新聞の文化欄によると、今は亡き指揮界の巨星バーンスタインとカラヤンは、没後20年を経て尚もライバル関係にあるのだそうです。
もちろん生前そうであったのは世界中がよく知るところですが、死後これだけの年月を経てなおもCDが確実に売れ続けるというのはやはり並大抵の事ではありませんね。
生前のライバル形勢としては、ヨーロッパのカラヤンに対して、本来、西洋音楽の分野では真っ向勝負は不利なはずのアメリカの巨匠として、バーンスタインは奇蹟的に大きな存在だったように思います。
二人に共通しているのは活躍した時代と、指揮者という最もシンボリックな地位、並外れたピアノの腕前、そして両者共に容姿にまで恵まれ、存在そのものもスター性を通り越したカリスマ性のようなものが備わっていたことなどでしょうね。それがヨーロッパとアメリカ、それぞれの象徴的存在として対峙したのですから、もうこれはどうにもならない宿命だったような気がします。
これだけの圧倒的な大物になると、熱烈なファンがいるいっぽうで嫌いという人の数も世界的な規模でいるわけで、マロニエ君も実は両者共にあまり好きではありません。とくにバーンスタインはどうしてもその音楽に馴染めず、指揮をするときのあのハリウッド俳優のようなアメリカアメリカしたねちゃねちゃとした姿までゾゾッとしてしまいます。
ふと思い出したのですがバーンスタインが手兵ニューヨークフィルを相手に、自身がピアノを弾いてガーシュインのラプソディー・イン・ブルーを弾いている映像があり、ここでなんとベヒシュタインを使っているのは見ものです。
作曲者、オーケストラ、指揮者、ピアニストと、このアメリカのづくしみたいな世界のまっただ中に、突如ベヒシュタインが置かれ、これ以上ないようなドイツピアノの爆音を鳴り響かせながらガーシュインの世界を骨太に描きます。
ドイツピアノのいかにも男性的な無骨な響きがオーケストラをバックに轟くのはなかなかの快感です。
いっぽうのカラヤンはしかし、コンサートでは決してピアノは弾きませんでしたが、その膨大な仕事量は驚くに値するものでしょう。
カラヤンについては一時ほど嫌いではなくなっているマロニエ君なのですが、それはあの明解で華麗な演奏の見事さもさることながら、あの時代にだけあったゴージャスな時代の息吹をカラヤンの演奏を通じて追体験できるからです。70年代に絶頂期を迎えるひとつの時代の波というのは、まことに豪奢で華麗で一流どころが勢揃いして、一流のものとそれ以外がはっきりと区分けされていて、あれはあれで嫌いではありませんでした。
彼らのCDは最近になって次々にセット化・ボックス化されて割安価格で発売されるので、安く手に入れて網羅的に聴くことができるのは、ありがたいようなもったいないような話です。
マロニエ君も以前カラヤンのCDのボックス物をいくつか購入しましたが、4セット合計で200枚!を超えるCDがごく短期間のうちに手に入ったものだから、いやはや一通り聴くだけでも大変でした。それでも聴いたのは7割ぐらいで、すべてはまだ聴きおおせていません。
バーンスタインも同様のものが出てきているようですが、さすがにこちらは遠慮しようと思います。