高性能センサー

人間の手先というものは、実はかなり高性能なセンサーでもあり、我々が普段思っている以上の優秀さをもっているようです。
その繊細な感じわけの能力は、そんじょそこらの機械など遠く及ばないものがあるのです。

先日もそれを実感したのは、ピアノの整備に来てもらったときに鍵盤の高さを揃えるために、キーの支点(テコ運動の中心部分)に、「鍵盤バランス部の紙パンチング」という直径1センチにも充たない、小さな輪っか状の薄い紙を挟んで微調整をしていくわけですが、これは紙だけを触ったときにはただやたらと薄い、普通の鼻息で全部飛んでしまうような薄い紙(一番薄いもので0.08ミリという、およそ無意味としか思えないようなもの)というだけで、こんなものを一枚挟んだだけで何が変わるものかと思わせるようなものなのですが、それが鍵盤や木片を並べて指をすべらせてみると、難なくその違いがわかるのには驚きました。
こういう微細な調整の積み重ねによって、ピアノの鍵盤の高さは正確な一直線に揃っているわけです。

そういえば過日見たスタインウェイのファクトリーのビデオ作品でも、「測定器には限りがあるが、職人の精巧さは手が覚えているので、計測器以上のものとなる」ということを言っていて、精密な作業ほど熟練工の手作業が必要になると言っていましたが、そんな言葉が実感として納得できた瞬間でした。

よく女性が化粧中などに肌のコンディションを指先から感じ取ることがあるようですが、それもこういった人間の驚くべき手先の精密なセンサーが僅かな違いを感知しているのだと思います。

それで思い出したのは、昔のポルシェ(ドイツのスポーツカー)の工場で、塗装作業を終えたツルツルのボディを熟練工が専用の革手袋をはめてくまなく撫で回すという、有名な工程がありました。
これはべつにボディを可愛がっているのではなくて、撫で回すことで手の平に伝わってくるその僅かな感触から塗装面のほんのちょっとしたムラや作業中に付いた目に見えないようなキズを検出していくというものです。こうすることによって肉眼ではほとんど見落としてしまうようなことを手の平はやすやすと効率的に発見するというものでした。

私達の体には、まだ私達自身が知らないような隠れた高性能が随所に眠っているような気がします。
いや、眠っているのではなく、気付かぬうちにそれを使いながら普通に生きているのかもしれませんね。

ピアノ技術者はこういう精密領域のことがらを、瞬時に判断し感じ取りながら、手際よく作業をしていくのですから、そこにはもちろん馴れや訓練もあるとは思いますが、いずれにしろ敏感で忍耐強い人でなくては務まるものではありませんね。

ある本に、本物のピアノ技術者になるためには、まずはピアノのオーバーホールを経験させる必要があるということが書いてありました。それによってピアノの技術を総合的に実地から体験的に学ぶことができるということだろうと思います。
そういえば、職人にはマイスター制度のあるドイツでは、長い修行の末に、一台のピアノを一人の責任において1から組み上げなくてはならないそうで、似たような発想でしょうね。

近年のメーカー系のサラリーマン技術者は、こういう総合的な学習経験があるのかないのか知りませんが、少なくとも調律なら調律だけをして、それ以外のお客さんの要求にはほとんど何も応じきれないというのが実情という話をよく聞きます。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です