クン付けサン付け

テレビなどでよく耳にすることですが、すでに若くして一芸に秀で、社会的にも認知された人物に対して、まわりの人間が自分のほうがただ年長というだけで、先輩ぶった上から目線の呼びかけ方やトークをするのは基本的に好きではありません。

もちろん長幼の序は儒教精神の大切な概念ですが、それを目的外に乱用悪用するのはどうかと思います。
もともとこの傾向の祖は、現東京都知事の石原慎太郎氏であったように思うのですが、自分の生年月日を根拠に小泉さんを現役総理の時代から「純ちゃんは…」とコメントし、彼はありとあらゆる政府の要人を「クン」呼ばわりします。

こういうちょっとした合法的無礼行為と悪習はあっという間に巷に広まり、スポーツ選手あがりの解説員などは、時代が違っただけで自分よりもはるかに上位のスター選手であっても、年長を盾にして上から「クン」付けで呼び始めました。

音楽の世界にもそれは伝染病のように広がり、多くの関係者などは(単なる雇われ人まで)わざとのように例えば「辻井クン」と彼を必要以上に目下扱いして、僅かでも一瞬でも自分が上に位置するという物言いをして快感を得ているように見えてしまいます。
マロニエ君のまわりでも留学帰りの若いピアニストなどを、大した仲でもないくせに「クン」で呼ぶ人のなんと多いことか! 相手が若くして立派になればなるほど、その人をクン付けで呼ぶことに、かすかな快感と復讐の念を働かせているようにしか見えません。
極めて偏狭かつ無教養が生み出す、いわば人間の狡猾な部分を見るようです。

とくに相手の親に対してまで本人をクン付けで呼ぶのは、端から見てるとただ単にその人が嫌な感じにしか見えないものですが、ご当人はまるで「まだまだ私から見ればただの若者としか捉えていないよ」「これっぽっちも恐れ入ってはいないんだよ」といういじわるなメッセージが込められているかのようです。
自分を大きく見せようという心理でクンづけで呼んでいるその人が、しかし却って心の狭いコンプレックスの塊のようにしか見えません。

テレビなどでも相手が大物だったり有名人だったりすればするほど、あえてクン付けで呼んでいるのは、自分が同等もしくはその上にいるんだとアピールしているようで、なんとも浅ましい人物にしか見えません。
クン付けでサマになるのは、せいぜい昔の学校の先生とか、同級生などでないとダメだと思います。

そうかと思うと、逆で驚くのは芸能界などです。
昔は俳優でも芸能人でも芸人でも、呼び捨てにするのは当たり前でした。
これは別に相手を見下しているわけではなく、有名人というものは一般人からみれば直接お付き合いする生きた人間関係の対象ではなく、ただ単に名前を覚えてそれを口にする、そういう単純なものでした。
したがって失礼でもなんでもない単なる慣習だったはずです。

それが今では誰でも彼でも不気味なほどサン付けで呼ばれるのが義務化されているようです。
芸能界は異常なほどお互いをサンもしくは年下の場合はクン/ちゃんで呼び合うことが慣習化され、その名がクイズの答えであっても決して手を抜かないその徹底ぶりは、まるで軍隊みたいです。

とくにお笑い芸人などはサンをつけたその時点でもはやお笑いではなくなります。
明石家さんまでもビートたけしでも、さんま、たけし、と言う対象であってはじめて笑えるのであって、いちいち「さんまさん」「たけしさん」では、笑ってやる気にもなれません。

ではよほど礼儀正しく丁寧なのかと思えば、皇室報道などではその言葉遣いの非礼で出鱈目なことなどは呆れるばかりです。

現代はなんでも平等の権利の建前だけを、状況や事柄に関わりなく振りかざす歪な時代で、もはやTPOもなく、日本語の絶妙のセンスなどは死に絶えたも同然な気がします。

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