志の問題だそうで

約一年ぶりにピアノの調律に来てもらいました。
本来はもう少し短い期間で来てもらえばいいのですが、技術者の方の腕がいいことと、マロニエ君がそんなにピアノを酷使していないこと(要は練習していない)、さらには湿温度管理はわりにやっているので、そんな事情が複合的に作用して調律の保ちがわりにいいため、この程度のペースでやってもらっています。

作業中は可能な限り子供のように横にはり付いて見ていますが、見るたびにピアノ技術者の仕事というのは大変な仕事で、いわば「静かで緻密な重労働」だと思います。
今回はタッチの調整から調律、整音までをひととおりやってもらって計5時間を超す作業となりました。
それでもしょせんは出張先での作業ですから、かなり圧縮した作業となるのはやむを得ません。

いつもながら調整の終わったピアノを弾くのは、いかにも清新な気分にあふれて気持ちのいいものです。
電子ピアノは調律の必要がないかわりに、この気分ばかりは味わえないはずです。

作業中はいろいろなおもしろい話が聞けるのも楽しみのひとつです。
その中にあったひとつ、「結局のところ、ピアノ技術者は技術の優劣よりも、志のほうがよほど重要」という言葉は、ピアノ技術者の現実を表すいかにも意味深長な言葉でした。
曰く、一定以上の技術を持った人であれば、あとはどこまでの仕事とするか、悪く言えば、どうせ大したこともわからない素人を相手にどのあたりまで手をつけ、どのぐらいで切り上げるかということになってくるのだそうで、手を抜こうと思ったらいかようにも手を抜ける仕事なんだそうです。

考えてみれば、車の整備などと違い、それで人身事故が起こるでもなし、医者の手抜き治療なら健康被害などを恐れるところでしょうが、ピアノの場合、どっちにしろ人に危害が及んで訴訟されるような心配はないわけですからね。
現実にそういう志の低い技術者は実はとても多いらしく、ある意味気持ちはわかるそうですが、恐いのはそれを長くやっていると、いつしか自分の仕事の質が低下していることが自分でもわからなくなってくるんだそうです。

マロニエ君の経験でも、だいたい人当たりが良すぎたり、話の上手すぎる技術者は食わせ者で、自分の技術不足やごまかしを言葉や好印象で補足して、幻惑しようという思惑があるようにも感じます。
控え目ぶった話し方はしていても、要は自慢トークの連発で、他の技術者の悪口を悪口ではないような言葉を使ってちゃんと言い、自分こそは人柄も良く、謙虚で技術も本物と思わせるよう巧みに誘導します。さらに相手の不安を煽りながら、まんまと信頼をとり付けようとするテクニックですね。
だいたいこの手合いは名刺にも肩書き満載で、マロニエ君はそんな人こそ信用しません。

ピアノ技術者の腕は、その人が手がけたピアノでしか判断することはできません。
しかし、多くの場合は、調律を依頼する側は専門家でもないので、ちゃんとしたルートから派遣されてきた、ネクタイをきちんと締めた、礼儀正しい、腰の低い人ならば、それで間違いないと思ってしまいがちで、そこがなんとも始末に悪いところです。

しかし、マロニエ君の経験で言うなら、本物の技術者はどこか磊落で、自分があり、技術はあっても人あしらいはそんなに上手くはないものです。
ピアノ技術者に限りませんが、本当に実力のある人は自分からあれこれとアピールしなくても余裕があり、人間的にも自然体です。逆にやたら親切ごかしな人や、過剰な用心家などはマロニエ君は疑います。

礼儀正しさと不自然な低姿勢は似て非なるものですから、そのあたりをよく観察してみるべきですね。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です