競争心?

昨日のブログを書いてみてふと思ったのですが、常日ごろ自分のあまり意識していなかった事実に気が付きました。

マロニエ君はつまらないことで憤慨することは多いものの、人との競争心はあまりなく、むしろ必要量さえも欠落しているというか、かなり弱い方だと思っています。
そのせいで人生も負け組に甘んじているわけで、人との競争心がエネルギーとなって何かに挑戦したり奮起しようというようなガッツに欠けるのは事実ですし、この「ぴあのピア」の立ち上がりが遅いのも、ひとつにはそのせいだろうとも思っています。

でも、そんな自分にもやっぱり競争心というのは探せばあるようで、それが自分の職業とか人生設計、せめてピアノとかならまだ良かったのですが、そっちはからきしダメでかけらもありません。
では、何に対して競争心があるのかというと、ほとんどバカバカしいとしか言いようのない駐車場の場所取りとか、出入口のちょっとした順番みたいなものにはこれがあることにハッと気付き、そういう自分を認識できたことは思いがけないことでした。
むろん、つくづくバカで幼児性だなあと思いますが。

考えてみると車の多い駐車場などに行くと、条件反射的に俄然自分が燃えてきているのが、静かに振り返ってみたらわかりましたし、やみくもに頑張ろうとする自分をそこに見出すことができるのは、大いなる発見でしたが、なんとも滑稽でもあります。
駐車スペースの場所取りなどは、ほとんど無意識のうちにこれを「戦い」だと思っていますし、それは他のことのように投げ出すことも避けることも、いち早くあきらめることもなく、一人前に社会参加して自分も互角に他者と戦っていることに気が付きました。

車の運転にもそういうところがあって、変な割り込みなどをされるとか前の車がトロい走り方をしていることに関しては、他の事のように寛容ではいられません。車線の多い道路では、いかに自分だけが賢く先まで見通しを立てて、車線を選びながらいち早く走り抜けることが出来るかを、必要以上にいつも情熱的に考えてしまいます。

その状態に突入したときの緊張と、上手くいったときの過剰な喜びは、そのなによりの証拠だと思います。
なぜそうなのかは自分でもさっぱりわかりませんが、きっと遺伝子の中にポロンと組み込まれているのだろうと思います。とはいっても両親共にまったくそういう性質ではないんですけどもね。

むかし「ハンドルを握ると人が変わる」という言葉がありましたが、もしかしたらその一種かもしれません。
だから、昨日のように一回の買い物で、駐車場内で二度おいしいことがあると、尋常ではない喜びを覚えるのでしょう。
たしかに似たようなことをマロニエ君ほど喜ぶ人は他はあまりいないようにも思えます。

まあ、競争心といえばまだいっぱしですが、ただ単に幼稚というだけの事かもしれませんが。
こんなくだらないことでも本人にしてみれば、自分の中で競争心がちゃんと機能しているということを知ったという点ではちょっと嬉しいのですが。

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