思慮なき駐車場

暮れも押し詰まって、街中どこに行っても人で溢れ、道路は車で慢性渋滞の毎日です。
いつも行きつけのスーパーも例外ではなく、そこそこの広さのある駐車場もさすがに満車状態で、空きスペースを求めてぐるぐるさまよっている車もあれば、じっと通路脇に停車して空くのを待っている車もあります。

こんなとき自分も空きを探しつつ、人の行動をみていると理解に苦しむというか、笑ってしまうようなことが多々あるものです。
例えば、駐車場の中は一方通行なのですが、一台出そうな車があると、すぐ前で待機していた車はすかさずその後に駐車しようと色めき立ってくるのがわかります。とくに混み合うときはうかうかしていると、後ろから来た車にまんまと入れられてしまうことがあるので、必死なのはとりあえずわかります。

しかし、待っている場所が、これから出ていく車が通り抜けていくべき通路上なので、じゃまになって出るに出られない状態になっています。待っている車は空いたらすかさずそこにバックで入れようと身構えており、少しでも先へ移動すると後の車にとられそうになると不安なのか、ともかく待っている場所が到底まずいことになかなか気付きません。
やむなく少し前にずれてやっとのことでひとつ空きができると、あまりに焦って止めようとするものだから、てんでバック開始の場所と方角が悪くて、もう車はメチャメチャな方角を向いて収拾がつかなくなります。

ただ単にバックして、すみやかに空きスペースに車を入れるという、それだけの行為が、思いもよらない大ごとに発展し、切り返しに切り返しを重ねて、見ているこっちが疲れるほどの苦心惨憺の末に、ようやく車は狙った場所に収まりご同慶の至りというところですが、あれではもうへとへとで買い物をするエネルギーが残っているだろうかと心配になってしまいます。

別のケースでは、駐車場出口のすぐ脇の駐車スペースに空きができたところ、折良くやってきた軽自動車が「おお、ラッキー!」とばかりにそこに入れようと思ったらしいのですが、なぜかこれまたわざわざ苦労して、バック駐車が始まります。しかしそこは進行方向にむかって自然に前向きに止められる場所であるばかりか、出るときのことを考えるなら、頭から突っ込んでおいたほうが、出るときもそのままの態勢でバックすれば、車は少し向きを変えるだけで自然に出口を向く態勢になるのですが、不思議にバックで駐車することにこだわりがあるようです。
そうまでしてバックで入れても、今度は出るときにまた何度も切り返しをしなくてはならなくなるのが明白なのですが、どうしてそんな単純なことに気が付かないのか、がむしゃらにバック駐車をやっているのは、一途というべきか、まったくもうご苦労様というほかありません。

そうかと思うと、今度はマロニエ君が買い物がすんで出口の車列に並んでいると、横から場内を逆走してきたおばさんが無理矢理にマロニエ君の前に割り込もうとします。
一周して列の最後尾に付くのがよほど嫌だったのでしょうが、いやに頑張るので根負けして入れてやりました。

全般的に言えることは、我欲だけが一人歩きして、ちっとも全体のことや合理的な判断をしようという思考がまったく働いていないように感じます。自分のこと、たった今のこと、目の前のこと、人に場所を取られるな、駐車はバックで、というようなことしか意識がないようで、それらを統括すべき思考力は完全に停止しているようです。

こういうおばさんやおねえさん達ですが、いったん店内に入ると、まるで別人のようにあれこれと知恵をめぐらせて賢い買い物をするのかと思うと、無性に滑稽な気分になりました。

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