十人十色

やれやれ、無事にピアノサークルが終わりました。
とりあえず途中で止まらずに弾けただけでも良しとしたいところです。

いつもながら皆さんの演奏を聴いていると、弾く人によって一台のピアノから様々な音色や表現が出てくるのは実に興味深いところでした。
プロの演奏家のコンサートでは、(グループ演奏会などは別として)演奏者が入れ替わることは通常はないので、こんな聴き較べはできませんが、本当にひとりひとり音が違うのは、いつも聴くたびにおもしろいもんだなあと思ってしまいますし、いまさらのように美しい音色を響かせることは容易なことではないと思います。
強いて言うなら、より難曲に挑戦する人のほうが純粋な音色に対するこだわりは少ないかもしれません。

会場のピアノはヤマハのC3で、これは非常にポピュラーなピアノですし、どうかするとヤマハは「誰が弾いても同じ音がする」などといわれますが、そのヤマハをもってしても全然ちがいます。
明確で肉づきのある音を出す人、やわらかな印象画家の色彩のような音を出す人、強い打楽器的な音の人など十人十色とはこのことでしょうか。

れっきとした表現行為のひとつである音楽は、当然ながらそれぞれの人柄やいろいろなものが色濃く反映されてくるので、奏者が入れ替わり立ち替わり弾くピアノを聴くというのは、飽くことのない独特のおもしろさがあるもんだとあらためて思いました。
もちろんその中には自分も弾くという試練もありますが、それでも他では得られない魅力があるわけです。

いまだに緊張がなくなることはないものの、それでも一年以上ピアノサークルに参加し続けてみて、いま振り返ってみると、はじめの頃のような極度の緊張でほとんど窒息しそうな頃を思い出せば、さすがにほんの少しだけ慣れてきたようにも思われなくもありません。
もちろん、とても「慣れてきた」などという言葉を使えるようなレベルではまったくありませんが、それでも一年前の自分にくらべたら、ほんの少しは鍛えられたようにも思います。
マロニエ君みたいなどうしようもない性格でも、否応なしに鍛えられれば、たとえわずか数ミリでも差が生じるということに、自分でも驚いています。

だからなんなんだ?といわれればそれまでですが、やはりささやかでも何かに挑戦するということは意義深いことだと思い知ったこの一年強でした。

それ以上に皆さんとお会いして親交を深めることはなによりも楽しく有意義なことで、懇親会もレストランのライトが落ちるまで大いに盛り上がりましたし、さらに数名で二次会へと発展して、家に帰り着いたのは1時を大幅に過ぎてしまっていました。

時間が経てば経つほど話題は深まり、いよいよ色彩を放って、夜がふけるのも忘れます。
会話というのは面白いもので、雑談のキャッチボールをする絶好のサイズはどうやら3〜4人というところのようで、懇親会の席でも、そういう単位の中で次々に参加者の顔ぶれや組み合わせが変わっていたのはその表れのような気がします。
二次会ではいよいよ話は熱を帯びるばかりで、放っておけばいつまで続いたか知れたものじゃありません。
一人の方が翌朝6時半起床ということで、ようやく席を立って帰宅したところです。

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