デジタルカメラ

このところカメラといえばデジタルカメラがすっかり従来のフィルムカメラを駆逐し、圧倒的主役の座に躍り出ていることはご承知の通りです。

フィルム式のカメラはいまや一部のマニアやプロの間で僅かに使われているのみで、普通の写真撮影にフィルムカメラを使っている人はまずいないでしょう。
これはLPとCDの関係にも非常によく似ていて、本当の表現力がフィルムカメラやLPレコードにあるのはわかっていても、その利便性や普及度から、敢えてこちらを使い続ける人はほとんどいないようです。

デジタルカメラのメリットについて、いまさらマロニエ君がくだくだしい事を書く必要はないのでそれはむろんしませんし、だいいちできませんが、デメリットもいろいろあるわけです。
出来上がった写真は一見デジタルカメラ特有の美しさがあるものですが、よく見れば味わいがなく、非常に無機質な写真になってしまうなどの、人の情感に迫る要素が減ってしまったというのが一番の問題のようでもあります。
そして写真を昔のように大切にせず、使い捨ての記録資料といった扱いをするようになったということが自分を含めてあるような気がします。

フィルムカメラの時代なら最大でも36枚撮りのフィルムを購入装着して、撮り終えれば、それを現像に出すなど、一連の面倒で時間のかかる手続きがあり、今から考えるととても手間暇をかけていたことは間違いありません。
しかし、出来上がった写真は、大げさにいうならささやかな作品でもあり、アルバムに整理するなどして何度も見る楽しみがありました。
シャッターを押すにも失敗をしないよう、集中と極力良い写真を撮ろうという熱意がありました。
海外に行く際などは、36枚撮りフィルムを何十本も準備して、それこそ何度街角や景勝地で歩を止めてせっせとフィルム交換したかわかりません。

ところがデジタルカメラになってからというもの、そういう煩雑さから一気に解放され、一枚のSDカードでも容量や設定によっては1000枚単位の写真が撮れるし、失敗すれば消去すればいいしで、だんだんと写真に対する価値の置き方が雑なものへと自分でも変化しているのは紛れもない事実です。
しかもはじめの頃は、それでもせっせとプリントすることに精を出して、ネットで注文などしていたものですが、だんだんにそれすらも億劫になりました。
そのきっかけとなったのは、デジタルカメラだからこそ撮ったどうでもいいような写真が山のようにあり、その中からプリントすべき写真をセレクトするという作業が面倒になってきたことでした。

そのうち、これらの写真は「いつでも見ることだできる」という前提のもと、パソコンのハードディスクやDVDに保存するようになり、いちおう安心した気になります。

ところが、パソコンやDVDに保存された写真をわざわざ開いて見るということが、なにか特別な必要がある場合を除いてあるかといえば、これはまったくありません。
プリントした写真なら、アルバムにしておけば、機会があれば友人知人に見せたり、なにかの折にまた自分も見たりというふうに繰り返し見て楽しむことがありましたが、紙に焼かない写真というものは、まず情緒的にも見る気にならない人が大多数だろうと思います。

こうしてマロニエ君の場合、デジタルカメラへの移行により、結局は写真というものの情緒や楽しみがひとつきれいになくなってしまったという、なんともつまらない結果だけが残ったように思います。

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