みんなのショパン

昨年10月にNHKで放映された「みんなのショパン」という番組が、正月番組のアンコール用に再編成され、約4時間半が3分割されて再放送されました。
昨年観ていなかったので、これはチャンスとばかりに録画しました。

そのうちの2つまで見たのですが、笑ってしまったのはショパンの生前、楽譜が出版されるときに出版社が勝手に曲に名前を付けて売り出そうとするので、ショパンはそれが許せなくて怒り心頭だったということでした。

それもそのはず、作品9のノクターン(第1番〜第3番)は「セーヌのさざめき」とかいう陳腐な名前を付けられそうになったとかで、気分としてはまったくわからないでもないものの、つくづくそんな恥ずかしい名前にならなくてよかったと思うばかりです。
名前というのはあったほうが一般ウケはするのでしょうから、少しでも売れて欲しい出版社としてはそういう小細工をしたいのはわかりますが、しかしかえって曲のイメージが限定され、作品本来の価値や広がりを妨げるようになるでしょう。

もう一つショパンが激怒したというのがあって、スケルツォの第1番を「地獄の宴」とされそうになったらしく、これはいくらなんでもひどいですね。たしかに冒頭の高音部の強烈な和音を皮切りに下から次々と湧き起こってくる激情の連続は不気味といえば不気味ですが、では中間部のこの世のものとも思えないあの美しいポーランドの歌の旋律はどう説明するのだろうかと思います。地獄の対極である天国でしょうか。

こんな調子なら、スケルツォは有名な第2番冒頭のアルペジョなども「悪魔の宴」とでも言えそうですし、激しいオクターブの三番も「恐怖の宴」とでもなりそうで、かろうじて4番だけがスリラー系から免れそうです。

スタジオにはピアニストのお歴々も座っていらっしゃいましたが、ではその「地獄の宴」の冒頭部分をちょっと弾いてみてくださいといわれて、ピアニストの山本貴志氏がピアノの前に進み出ました。するといきなりすさまじい前傾姿勢と表情でこの曲の冒頭を弾きはじめ、てっきり「地獄の宴」に似つかわしいパフォーマンスで視聴者にサービスしているのかと思いました。
というのも、実はマロニエ君は山本貴志氏は映像を見るのは初めてだったのです。

ところがその後で遺作のノクターンを通して弾きましたが、たったあれっぽっちの曲を弾くにも「恐怖の宴」のときと変わらない(すごく真剣なのでしょうけれど)、今にも叫び出さんばかりの嶮しい表情で、まるで曲に挑みかからんばかりのその迫真の姿は、どうにも笑いをこらえることができませんでした。

背中はおばあさんのように曲がり、その背中より顔のほうが低いぐらいの姿勢ですから、ともかく尋常なものではありません。口や鼻はほとんど手の甲に触れんばかりで、ずっと必死の形相ですからお腹でもこわして苦しんでいるようです。鍵盤蓋がなかったら、アクションの中へスポッと頭が入っていくみたいでした。
ところが、いったんピアノを離れると、憑きものが落ちたように穏やかな笑顔が魅力的な青年でした。

これとは対照的に、バラードやエチュードを弾いた横山幸雄氏は、淡々と、作品の細部に拘泥することなく、しかもやたらハイスピードで飛ばしまくりです。でもすごく汗っかきみたいですね。

ちょっといただけなかったのは、華道家とかいう、えらく地味で和風な顔なのに髪だけは長い金髪の不思議な御仁で、出てくるなりあたり構わず猛烈にしゃべりまくり、明らかに浮いてしまっているのが生放送なぶん隠せません。
おじさんの自己顕示欲とおばさんの逞しさの両方を兼ね備えているようでしたが、司会の女性が明らかにこの人を無視して番組を進行させたのは拍手ものでした。

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