いつもながらマロニエ君のお正月はこれといって行事らしい行事もありません。
そんな中でささやかな年頭行事としては、元日に最初に音を出すCDは何にするかということで、毎年ちょっとだけ厳粛な気分で考えます。
自分の部屋では時間のある限り音楽漬けのマロニエ君としては、やはり何を聴いて一年をスタートさせるかは、どうでもいいようでよくない事なのです、気分的に。
昨年はドビュッシーの交響詩「海」で一年の夜明を飾ってスタートしましたが、今年はもう少しガチッとしたもので行きたいイメージでした。
こういうときにクラシック音楽というのは、あまりにも曲が無尽蔵にありすぎて、逆にひとつを選ぶというのは大変です。とりあえず年のはじめということで、壮大な調性であるハ長調で始まりたいと思いましたが、だからといってあまりに仰々しいものも、これまたなんとなく気分じゃありません。
それで最終的に決まったのはベートーヴェンの交響曲第1番 作品21。
指揮者とオケを何にするかも悩みどころでしたが、定番であるフルトヴェングラーは、あまりにも定番過ぎることと、マロニエ君の持っているCDは音質がかなり劣りボツ。イッセルシュテット、ヴァント、アバド、その他いろいろと考えてみた末、年の初めには適度に華麗でストレートな演奏が好ましく思われ、このところ見直しているカラヤン/ベルリンフィルにしました。
第一楽章の短い序章に続いて、開始される第一主題の高らかな幕開け、グングンと前に進む推進力は年の初めに相応しく満足できましたし、第9で年末を過ごす日本人には、振り出しにリセットするような点でも好都合に思われました。
カラヤン/ベルリンフィルの音というのは独特で、非常にゴージャスでありながらまろやかです。
音楽的には賛否両論ですが、一貫した迷いのない明解な方向性を持っているという点では聴いていて安心感があります。もちろん現在の潮流とも違うし、真の深みや芸術性となると疑問の余地もありますが、イベント的娯楽的な用い方にはカラヤンは打ってつけです。
現今の演奏が、みんなとても上手いんだけれども、どこかアカデミックな要素を含でいるかのごとく振る舞いながら、実は商業主義的という矛盾するへんてこりんなもので、どうもストレートに楽しめないものになってくると、却ってカラヤンのような昔の帝王の演奏というのは単純明快で心地良いのです。
もちろん不純さという点においては、カラヤンは人格的に人後に落ちない音楽家ですが、それでも彼の音楽そのものはある種の純粋性と一本貫かれたものがあるのです。人はそれを通俗と呼ぶかもしれませんが、聴く者をとりあえず満腹にしてくれるという点で、マロニエ君からみるとカラヤンは今日では却ってデパートの買い物のようなホッとできるものを提供してくれるような気がしています。
アヴデーエヴァのショパンに象徴されるように、最近の若い演奏家はどこか不可解なものを感じさせすぎるので、もういいかげん彼らの演奏を追いかけるのも疲れてきたように思います。
べつに音楽の専門家でもなんでもないのだから、もっと自分の好みに忠実に、好きなものだけを聴いて音楽本来の魅力に浸っていたいと思います。
こんなことを考えていると、なんだか急にベームのフィガロなんかが聴きたくなってきます。