体調不良は演奏良好?

我々はプロの音楽家でもピアニストでもありませんから、あまり真剣に考える必要もないとは思うのですが、本番前の緊張というのはその人のすべての力を奪っていく悪魔みたいな気がしなくもありません。

よく、受験だろうとコンクールだろうと、本番に備えて体調管理も整えて、万全の態勢で挑むとべきだというのは半ば常識みたいに言われることです。しかし、体力の限界で競い合うスポーツの場合は知りませんが、こと音楽に関しては、必ずしも最良の準備が整ったときが最良の結果をもたらすとは言い難い部分もあるようです。

コンクールでよい成績をおさめたり、受験でも見事合格となった人の中には、「あのときは実は熱が○○度あって、薬をのみながら後はどうなってもいいと思って弾いた」とか「体調は最悪だった」というような話をする人が少なくなく、それも聞いたのは一度や二度ではない気がします。

世界的な演奏家でも、名演の陰には、意外にも飛行機が大幅に遅れて、さらに道が渋滞して、開演直前に会場にすべり込んでぶっつけでコンチェルトに挑み、それがすごい名演だったとかいうのが現実にありますし、チェリストのヨーヨー・マがあるドキュメント番組でこれまでの最良の演奏は何か?という問いついて、いついつどこで演奏したバッハの無伴奏チェロ組曲だと答えました。ところがそのときの体調と来たら最悪で、かなりの高熱の中で行った最悪コンディションでの演奏だったというのです。
本人は『最悪のコンディションで行う演奏が、必ずしも最悪の演奏ではないのが不思議だ』というような意味のことを言っていた覚えがあります。

これはある程度納得が出来る話です。
もちろんいずれも練習がきちんと出来ているというのが大前提ですが、その上で恐れるべきは本番での緊張です。マロニエ君は専門家でもなんでもないので科学的なことはわかりませんが、緊張というものは、音楽の場合でいうなら、「音楽以外のことが気になり、心配し、押しつぶされそうになる」ことだと思います。

それが病気となると、条件的には最も恐れていたことが現実になって狼狽し、本人は本来の力が出ないであろう悲劇の真っ只中にあります。すると、なんとか奮闘して、少しでも本来の演奏が出来るように残された力を振りぼって挽回しようと努めるのでしょう。
こうなると一回の演奏にのみ全身全霊が注ぎ込まれ、あとの体調のことなどもう知ったことではありません。

もうお気づきかも知れませんが、この状態がつまり最も純粋に音楽のこと、演奏のことに集中し、緊張の原因であるところの音楽以外のことを気にして心配する余裕がないものだから、結果的に雑念から解放されている状態なのだろうと思います。
そうなると人間の体というのは火事場の馬鹿力といわれるように、一時的にはどうにでもパワーを補給する高度なシステムをもっているように思うのです。

これに少し通じることかもしれませんが、演奏家のコンサートの前日や直前の時間の過ごし方というのは実に様々で、もちろん万事遺漏なく整えて本番に挑む人もいれば、あえて普通と何も変わらない生活パターンで過ごす人もいるようですし、中には却って普通以上に遊びに行ったり夜更かしをしたりするというタイプもいると聞きます。
この最後のパターンは、意識のどこかに多少の乱れがあったほうが却ってそれを補充し収束させようとする力が働いて、演奏には好ましいと思っているのかもしれません。

いずれにしても、音楽という一発勝負の、いわば崖っぷちを歩くような危険行為に挑むわけですから、あまりにも完璧に準備しすぎることのほうが寧ろバランスが悪くなるという性質をもっているのかもしれません。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です