エコの盲点

エコとは一体、何を意味するのだろうかと思うときがあります。

テレビに良く登場するエコ評論家のおじさん先生は、巷に流布されたエコは、ほとんどが人為的に創り出されたものであって、エコという名のビジネス絡みか行政の利権漁りに過ぎないと言い切ります。
(エコというのは、これから先、まさに地球規模でのビジネスになる巨大テーマだそうで、世界中の企業や市場はもしエコがなくなると一大事になるとか。地球にやさしいというよりも、経済にとっての格好の大儀というほうが実情に適っているようで、いわばエコ特需とでもいうべきものでしょう。)

はじめはそれを笑って聞き流し、さして本気にもしなかった辛口の論客たちも、そのエコ評論家が度々登場するにつれ、だんだんその主張に一定の評価を与えるようになりました。

これは、はじめ評価されたものがしだいに矛盾しはじめ、マイナスへと覆ってくるのとは対照的ですし、それだけの疑念と時間にも耐えぬく主張というのは、要するに本物だからなんだろうという気がしてしまいます。

それがまったく別の場所や文献で証明されたので、なるほどと思ったとか、目からウロコだったなどとあちこちで言い始めています。
中にはこのエコ評論家が主張したこととほぼ同じことが、遙か後に国連でも公式に発表されたりしたのだそうで、はじめは一般論とあまりにかけ離れているかに思われたり、奇想天外のような印象さえあるので、眉唾のようにいなされていた主張が時間とともに次第に裏付けを持ち、広く認められてきたようです。

マロニエ君も聞いていて非常に説得力のある話だと思う部分が少なくありません。

例えば分別ゴミですが、大半の分別は、この先生に言わせるとまったくの無意味だというのです。
ゴミの分別は各自治体によってその方法も種類も異なるわけですが、多いところでは実に20種類!もの分別を市民に強いているのだそうです。
建前はむろん環境保全、処理方法の違いや、再利用できるものは再利用するなどといったいかにも尤もらしいお題目がついているのです。

ところが、では、その20種類もの分別されたゴミがどうされていくのか追跡調査してみると、なんと大半は再び一箇所に集められ、ひとまとめに焼却されているのだそうです。

これは行政の自己満足なんだそうですが、なんという愚かで、市民をバカにした話でしょう!

せっかく分別したゴミを一緒にして焼却処分するのでは、ダイオキシンなどの有毒物質が出る心配があるのでは?という疑問も抱きますが、そもそもダイオキシンなどよほど特種の場合でないと人体に影響があるほどでるものでないとか、さらには近ごろのゴミ処分施設の焼却設備は性能が良く、大変な高温で処理されるので、有毒物質が出る確率がきわめて低いのだそうで、それを心配するなら、それよりもまだ心配すべき危険性の高い事柄が世の中には山のようにあるのだそうです。
…なるほどと言う他はありません。

行政のやることは裏から見れば大抵こういった開いた口が塞がらないような愚行が決して珍しくないのだとか。
こんなことってあっていいものかと思わずにはいられません。

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