サクラ

花の名前ではなく、「サクラ」という言葉があります。
辞書によると「大道商人の仲間で、客のふりをしていて、普通の客が買う気を起こすようにしむける役の者。」とあります、このサクラがいかに人の心理に有効なものかを実感することがしばしばあります。

お店などで、ワゴンセールのような場所がよくあるものですが、はじめは無人なのに、ちょっと見ていると、だいたいすぐに次の人があらわれます。すると傍目にはそのワゴンには二人の客が物色していることになりますが、こうなると3人目4人目はどこからともなく吸い寄せられるようにやって来るものです。

逆にマロニエ君自身も、ちょっと人が集まっている売り場などがあると、なんだろうかと思って覗いてみることがあり、大抵はなんてことはないつまらないもので、ぱっとその場を離れるのですが、一度覗いてみてしまうのはやはりサクラ効果だと思います。

その最たるものが行列で、まるで催眠術にかかったように人はそこに興味を示して寄っていきます。
ことほどさように人は他人が興味を持っている姿に無関心ではいられない生き物だと自分を含めて思います。

それはわかっていても、はじめ無人だった場所が、自分が最初に見始めたことがきっかけとなり、つぎつぎに人が集まってきて、マロニエ君のほうはもうその場所を離れても、振り返ると5〜6人の人が集まっているのを見ると無性に可笑しくなってしまいますし、なんだかちょっと自分が呼び寄せたような、ささやかな自己満足に浸ってしまいます。…バカですね。

こういう現状にしばしば遭遇すると、つくづくと人の心理というのは面白いものだと思わずにはいられません。心理の動きはまことにささいなことに左右され、それによって行きつく結果は大きく違って来るというのがわかります。
こういう人の心理の動きに大きく依存している商売人は、だからちょっとしたことにも気を抜かずにお客さんの心をつなぎ止めようと普段からアンテナを張り、ちょっとしたことにも腐心しているのだろうと思います。

流行っている店と流行っていない店、これも明らかな実力の差があってのことというのは見ていて当然のことですし、いかにもわかりやすいのですが、ときに紙一重のちょっとした何か小さな要素のさじ加減ひとつで明暗を分けている場合も少なくありません。
食事の店などに例をとっても、それはそのまま当てはまるように思います。

流行っている店は、値段や出てくる料理がそれに値するものであることは当然としても、その上で、もうひとつお客さんの気分を満足させる何かをちょっと持っているものです。
それはケースバイケースなので、具体的になにがどうしたということは言いにくいのですが、強いて言うなら経営者の気分とか人間性というものがいいほうに反映されていると感じることがあります。

わかりやすく言うとケチケチしたがめつい経営者の店は、それなりの内容があったとしても、どこかにそのケチな精神が顔を出てしまっているものです。たとえば料理自体は安くて美味しいのに、それ以外のちょっとしたところにセコさがあって、それを感じると快適でなくなったりするものです。
気分のいい店はそれのまったく逆で、なにかひとつでも気前のよい寛大なところをみせられると、こっちはたちまち良い気分になるものです。上手な商売人というのはお客さんに気分良くお金を出させる術を持っているんですね。

店にお客さんがいつも溢れているということに勝る宣伝はなく、それはお客さんをタダのサクラとして使っているのも同然ということになるでしょう。
どんなにいい店でも、ぜんぜんお客さんのいない店というのは、大変なマイナスイメージですから、サクラは商売人にとって必要不可欠なものでしょうね。
もちろん、サクラという言葉の意味自体が「ニセの客」という意味ですから言葉がおかしいですけど。

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