明日はピアノサークル

まだ先だと思っていたピアノサークルの定例会がどんどん近づき、ついに明日になりました。
今回も小品を一曲弾くつもりにしていますが、やはり緊張の前倒しというか、やはりどこかに憂鬱な意識があって、それが終わることに目下の目標があるような気分であることは否めません。

人前演奏が苦手で、昨年はとうとう苦痛の域まで達したためにいちど見学参加したことがありました。
自分が弾かなくて良いというのは、それはもう確かに気楽で、表向きはのびのびと快適に過ごすことができました。
しかし、ではそれで心底楽しめたのかといえば、それはどうも微妙でした。

人が次々にピアノを弾いているところを見ていると、やっぱり自分も弾きたくなってくる条件反射みたいなものが間違いなく自分の心の内にあるらしいことにも少し気が付きました。
まあ、テレビで美味しいものの番組などやっていると、思わずお腹が空くようなものでしょう。

「人前では弾きたくないが、ピアノそれ自体は触発されて弾きたくなってくる」というわけです。
それとピアノサークルに参加するということは、たとえ毎回必ずではなくていいから、やはり自分も演奏参加してこそ、こうした集まりに名を連ねる根本的な意義があるような気がします。
上手くは言えませんが、やはり一度はピアノの前に進み出て、同じ苦楽を共にするということにでもなるのでしょうか?

そういうことを考えるようになって前回からまた少し弾くようになり、今回も定例会を目前に緊張を増しているところです。
そのかわり、できるだけ自分に負担が少なくてすむような曲にはなると思いますが、まあそれがどんなに短い一曲であってもいいので、弾くと弾かないとでは、そこに大きな差があるような気がしてきたのです。

そこで、この数日は暇を見つけては練習をしているのですが、人前で弾くと思うと、小品だろうがなんだろうが、一度たりとも満足に弾けないのにはほとほと自分でも参ります。
これじゃあ本番で上手くいくわけがありませんが、まあそれならそれで仕方がないですし、べつにここで前もって言い訳をしておこうというような、そんな魂胆ではありません。

今の心情と事実をありのままに書いているだけですが、とにかくピアノサークルに入ったことで、これまでのように自分一人で楽しむだけなら絶対しなかったであろう種類の練習も否応なしにするようになり、それだけでも自分なりに大変プラスになったとは思いますから、その一点をとってもサークルへの参加は意味があることだったといまさらのように振り返っているところです。
いまさらながら思い知ったのは、そこそこ弾いて放置するのと、あと一歩二歩踏み込んで仕上げに持っていくのとでは、大変な違いがあるということでしょうか。

それと、ピアノサークルを通じて新しい友人知人ができたことは、もちろん最大の収穫ですが、悲しいかな私と同年代の方は少なく、大多数が下の世代になるので、できるだけみなさんのお邪魔をしないよう控え目を心がけないとと思っているところです。

嬉しいのは、最近は懇親会の食事の質が上がってきているようなので、食べること第一のマロニエ君にとってはそこがまた大きなポイントになりかけているところです。
いささか浅ましいようですが、でもしかし、飲み食いが楽しくなきゃ本物じゃありませんからね。

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