
三膳知枝さんというピアニストのCDを6点まとめて手にする幸運に恵まれました。
親しく交際させていただいている技術者Aさんに会ったら、ふいに輪ゴムでくくられたCDの束を渡されました。
「Yさん(日本のご高齢のピアニスト)が気に入られた人だそうで、よかったら聴いてみてください」といわれただけで、これという細かい説明もないのがこの方のいつものスタイルで、くだくだしい説明などはされません。
それでなくても、私はピアノのCDなら喜んで聴くほうだからありがたく受け取って、そのあとはすぐに他の話題になりました。
その日の夜、ハイドンのソナタから聴き始めました。
たちまち心地好いピアノの美音が流れだし、こまやかな神経のかよった上質な演奏というのが第一印象。
音と音とが緻密に機能してゆくところに、目の詰まった織物みたいな心地よさがあり、そもそもハイドンで聴かせるというのは個人的には至難なことだと思っているだけに、聴きながらしだいに興味が高まりました。
三膳(みよし)さんは新潟出身で、桐朋からロシア・グネーシン音楽院(キーシンやアヴデーエワの学んだ学校)へ留学されたようですが、まずもって興味をそそられたことはバッハ、スカルラッティ、ハイドン、スクリャービンという選曲と、プロフィールの扱いでした。
バッハは平均律全曲とゴルトベルク、スカルラッティのソナタ集、ハイドンのソナタ集、スクリャービン作曲集で、各CDはひとりの作曲家の作品でまとめられています。
プロフィールは、いつぞや書いたような大仰なスタイルとは真逆の、ライナーノートの末尾に1ページにも充たないぐらいに要点のみが簡潔にまとめられているだけで、まず演奏を聴いて欲しいというまっすぐな姿勢を物語っているようでした。
やはりプロフィールは簡潔最低限に済ませるほうが、遥かに品格があると再認識しました。
次に聴いたのはバッハの平均律でしたが、名うての名盤が数多くひしめくこの作品ですが、新たな感銘をもって心ゆくまで楽しむことができました。
隅々まで掃除の行き届いた、趣味の良い部屋に案内されたような気持ちの良さと、雑念なくピアニストが作品と向き合っている世界が目の前にあり、こちらはそっと窓辺から耳を傾けているような感覚がありました。
自分の信じるものに従っている演奏がそこにあるだけで、良い意味でさっぱりしているから、辛気くさい主張とか自説の押し付けなども一切なく、その無欲にむしろ惹きつけられました。
世俗にまみれず、自分のやりたいことをやっているピアニストというものを久しぶりに聴いた気がします。
演奏を通じて、この方の深い教養や音楽に対する真摯な姿勢にふれるようで、今どきの最もスポットライトのあたる売れっ子のタワマンエリアみたいなところを離れると、稀に、このように音楽への奉仕を喜びとする方もおられるということを知り、その事実にじわりと胸打をたれました。
集中しているけれど自然な呼吸に従い、淡々としているけれど枯淡でもなく、そこがこの人の魅力でしょうか。
どれもが凛としていて筋道が通っており、信頼を寄せて耳を傾けることができることは快適だし、派手というのとは違うけれど、澄んだ秋の空気のようなくっきりとした美しさに浸ることができるため、何度も繰り返し聴きたくなる演奏でした。
視界を定めて、迷いなく演奏に打ち込むことで、おのずと質の高いものになるということでしょうか。
日本やドイツでは一流の職人というものに、一種の高いリスペクトがありますが、それは高度な専門性に信頼を置くからだと思われ、故に貴重でありがたいもののように感じ人は少なくないように思います。
少し残念だったのは、ゴルトベルク変奏曲はほんの少し生煮えのところがある印象が残り、これが平均律並のクオリティに迫ったらどんなに素晴らしいかと欲が出ますが、とにかく素晴らしいピアニストをまたひとり知ることができて感謝です。
スクリャービンは、ほの暗い情念の奔流をぶつけるような新劇の演技みたいな演奏の多い中、あくまで自己を見失わず、要らざる演技をせず、ときに平坦でもある演奏が却って楽しめました。