ルーツは美しい音?

関東にあるヨーロッパピアノの輸入販売会社が発行する情報誌が久々に送られてきました。
なんでも、ずいぶん長いこと休刊していたものが、このほど復活したのだそうです。

読んでいると、そこに興味深い記事がありました。
一人の調律師の問題提起です。
調律師が10人いれば10の音色ができるといわれるが、それは何故か。そしてその原因はどこにあるのか。
うなりの聴き方、ハンマーの動かし方など、この問題を突きとめようという試みです。

ただ音を合わせただけでも、調律師には結果的に固有の音色というものがあるわけで、その不思議に迫ろうということのようです。

調律の作業では調律師の左右両手にそれぞれの役目があり、左手は鍵盤を叩いて音を出し、その音を聞きながら右手がチューニングハンマーを動かして音を合わせていくというものです。

そこで、5人の調律師が集まってひとつの実験をしたそうです。
(1)1人がチューニングハンマーを担当し、残る4人がそれぞれ音を出す。
(2)1人が音を出し、残る4人がそれぞれチューニングハンマーを動かす。

果たしてその結果は、(1)の4人が音を出す場合に、4人それぞれの音になったというのですから、これはすごい実験結果だとマロニエ君も思わず唸ってしまいました。

このレポートを書いた技術者の方によると、この結果を受けて、調律師が出す良い音とは、突き詰めればピアノを弾く人の良い音の出し方とイコールでなければならないということがわかり、そこに深い衝撃を受けたということでした。
つまり調律師は左手で良い音が出せなければ、いかにチューニングハンマーを持つ右手のテクニックが優れていてもダメなんだということが結論づけられていました。
その結果、その人はいい音を出すためにピアノ奏法をまじめに学ぶレッスンを受けられているとのことです。
まさに技術者らしい理詰めの思考ですね。

言われてみればなるほどという話で、これにはマロニエ君もきわめて新鮮な衝撃を受けたわけです。
経験的にも、調律の時にしょぼしょぼした音を出す人はあまり上手いと思ったことがないですし、逆にあまりにガンガンやる人は音色のニュアンスに乏しいことが多いような気がします。

また、この話は、ピアノの奏法や音楽性にも当てはまることだとも思いました。

いくら指が達者に動いて難しい曲が弾ける人でも、美しい音とそうでない音を聞きわける耳を持っていなければ、そもそも美しい音を出そうという意志も意欲も生まれず、そのためのテクニックにも磨きがかかりません。
より正確に言うなら、音楽が必要としている音が出せたときは、その先の演奏が有機的に乗ってくるものですし、それに反応していろいろな音楽的な展開が起こります。

ピアノを弾く上で、必要な音を必要な場所で適切に出せることは非常に重要かつ高度なテクニックなのですが、なかなかそれを理解し認識している人は少ないようです。
ピアニストでも音にかなり無頓着な人は少なくありませんし、さらにそれがアマチュアになるといよいよ拍車がかかり、ピアノを結局のところ指先の難しいスポーツのように捉えて、ただ難曲を表面上達者に弾くことに目標をおいている人が多いのは否定できません。
しかし、ピアノを弾く醍醐味はその先にこそあるのに、なんともももったいないことだと思います。

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