アナログカメラ

昨日は古い友人達と会って久々にお茶をしました。

とくに、そのうちの一人はカメラにも詳しく、昔からマロニエ君はカメラを買うときとか、撮影の方法など、わからないことやアドバイスが欲しい場合は決まってこの友人からいろいろな助言を得ていましたが、久々にカメラの話になりました。

とはいっても、マロニエ君はべつにカメラに特段の執着があるわけではなく、できる範囲で、可能な限りきれいな写真を撮れるものなら撮りたいという思うぐらいですが、彼の豊富な情報や経験はどれだけ役に立ったかわかりません。

デジタルカメラが登場する以前は当然ながらフィルムの時代でしたから、個々のカメラの性能差やメーカーのごとの考え方や特徴はもちろんのこと、フィルムにまで徹底的にその特性やコストパフォーマンスを求める彼の姿勢は大いに参考になったものです。

それぞれのフィルムにも描写力や発色などの大きな違いがあるし、撮影者の技量やセンス、絵心などが問われる、非常に深い世界ではありました。マロニエ君もその入り口付近ぐらいでウロウロしていたことを思い出しますが、もちろん、決して中には入る勇気も能力もありませんでした。
中の人達から、適宜都合のいい簡単な情報だけをちょろっともらって、自分の写真撮影に役立てていたというちゃっかり屋とでもいいましょうか。

ずいぶん昔だったような気もしますが、よく考えてみればフィルムカメラの終焉からまだ10年ぐらいでしょうから、せいぜいそれより数年前の頃の話です。
当時、とくに流行ったのは、コンタックスというドイツのコンパクトカメラ(生産は京セラ)で、これにはかの有名なカール・ツァイスのレンズを搭載している点、さらにはいかにもドイツ的な機能性に裏付けられた無駄のない美しいデザインと、コンパクトカメラのくせにドイツ的な質感の高さを醸し出す雰囲気が魅力でした。

一時は仲間内でこれが大変なブームが起こり、車のクラブミーティングなどに行くと、このコンタックスカメラが手に手にズラリと揃ったものです。高性能な日本製カメラとはひと味違う、非常にマニア心をくすぐる名器で、価格も堂クラスの日本製コンパクトカメラに較べるとずいぶん高価でしたが、それを補って余りあるその巧緻で高い描写性は、他の日本製の普及品カメラにはない独自の世界を持っていたように思います。
ひとくちに言えばコンタックスで撮影した写真には、そこはかとない気品のようなものが漂っていました。

マロニエ君も都合3台のコンタックスを使い続け、今も抽斗の奥に1台ありますが、デジタルカメラの到来と共に、使用頻度がめっきり減り、今ではまったく使わなくなりました。

昔はといえば、このコンタックスを携帯用として使いながら、ここぞと言うときにはニコンやキャノンの思い一眼レフカメラを携え、更に重い望遠レンズなどまで一緒に持ち歩くという考えられないような重装備で、今思えばずいぶんと熱心に写真を撮っていたように思いますし、それだけのガッツが自分にあったことがなつかしい気がします。

デジタルカメラの出現はユーザーに劇的な利便性をもたらしてくれましたが、人間というものは(少なくともマロニエ君は)元来怠惰な生き物なので、デジタルカメラが運んできた手軽さが身に付くと、気がついたときには手軽さを手に入れたこととひきかえに、写真を撮ろうとする情熱そのものまでが次第に醒めていきました。
論理的には、はるかに便利になったその環境では、そのぶんさらに写真を撮ることにのみ自分のエネルギーを投入していればいいようなものですが、事実はまったく逆で、写真への熱意それ自体が潮が引くように失われ、必要以外さっぱり撮らなくなってしまうという事実に自分でもがっかりしてしまいます。

やはり、昔のあのフィルムを使ったカメラで写真を撮り、現像しプリントを手にするまでの、なんとも時間と手間暇のかかるその過程の中に、いろんな説明のつかない味わいや魅力が詰まっていたということかもしれません。
これはカメラだけでなく、いろんな事に同様の現象が起きている気がします。

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