リストは冷遇

昨日、タワーレコードに行ったところ、今年がリスト生誕200年ということで、そろそろなにか小さなコーナーでもできているのかと思っていたら、これがまったく何もナシで、通常のリストのコーナーさえもごくごく小さいものでしかなく、他の作曲家の間に埋もれているという感じでした。
昨年はショパンのそう小さくもないコーナーが一年を通じて作られていましたが。

やはりリストはピアノ曲の中に単発的に有名なものがあるとは言え、ほかは馴染みのない曲の比率があまりにも膨大で、それらは通常ほとんど演奏されることもないし、ピアニストあるいはレコード会社もあまり企画したがらないのだろうと思われます。
リストの作品はものによってはプログラムの一部には華麗で格好の作品ですが、あくまで名脇役といったところ。リスト作品だけではコンサートを維持するのが難しい微妙な存在なのかもしれませんね。

リストはピアノ曲の作曲はもちろんとしても、他の作曲家の作品の編曲やパラフレーズなども数多く手がけていますし、管弦楽の分野では、ベルリオーズに始まる標題音楽を発展させることで「交響詩」という新しいジャンルを作り出したことなどはリストが音楽歴史上の特筆大書すべきことでしょう。
ところが、この一連の交響詩にも実はさほど馴染みやすい曲はなく、残念ながらあまり人気はないようです。

前回ご紹介したフランス・クリダやレスリー・ハワードの全集が年頭に出てきたものだから、今度はてっきりリストのCDがわんさと出てくるのかと思いましたが、どうもそれに続くものはあまりなさそうです。
それでも多少はリスト生誕200年ということで、今年限定でリストプログラムを組んで録音を目論むピアニストなどは若干名はいるでしょうから、せいぜいそこに期待したいと思いますが、まあショパンとは到底規模がちがうようです。

ところがCDだけではなかったのです。

驚いたことには、書籍の分野でも、リストはかなり冷遇されているという事実がわかりました。
リストの生涯は知る限りではとても面白いものですが、なにかまとまった形で読んだことがなかったので、適当な本はないかと物色してみたのですが、ヤマハもジュンク堂にもそれらしい書籍がまるでなかったのは正直言って驚きでした。

ジュンク堂の音楽書の売り場などは、それこそありとあらゆるものがぎっしりと揃っていて、バッハ、モーツァルトなどはそれぞれ数十種の出版物(楽譜ではない文字の書籍)がひしめていますし、フォーレやショスタコーヴィチ、ラフマニノフなどもあれこれと伝記や専門書が刊行されています。
しかし、リストだけはどこをどうみても少なくとも店頭にはなにもないのです。

世の中に於けるリストの存在とはそんなものなのかと思ってしまいました。
もともとマロニエ君自身がリストをあまり好まなかったために、こういう事実に長らく気が付かないで今日まできたわけですが、それにしてもあれだけの偉大な功績がありながら、いくらなんでも不当に冷遇されているんだなあとも思えるようです。ここまでくるとなんだかリストが可哀想になってきました。

若い頃、上流女性達の憧れで、当時のスーパースターで、その空前の人気をほしいままにしたリストは、それですっかり燃え尽きてしまったのでしょうか?

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