クリスマスの予定

昔ほどではないにせよ、巷ではやはり12月24/25日はクリスマスイブとクリスマスということになっていますが、いかがお過ごしでしょう。
「なっています」というのもおかしな言い方ですが、それは大半の人にとって、いまどきクリスマスなんてほとんどなんの関係のない2日間ですし、大半の日本人はキリスト教徒でもないので、ますます他人事になった観があります。

むしろマロニエ君が子供のころから学生時代ぐらいまでのほうが、宗教上の意味などとはまるで無関係に「クリスマスは楽しい特別な日」というイメージがありました。
そのころはクリスマスイブなどは、恋人とどうやって過ごすかということが、なによりも重要なことのように捉えられている風潮がかなり強くあり、彼氏彼女のいない人は、なんとしてもクリスマスまでに相手を探すというような意気込みで、バカバカしいけれども、とにかく大きな節目というかイベント日であったように記憶しています。

そのような流れで、クリスマスは最低でも家族、理想的には恋人と過ごすものという暗黙の認識が、多くの日本人の、とりわけ若い世代に浸透し、深く根をおろしたのはバブル崩壊前あたりまでのある時期だったように思います。
商業界もこの時期を絶好のビジネスチャンスと捉えるのは至極当然で、仏教徒もなにも一緒くたになってクリスマスという名の二日間を迎えていましたし、カップルはプレゼントの交換から、ホテルや高級レストランのクリスマスディナーなどの予約取りに熱中、ひどいのになると半年も前から予約獲得すべく大真面目に挑んでいた青年などもいたのです。

その風潮も極まれば、自分の予定表のクリスマスイブが空欄というのは相当の恥辱で、人として恥ずかしいことであるかのように追いつめられて、必死にその空欄を埋めることに奔走していた女性などもウヨウヨしていました。

それでも尚、この時期に恋人や特定の相手(すなわちクリスマスをロマンティックに過ごす相手)のいない人は、覚悟を決めてじっと息を殺すように声も立てず、ひたすらこの時期が通り過ぎるのを待ちました。まるで恋人達だけのためにある神聖で美しい時期の、自分は部外者であるかのように。
今から考えると笑ってしまうような話ですが、ある意味では今なんかよりもよほどみんな純情な面があったし、社会のほうもどことなくこんなことをやっていられた余裕があったといえるかもしれませんね。

さて、昔からこういう風潮には、どうにも反抗しなくてはいられない性格のマロニエ君は、あえてこの季節に仲間内で集まったり出かけたりする計画を立てることに打って出ました。恋人と過ごすのが大事な人はお呼びじゃない、お暇な人はどうぞ!というわけです。
するとどうでしょう、この季節はみんな忙しいものだとばかり思っていたら、ぞくぞくと参加者が現れて、会は大盛況となりました。しかもその空白を埋めてくれたということで感謝までされて、それみたことかと大満足でした。
いらい毎年のように続けていましたが、要するに大半の人は、この二日間は普段よりもずっと都合がつきやすいということまで判明しました。暮れの忙しい時期に、ぽんとブラックホールのようにここは空いているのです。

現在でもこの名残だけはまだあるようで、自分はともかく他の人はクリスマスは忙しいもの、予定が入っているものとして遠慮をする心理が働き、決してその日だけは誘いをかけないし、電話さえもしないという、これまた暗黙の了解が多くの人にはあるようです。
予定がないのは自分だけという思いから尻込みし、気を遣っているつもりのようです。
マロニエ君の経験でも、友人知人なども普段より連絡を手控えてくれているようです──全然その必要はないのに。

今年あたり、久しぶりにこのクリスマス招集をピアノサークルの面々にでもかけてみようかと思っていましたが、ばたばたしているうちに計画が立てきれず、つい当日を迎えてしまいました。

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