トーク付きコンサートって、あれは要するに何なのだろう…と思います。
現在、よほどの著名演奏家のコンサートでもない限り、ピアノリサイタルなどでは演奏者自身によるトークを交えてのコンサートというスタイルが、かなり定着している感があります。
ピアノリサイタルという形式に、どうあるのが正しいという明確な答えを出すのは簡単なことではないかもしれませんが、少なくとも近年のピアノリサイタルのスタイルの原型を創り出したのは、あのリストだとされています。
大昔のことは知りませんが、少なくとも記憶にある限りにおいて、従来の最もオーソドックスなスタイルは、演奏者は開演時間になるとステージに登場し、客席に礼をした後、決められたプログラムを演奏することに専念。聴衆はその演奏を見て聴いて楽しみ、終われば拍手を送る。
曲目はあらかじめプログラムとして発表され、仮に未定であっても当日には発表され、それを記した紙が聴衆の手許にあり、それを順に演奏していくというものです。
そしてリサイタルのはじめから終わりまで、演奏者が声を出すことは一切ありません。
唯一の例外は、アンコールに際してのみ、プログラムにない曲目であるために、ピアニストが弾きはじめる直前にごく簡単に短く曲名を口にして直ちに演奏に入るか、人によってはなにも言わずにいきなり弾きはじめるという場合も珍しくはありません。
演奏者と聴衆を結ぶものは、紡ぎ出される音楽と、拍手とお辞儀や所作と表情だけです。
これが少なくともマロニエ君が、子供のころから最も親しんだピアノリサイタルの形であって、むかしは演奏者自身が客席へ向けて話をするなど考えもつきませんでしたし、おそらくそんなことは作法に反する事という認識も演奏者/聴衆のいずれの意識の中にもあったのではないかと思われます。
それがここ、10年か20年か定かではありませんが、トーク付きのコンサートというのが年々勢力を伸ばして、近ごろではほとんど常態化さえしているという印象です。
とりわけ、日本人のローカルなピアニストほど、これが必要とされているかに見えますから、トーク付きコンサートをする人は、自ら自分の地位の低さを認めているかのようでもあります。
それは裏を返せば、演奏だけではお客さんを満足させられないか、あるいは普段コンサートなどには行かないような人までを縁故で動員しているので、できるだけ何かトークなどを交えて言葉でもサービスしたほうがいいという判断が働いているのだろうと思います。
いずれにしろ、そのトークというのにもずいぶん接しましたが、そのつまらなさ/くだらなさといったらといったらありません。
トークといっても、では何か聞いていて面白い興味深い話をするのではなく、ほとんどが愚にも付かないような演奏曲目の表面的な解説のようなことだけに終わります。
要するにほとんど何も内容がなく、いちおうトークもしましたといった程度のものでしかないし、当然ながら話のプロではないから、しゃべりも下手だし、マロニエ君はあんなものは百害あって一利なしとしか思えません。
あれだったら、いっそコンサートの始めと終わりに、お客さんへ御礼の挨拶だけをキッチリしたほうがよほど涼やかだと思いますが。
トーク付きで本当にお客さんを楽しませるとなれば、それなりの優れた企画や台本が必要で、決して甘いものではない筈です。
たとえばテレビの題名のない音楽会のようなものになれば、好き嫌いは別としても、いちおうトークと音楽の関係や意味というのはあると思えます。
そうそう、もうひとつ思い出すのはグルダのコンサートは異色のトーク付きでしたが、もちろん何事にも型破りな彼は、そのトークも個性的なら演奏も超一流。すべてが並のものではありませんでした。