ついに当日

ついに満足な練習もできずにピアノサークル当日を迎えました。

まあこれがいつものことですから、取り立てて問題にするようなことではないのですが、やはりきちんと練習する習慣と、その実行力があればどんなにいいだろう…などと思うだけは思います。
しかし、いまさら自分を変えられるはずもなく、そんなできもしないことをグダグダ思ってみたところでどうにもなりません。

ピアノの練習で他の人(もちろんレベルの高くないアマチュアの話として)でまずはじめに感心するのは、ひとつの曲をずっと練習し続ける根気というのがみなさんおありのようで、その点からしてああ自分はダメだ!と思ってしまうわけです。

マロニエ君にとってはひとつの曲だけをずっと続けて練習するというのも難儀で、すぐにあちこちに脱線してしまいます。
ちゃんと弾けてそうなるならまだいいでしょうが、できないクセにそうなるから困るのです。
集中力に欠けるというかなんというか、要は性格でしょうけれど、なまじ曲だけはわりに良く知っているものだから、たとえばショパンのなにか一曲をさらっているとするとそれひとつに集中することができず、ついついその前後の曲まで弾いてみたくなったり、或いは同じ調性の別の曲、あるいは同時代の別作品などに流れていったりして、そんなことをだらだらしているものだから、気が付いたときには肝心の練習はできずじまいで終わったりの繰り返しなわけです。
ピアノの周りに楽譜をたくさん積み上げているのもいけないのかもしれません。

楽譜といえば、ひとつだけ、これは別に自分が正しいという意味でいうわけではありませんが、ピアノサークルで目につくのは、楽譜がどちらかというとコピーであったり、ピアノピースであったりする場合がかなり多く、一冊の楽譜として使っておられる方のほうが少数派だということです。

話の中にもそういう印象があり、自分が練習する曲だけを買うなり安易にコピーするなりしてすませるのは、たしかに簡単で、安上がりで、場所も取らず、持ち運びも軽くて便利で、メリットは多いのかもしれませんが、本来的な言い方をすると、楽譜は半永久的に繰り返し使うものなので、ピアノを趣味として弾いていく以上、楽譜はある程度まとまった形で持っておいたほうが良いと思うのです。

たとえばベートーヴェンのソナタのどれかを弾くとして、とくにそれが有名曲であれば、その一曲だけをピースで買えば事足りるということかもしれませんが、それをソナタ全集の楽譜で持っていれば、前後にどんな作品があったかを知ることも弾いてみることもできるわけで、その作曲家に対する興味や認識もはるかに深まるはずです。
将来また別のソナタを弾くかもしれませんし、とにかく楽譜は折に触れて揃えていたほうがいいと思います。

…話が逸れました。
そんなことより自分のことですが、もうこれ以上は練習しません。
というのも、なまじっか練習が未完なものをあわてて練習名目で触りちらすと、かろうじて形になっていた部分まで、修正の余波を被って崩れてしまう可能性さえあるので、却って危険かもしれないからです。
怠け者には怠け者なりの理屈があるものですね。指使いも間違っているもの、あるいはよりよい運指を思いついたとしても、いまさら本番でパッと実践できるだけの腕も時間もなく、まあそれなりの状態で挑まざるを得ません。

はてさてどんなことに相成ることやらトホホですが、皆さんに会えて、楽しい時間が過ごせればそれがなによりということです。

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