キャンセルの思い出

きのうNHKホールのことでホロヴィッツとミケランジェリという名前を出したことで思い出しましたが、マロニエ君はコンサートの会場玄関まで行っておきながら、いきなりの公演キャンセルに遭遇し、相当楽しみにしていたリサイタルを聴き逃した苦い思い出が2つあります。

ひとつはミケランジェリです。
もう20年以上も前のこと、ミケランジェリをついに生で聴けるというので、まさに意気揚々と会場へ赴いたところ、あたりが不思議なほど静かでちょっとした違和感を覚えました。見るとNHKホールの玄関に張り紙がしてあって、何人もの人達がそれをじっと見上げていました。
詳しい文言は忘れましたが、大意は「ミケランジェリ氏の納得できるコンディションが整えられない為、やむを得ず本日のリサイタルは中止と決定されました。誠に申し訳ありません云々」というような意味でした。
茫然自失とはこのことで、目の前がいきなりポッカリと空洞になったようなあの気分は今も忘れられません。当時からミケランジェリはキャンセル率が高いことで有名でしたが、ああこういうことか…とそれが我が身に降りかかった現実を認識しつつふらふらと引き返すしかなく、伯母夫婦と仕方なく食事をして帰ったことを覚えています。

あとから耳にした話では、わざわざドイツから持ってきたスタインウェイの調整に満足がいかず、時間的に解決できる見通しがたたなかったために、ミケランジェリが当夜の演奏を拒否したということでしたが、数日後のリサイタルは実行されたようでした。
もうひとつはアルゲリッチ。
2000年ごろのこと、すっかりソロリサイタルをしなくなったアルゲリッチが久々にサントリーホールでそれをやるということで、争奪戦の末にチケットを取り、この頃は東京を引き払っていたので、そのために飛行機で上京し、サントリーホールなのでアークヒルズ内の全日空ホテルを取って挑んだリサイタルでしたが、到着後ホテルの部屋で一息ついた後、期待に胸を膨らませながらおもむろに会場へ行ったら、開場時間を過ぎているというのに玄関は閉ざされ、その前に江戸時代の幕府のお布令のように一枚の紙が張り出してありました。
なんでもアルゲリッチが風邪をひいてしまい、高熱があり、医者の判断もあって、今日と明日のリサイタルは中止となった旨の内容でした。

まさしく目の前が真っ暗になり、もしや自分はこんなことのためにお金と時間と労力を使って、飛行機に乗り、ホテルに泊まる準備までして今ここへやって来たのかと思うと、もう情けなくてその場に座り込みたい気分でした。

主催者によるチケット代の払い戻しと、次の公演が決定したときには優先的にチケットを取るための手続きが小ホール(サントリーの小ホールは固定シートのないホテルの宴会場のようなところ)でおこなわれており、意識は半ば遠退くような状態のままその手続きを機械的にして、トボトボとホテルの部屋に戻りました。
しばし呆然とした後、友人に電話をかけまくり、そのうちの一人が車で迎えに来てくれて、どこに行ったかも忘れましたが食事に行って、精一杯の憂さ晴らしをするしかなかった苦い経験でした。

その半年後か翌年(詳しくは忘れましたが)、アルゲリッチは会場をすみだトリフォニーホールに場所を変えてついにソロ演奏をおこないましたが、このときには優先的にチケットが購入できる連絡は来たものの、まだ前回の徒労のショックが癒えておらず、しかもソロはコンサートの前半のみということで、この時はさすがにまた行こうという気は起きませんでした。

ところが、このときのソロ演奏のライブ録音が、なんと主催者の自主制作盤としてCD化され、しかも許しがたいことには特定の人達にだけタダで配られ、一般発売はまったくされなかったために、これがまたマニア垂涎の貴重品としてヤフーオークションなどで途方もない高値をつけることになりました。
滅多に出てはきませんでしたが、出品されるやすごい金額で落札されていき、なんとしても聴きたいという抑えがたい思いばかりが募りました。ついにアルゲリッチの好きな友人と共同購入しようということになって入札をして、たった1枚のCDを7万円強で手に入れるという、いま考えると暴挙というかアホみたいなことをしてしまいました。

この頃に較べたら、マロニエ君も年を取ってずいぶんおとなしくなったものだと思います。

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