキッズ向けの運動や、遊戯や、なにか学ぶための施設というのは、需要があるのか大事かもしれないけれど、そういうものが増えていくと一般客にとっては甚だ魅力を欠くものとなり、トータルでの客足は遠ざかるでしょう。

ビジネスだから採算が合わなければ撤退するのは当然だとしても、ちょっとした雰囲気が違ってくることで、負のスパイラルに陥りそうで、別に私は関係者でもなんでもないものの、どこか寂しい気分を引きずりながら店をあとにしました。
あまりにも時代が急速に変化して、情報だけがやみくもに氾濫すると、人は自衛本能から様子見に陥るのかもしれません。

テナントのひとつである有名な楽器店も、びっしりと商品が並んでいるのが却って虚しく目に映り、ここに入店して何かを買うというのは、相当にハードルが高いことのように見えてしまいました。

数年前だったか、配信サービスの発達によってCDが売れないと聞いた時は愕然としたものですが、最近はさらに時代がもう一回転して、新聞などの従来型のメディアが下火になり、かくいう自分自身にもその変化が起こっています。
数十年と取り続けた新聞もやめてはや数年が経つけれど、困ることは何もなく、安くもない購読料を払いながら毎日積み上がる紙の山の始末まで考えれば、もう元に戻る気にはなりません。
それでなくとも、新聞など既存のメディアへに対する信頼の失墜は甚だしいものがあり、挽回は難しいでしょう。

ニュースはネットなどから拾って目を通せば済むこととしても、さて音楽となると、これが配信などによってただ消費されていくというのじゃ困ると思うのですが、しかし、これだけの勢いで世の中が流れている以上、自然災害に為す術がないように、それを憂いてみたところでどうなるものでもありません。

少し前までは、アコースティックピアノを買おうとしたら、周囲から奇異の目で見られるとか、電子ピアノをピアノだと思っている、というような話に、半ば呆然とし、大いに憤慨嘆息したものですが、いまなら「まあそうだろうなぁ」と思えるところまで時流とやらに飼い慣らされてしまったように思えるこのごろです。

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